A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

旧字体って……イイよね・・・(恍惚)

2007-09-25 23:11:40 | 小説の書き方
はいそこ引かない。
多少毛色の違うものを読もうと実家からちょっぱってきた「武士道」(新渡戸稲造著)を読んでいる人形使いです。
旧字体で思ったより読みにくいですがそれも味のうち。
苦労しながらも読み進めていくと、非常に共感できる一文が。以下抜粋。

「またある人は学問を臭き菜に喩え、『学問は臭き菜のようなり、よくよく臭みを去らざれば用いがたし。少し書を読めば少し学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりものなり』と言った。その意味するところは、知識はこれを学ぶものの心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識となる、と言うにある」
「武士道はかかる種類の知識を軽んじ、知識はそれ自体を目的として求むべきでなく、英知獲得の手段として求むべきであると為した。それ故に、この目的にまで到達せざる者は、注文に応じて詩歌名句を吐き出す便利な機械に過ぎざるものと見なされた」

然り。然り、然り。
得た知識は自慢したりひけらかしたいというのが人の情というもの。けれどそれは、知識の獲得を自分を高めるためでなく人に自慢したりひけらかしたり、もしくは人から賞賛され、誉められるために行うようになることに繋がる。知識の獲得の動機には得てしてそう言った不純物が混入しやすい。スポーツや武道の稽古にも当てはまる。もちろん人から誉められることは必要だ。ただしそれはあくまで強化子としてであって、それが目的になってはいけない。そうなることはあってもそれははあくまで過程であって、最終的には、否、可能な限り早い段階でそれ自体が動機とならなければいけない。
名誉欲や功名心といった不純物の混入しない、昆虫の如き純粋な行動原理で知識・技術の獲得は行われるべきなのだ。

……とか偉そうに語ってみたり。でも本心です。
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