菊池氏等は「縄文文化を世界遺産に」という運動を始めていて、世界遺産に関して多くの時間を割いて語ったが、その部分はここでは割愛する。以下菊池講演から。
縄文文化に世界遺産の価値はあるのだろうか?地域でいうと北海道南部から東北北部の11の縄文遺跡をまとめて世界遺産にと考えている。縄文文化は日本各地に存在しているのに何故この地域なのか。自薦で手を挙げてもらったところ、立派な縄文遺跡のある信州からの申請は無く、北海道・青森・秋田・岩手からのみ挙手があった。これらの地域を代表格として、日本全体の縄文文化を世界にアピールしたい。
人類史的意義を考えたい。教科書では、人類史の歩みを旧石器時代→新石器時代→青銅器時代→鉄器時代と習って来た。世界の多くでは妥当するが、縄文文化は新石器文化とは違う姿を持つ。(写真:青森、三内丸山遺跡)
新石器時代では一定の土地に定住する。農耕・牧畜を始め、土器を作り、磨製石器を使う。しかし、縄文文化では定住し、土器を作り、磨製石器を使用していたが農耕はしなかった。牧畜もしなかった。それらをしないのに、定住する生活が1万年も続いた。
何をしていたのか。採集・漁労・狩猟が生活の中心。最近の研究成果では三内丸山などでは栗を集落の周りに植林し、栗を沢山食べていた。漆を使用した。酒も飲んだ。定住生活をしていたということは土木技術が発達し、数的観念を持ち、社会的秩序が出来ていたということ。豊かな土器文化を持っていた。それが1万年以上も継続していた。青森の、大平山元遺跡からの土器をカーボン測定すると、16500年前のものと判明。大きく見積もって15000年前から土器が作り始められた。(写真:国宝中空土偶)
自然環境への適応性が非常に優れてもいた。縄文時代を夢の時代だとかパラダイスなどというつもりは全くないが、自然を破壊しなかったというところは学ぶべきところ。
また、日本列島は世界一の、生物多様性に恵まれた生態系。それに上手く対応した調和的な生き方をしていた。
何故自然を破壊するのか。それは土地が必要だから。それが日本列島で始まったのは弥生時代。米作りは田圃が必要で、水争いがおこる。採れた米をめぐって、採れた人と採れなかった人の間で、採れた米をめぐって争いが起きる。だから自然破壊破も人々の争いが始まったのも弥生時代。縄文時代はその必要は無く、戦争は無かった。縄文遺跡からは武器が出てこない。それなりの大きさを持った石器が出てこない。弥生時代になると、王の場所とか都市全体を守る柵や堀が作られたが縄文時代にはそれがなかった。集落の周りからそれらのものは出てこない。周囲に対して開放的だった。集落の周りに土塁・堀・溝を築かなかった。
縄文人は豊かな精神性を持っていたのではないかとも考えられる。ユネスコの人たちはそれを縄文精神と言っていた。例えば土偶などに見られる、精巧な漆の板がある。子供への愛情が感じられる遺跡もある。住まいの中に神聖な場所のあった住居も見られる。自然や四季に対応した生活をし、村づくりをして定住していた。私たちに縄文時代の文化のDNAが遺伝されている。
朝鮮半島から弥生人が米と金属器を持って日本列島に入って来た。私たちは縄文人と弥生人の二つの人種の混血。現代日本の中にはDNAでも文化の面でもこの2つの血が重なっている。寿司はネタ部分は縄文、下の米部分は弥生。
世界遺産に登録すれば終わりという問題ではない。世界遺産登録の運動が身近な文化財を守る為の牽引力になってほしいと考えている。多くの遺産は都市化の中で埋められてしまった。埋蔵文化財は大変の時を迎えている。土器や石器だけでなく被災文化財も守らなければならない。世界遺産登録の意義をご理解頂きたい。
(2時間近い講演を、77歳の菊池氏は疲れを見せずに終えた。他のところで彼は、「縄文は日本文化の母、弥生は日本文化の父」と語っている。)
今日の一葉(天祖神社の落葉)