A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション前章・後章」見てきました!

2024-07-18 23:07:46 | 映画感想
 毎週木曜は滑り込みの日。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 
 
 本作に関しては原作をちらっと読んだことがある程度で詳しい内容は知りませんが、かなり独特な世界観だったのでちょっと気になってた作品。
 公開当時は結局見てなかったんですが、今回塚口で上映するというので見てみることに。
 ちなみに浅野いにお作品は「おやすみプンプン」をタイトルからファンタジー的なほのぼのマンガだと思って読んでオゲェェとなるといったおもひでがあります。この傷は私の宝です。
 さておき、恒例の待合室は現在こんな感じ。
 
 
 塚口のファッションリーダー秋山殿の装いはミニオンズ。来月辺りにはあぶデカになってるに100万ガバス。
 そして壁の方には……
 
 
 推し過ぎ。サンサン劇場はどんだけあぶデカ好きなんだよ。普通年表まで作らねえよ。
 年表には「ドラゴンボール連載開始」「ドラゴンクエストⅢ発売」などという文言が記されておりめまいがしてきます。1986年……。
 こうして年表で見てみると歴史のある作品なんですよねあぶデカ。TVシリーズもみんな見てたし金曜ロードショーで放映されると必ず見てたしなあ。
 などとノスタルジーに浸りつつ上映開始を待ちます。本作、なんだか妙に年輩の方が多かったように思います。そういう年齢層に支持されてるんだろうかこの作品。なお「お前も年配じゃねーか」とか思った人は深夜に自宅に忍び込み家中のコンセントに紙ねんどを詰め込むの刑。
 
 さて感想に行きましょうか。
 仲良しの高校3年生、小山門出と中川凰蘭ことおんたんは、クラスメイトと平凡な日常を過ごしています。しかしその3年前の8月31日、東京上空に突然巨大な飛行物体、通称「母艦」が出現。それ以来、東京ではその「母艦」の浮かぶ空、そして自衛隊と母艦から現れたと思しき宇宙人の戦闘が日常となっていたのでした。
 そんな非日常が日常となった世界には、人知れず終焉が迫っており……。
 こうした作品は「突然の出来事から日常がいきなり崩れ去る」というのがお約束でしたが、いつからか「現れた非日常がいつしか日常に覆い隠されていく」という展開が増えてきましたよね。この辺に地代というか世相の変化を感じます。いい意味でも悪い意味でも「非日常」というものに夢が見られにくくなったってことなんでしょうか。
 本作でも、宇宙人の「母艦」出現からわずか3年で日本の人々はその非日常に慣れてしまっている描写が秀逸。門出やおんたんたちが年相応に学生生活を楽しんでいる場面だからこそ、「母艦」の存在が不気味に浮かび上がるのが不安感を煽ります。
 しかし、この非日常が完全に日常に多いか隠されてしまっているかと言うとそうでもない。「母艦」は人類を直接攻撃してくるわけでもなければ、中の宇宙人たちも自衛隊に一方的に駆除されるほど脆弱。しかし「母艦」や宇宙人の存在は人類にとって脅威であることには変わりなく、人類社会は次第に、あるいは勝手に混乱していきます。このどちらか一方に傾ききらないバランス感覚がなんというか「世の中そんなに単純じゃないよなあ」といった感じです。
 いきなり終盤について触れますが、なんやかんやあって「母艦」は墜落、人類は未曾有のカタストロフを迎えるかに見えます。いや実際、作中で東京が受けた被害はカタストロフと呼ぶに十分なものだったでしょう。
 しかし世界は崩壊しきらない。なんとも中途半端な崩壊を経てなお、世界と日常が容赦なく存続していく。門出やおんたんが常々口にしていたようには世界は都合よく滅んでくれなかった、というあの結末は、いわゆるモラトリアムがモラトリアムのまま完結してはくれなかったというラストだと解釈しました。
 門出もおんたんもそれぞれ誰もが経験する、しかし彼女らにとっては頭上に浮かぶ「母艦」と同じくらいの脅威であるさまざまな悩みを持て余し、それらすべてを解決する方法として「世界の崩壊」を望みます。本作は、そんな彼女らのモラトリアムこそが崩壊するべくして崩壊した物語のような気がします。
 
 「母艦」や宇宙人に関しては、門出やおんたんが抱える「将来への漠然とした不安の象徴」として彼女らの頭上に覆いかぶさっているものであって、その正体や目的などが具体的に明かされることはないというパターンだと思ってました。
 しかし「母艦」側の事情もかなり具体的に描写されたのが意外。しかもこっちはこっちで実は大多数から侵略の名目で切り捨てられた側だということが判明。侵略者側も決して万能で超越的な力を持った存在ではないというのが「第9地区」を思い出させます。
 意思の疎通もできない宇宙人のひとりをふとしたことから匿って、彼が持っている道具を使って……というどっかで見た流れもありますが、やっぱりそれで世界を大きく変えることはできない。
 後章ではおんたんが時間軸を転移してやり直しを行っていたことが判明しますが、正直この作品のキモにあるのは、「宇宙人が攻めて来ようが時間軸を移動しようが結局世界は都合よく滅んでくれたりはしないから、いやおうなく『その後の世界』を生きていくしかない」ってポイントだと思うんですよね。だからこそ門出やおんたんのだらだらした日常生活の姿が輝くという。
 本作はいわゆるセカイ系にも見えますが、その実けっこう真っ当な青春ストーリーでもあると感じました。やはり鑑賞後に心に残ったのは日常と非日常のシーソーゲームのバランス感覚の絶妙さでしょうかね。
コメント
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