A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

第21回博麗神社例大祭戦利品レビューその11-4

2024-08-05 22:52:47 | 同人誌感想
 いよいよ今週末は夏コミ本番。
 それまでに例大祭戦利品レビューは終わるのか。それはゴッドミソスープ。
 
・東方SFアンソロジー 夢現理論の臨界点(東方SFアンソロジー製作委員会)
 まだ半分も終わってませんが夏コミ出発前までには終わらせます多分きっと。
 
・SFがSFたり得る所以とは 科学世紀ではSFは成立するのか(サファイア妖夢氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「SFの世界に近づいた世界のSF」。
 今、自分がこうしてブログを書いているパソコンやインターネット、スマホなどはかつてはSF作品の中の存在でした。それらは2024年現在すっかり現実のものとして定着しています。
 本作ではそんな「SFの世界が現実になった未来世紀」において、秘封倶楽部の二人が「古典SFばかりが注目されて新作SFが興味を引かれない」という未来世紀のSF事情について談義します。
 作中でふたりは実在するSF作品を例に上げて議論を交わしますが、蓮子の「SFがSFとして成立するのは『科学に新世界の開拓ができる』という希望がある時代だけ」という言葉にはなるほどなーと思いました。
 SFの大きな魅力は「未知」です。その「未知」は科学技術の発展に伴って「既知」になってきましたが、それは同時に未だ知らない新世界の減退を意味するものでもあります。そして最終的に科学の発展は人類が踏み込める未知の世界の限界点を示してしまう……というのはなんとも皮肉なものです。
 
・煙人(灯眼氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「迂遠な時間」。
 SF作品というものはしばしば長大な時間を舞台にするもの。ページを1枚めくっただけで数百年、数千年という人間の寿命からすればあまりにも長い時間が経過することもあるものです。
 本作は、9ページという短いページ数の中で、不老不死の蓬莱人である妹紅が遠大な時間をかけて月へとつながる軌道エレベーターを素手で登っていくというもの。
 作中の妹紅は無限の寿命を持つがゆえに、快楽に耽溺すること解脱を求めて修行することも最終的にはすべて無意味だと悟っています。そんな彼女が「登る」という行為に執着し、その姿を人間とは大きく隔たったものに変えつつもその行為を継続していく姿を見て、人間には天、つまり未知の領域を目指し続ける走性のようなものがあるのではないかと感じました。
 そしてそんな遠大な時間をかけて到達した場所は未だ月には遠く……というラストは、ある意味では一種の救いだったようにも思えます。収録順に読んでいるので本作は前段の「SFがSFたり得る所以とは」のあとに読んだわけですが、本作のラストはそこで書いた「最終的に科学の発展は人類が踏み込める未知の世界の限界点を示してしまう」のカウンターとも言える「遠大な時間をかけて人類が到達できる場所は未知限界点のはるか手前でしかない」というように感じられました。
 
・臣上宮太子言(よしれっくす氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「オカルトとしてのSF」。
 未来世界のいずこかで発掘された謎の歴史書。年代すらもわからないその歴史書は、豊聡耳神子が記した宇宙創生から日本神話の有名なエピソードであるイザナギとイザナミの黄泉がえりを記した驚くべき書だった。
 本作の解説にもある通り、SFとは未来世界だけでなく過去世界も描けるもの。しかるに本作のような「遥か過去に当時には知りようもなかったはずの情報が記された書物があった!」というエピソードはかつて月刊ムーを定期購読していたような種類の人間にはもうそれだけでテンション上がるというものですよ。
 わたくし不勉強で知らなかったんですが、これまた解説によれば本作は2023年11月に実際に奈良県明日香村で新しい遺構が発見されたというニュースをもとにしたものだそう。そういや昔月刊ムーにて聖徳太子の所持品に地球儀らしきアイテムがあったとかいう話を思い出しました。
 
・サンズリバー、流ないでよ(水之江めがね氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「文字媒体でのループ表現」。
 タイトルですべてを察して読む前から爆笑してしまった逸品。
 ネタ元である「リバー、流ないでよ」は時間系SFの新境地を切り開いた作品として「ドロステのはてで僕ら」とともに大好きな作品です。
 本作はネタ元の「2分毎にループする」というループ構造を「決まった行数とページ数でループする」という形で小説媒体で再現しているのがまずアイデア賞もの。
 そしてそのループ構造の中でのドタバタもネタ元をしっかり踏襲したうえで東方二次創作としての面白さもしっかり確保しているのがすごい。ネタ元の方では京都の貴船にある温泉旅館が舞台なんですが、これを東方二次創作で再現するにあたって舞台を旧地獄の繁華街、メインキャラと勇儀とパルスィにするというチョイスが実に上手いです。
 
・くだんの首(福井実継氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「怪談としてのSF」。
 文明と科学技術の発展の前に未知という姿をした怪異がすっかり姿を消してしまった未来世紀。しかしそんな未来の世界の中、ぽつりと生き残った怪異「くだん」の話。
 小説における文体、地の文というのはその作品の空気感や雰囲気を決定づける重要なポイントだと思うんですが、本作の地の文におけるやや時代がかった言葉遣いは独特の暗さや不穏さを醸し出しており、怪異が本格的に登場する前からじっとりと湿った空気感を醸し出しており、いわゆるジャパニーズホラーの空気感があります。
 同時に、未来を語る予言の妖怪である件、そしてこの世に残った最後の妖怪となったかつての慧音が語るのは、輝かしく希望に溢れた未来像とは真逆の、遠大な時間の果てに、しかし確実に間違いなく訪れる「宇宙の死」という最終的な終わりというあたりにアポカリプス系SFの味わいも感じました。
 妖怪というのはしばしば何かの戯画化として描かれるもの。
 未来世紀の中にあってやがて確実に訪れる「終わり」を叫び続ける件の姿は、文明に追いやられた最後の妖怪であるとともに、未来の人々が目を逸らし続けている「やがて来る終わり」という不都合な真実の戯画化なのかもしれません。
 
 今日はここまで。
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