マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

只見線に乗る(その2)

2018年04月14日 | 

 長旅の列車に乗り、過ぎ行く景色を眺めながら本を読む。読書に倦んだら外の風景に目を移す。数人で行く旅行も好きだが、一人旅でも退屈しない。今回も小出までで『天空の星たちへ 日航123便 あの日の記憶』(著:青山透子)をほぼ読み終えた。
 小出までで注目していたのが桜の咲き具合。関東平野ではソメイヨシノは全く見られなかった。沼田手前で初めて桜に出会い、水上が最後。雪国に入るとちらほら。もっと咲いているかと予想していたので期待外れだった。
 小出では乗り継ぎの待ち合わせ時間が2時間。駅前の、何度か利用した美味しい蕎麦屋の開店を40分待って、昼食は天ぷらそばにビール。野菜天ぷらはメニューに載っていなかった。


 13時11分いよいよ小出駅をスタート。2両編成の列車は守門岳(すもんだけ:標高1537m)に源を発する破間川(あぶるまがわ)の沢を分け入って上流を目指す。







 残雪はまだ多い。県境の六十里トンネルを潜り抜けるとそこが福島県只見町。田子倉湖が見えて来た。乗車すること1時間17分で只見駅着。ここから越後川口行きの乗り継ぎバスが待っていたが、私は乗車しない。











 只見線は2011年に台風の為、橋梁流失などが複数個所で発生し、それ以降只見⇔越後川口間はバス運行なのだ。
私が一番見たかったのは、列車が幅広い只見川を跨ぎ越えて行く風景で、その橋梁は崩壊したまま。残念ながらまだ復興していないのだ。只見駅に1時間弱滞在し折り返した。帰路は持参の御酒をここで初めて飲みながら、昔の事をしきりと思い出した。 
 
 
1969(昭和44)年、只見線は新潟県のみを走っていて、小出から大白川までだった。福島県南部にある只見町に行くには、その頃は会津線と呼ばれていた路線を会津若松から南下した。長時間の旅で、只見駅2駅手前の塩沢にある学生村に1ヶ月以上滞在した。 
 1971(昭和46)年に大白川⇔只見間が開通し、会津線は只見線に統合され、只見線は小出⇔会津若松間となった。県境を越えるその路線に初めて乗車したのが1972(昭和47)年で、矢張り塩沢の学生村に宿泊した。塩沢の学生村には5回行ったことになる。宿泊費が1泊3食で500円と安かったからだ。
 村人やそこに滞在した大学生たちとの盆踊り。この間大泉高校の同僚だった石川さんや義弟のハムちゃんがやってきた年もあった。
妻と一緒に行った時もあった。前年同宿した大学生は「歓迎 ご夫妻」の幟で私達を迎えてくれた。帰路は桧枝岐歌舞伎や尾瀬を楽しんだ。

 学生村で過ごす日々は私が初めて味わう解放感に満ちた日々で、只見線はその学生村とセットで心地よく思い出されてくる。不通ヵ所の復旧計画も定まったそうな。全線が開通する日に再度乗車してみたい。(写真:この季節、この風景には出会えなかった)

 


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