11月20日(日)、「文京区男女平等センター」で、菊池徹夫氏の上記講演を聞いた。文京区ふるさと歴史館の特別展講演会で、思い出に残る名講演だった。
実に聞きやすい声で話が分かりやすかった。
縄文時代を当然、“遅れた時代”と見なすことは無かったが、反面その時代を“ユートピア”と見なすこともなく、縄文文化の良さと特徴を語ってくれた。目から鱗の内容が多数。
現在は「福島県文化財センター白河館まほろん館」館長。早稲田大学定年後、そこの館長への招聘を受け、迷っていたが、3・11に遭遇し、福島の地に赴く決意を固めたそうな。その志や良し。
講演のそこそこから人柄の良さが感じられ、話を聴くことが心地よかった。
という訳で、その講演内容を丁寧に辿りたい。
2010年に早稲田大学を定年退職し、向丘の地に帰って来た。大学に置いておいたの多く本とさようならし、家に持ち帰った一部の本の整理が済んで1年経った頃に3・11大震災。本はすっ飛んだが、それがきっかけで、就任を依頼されていた「まほろん館々長」をお引き受けすることへの迷いが吹っ切れた。定年後、じっくりと文京区の遺跡巡りをしたいと考えていたが、大震災を受けた福島だから喜んで伺うとことにし,その年の4月から月に何回か新幹線で通い始め、今でもその生活が続いている。良かったなと思っている。
着任当初、街には人っこひとり見えなかった。母親が子を外に出さないのだ。この様な状況で果たして仕事が出来るかなと迷う日々。2年経ち漸く、子供たちの歓声が聞こえる様になった。「まほろん館」にも子供の歓声が聞こえ始めた。当博物館では子供たちが飛び回るっている。この博物館はそれを止めない。その方が嬉しい。子どもたちが元気になってきた。
”まほろん”とは”まほろば”と”ろまん”からの命名。まほろん館の大きな任務の一つが放射能を浴びた文化財の保護。浜通りには多くの被災文化材が生じた。埋蔵文化財の保護だけが館の仕事ではない。多数の、放射能を浴びた文化財を確保した。浜通りの人たちが使用していた民族資料・お祭りの道具・歴史的資料・古文書などの放射能を測定し、その軽いものは館の収蔵庫に運び入れ整理し直し、まほろん館で展示。福島の被災した人たちに見てもらった。よくまあ残しておいてくれたと感謝された。改めて自分たちの営みの素晴らしさを実感された様子。非常時に文化財を守る、それも文化財保護に携わる者の大きな仕事だ。(次回に続く)
今日の一葉(東京国立博物館内のユリノキ)