崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

友愛friendship

2018年08月17日 06時06分25秒 | 日記

旅券を新しく10年間のものに更新した。古いものは外国へ出かけた自分史の良い資料である。市役所は親切である。庁舎内を歩いてみた。ショッピングもした。家内は数か所で知り合い人とあいさつとお喋り、私はその夫とされる。私は下関の人をほぼ知っているような親しさを持っていたが錯覚のようである。それでも友人は多いと思う。しかし変なこともあった。下関に来てからの古い在日友人が先日私の本に反対意見のような話をして、一方的に絶縁されたような状態になっている。私の本は読んでおらず、噂を聞いてそうしているのではないかと気になる。私が思う友情観とは政治や利害などをはるかに超える人間関係だと思っている。愛情はさらに精度の高いものであろう。「友愛friendship」とは知識と情の深い精度の高いものであろう。


ノモンハン

2018年08月16日 05時29分14秒 | 日記

 昨日下関に雨が降ったが果樹園などで水が足りないという。8月も中旬が過ぎ、猛暑と台風騒ぎも峠を越えるかと期待する。大学は盆休み閉鎖中、今日の読書会も休まざるを得ない。私のリズムを崩したくない。執筆は続く。家内は熱心に校正する。その最中、拙著『慰安婦の真実』にアマゾンでベストセラーマークが復活した。嬉しいが気になる。韓国や台湾などでの慰安婦の話題の動きに連動するのか、読書力の上昇であろうか、戦争メモリアル話題が豊富な8月の日本、昨夜NHKの関東軍の「ノモンハンの戦い」の番組を視聴した。天皇と参謀本部のコントロールが効かない、軍自体の作戦で大きい犠牲を出したことがテーマであった。今、軍へ文民統制が問われる日本。憲法改正、国民の平和を愛する心とシステム構築が必要である。


「無知」の力

2018年08月15日 05時29分58秒 | エッセイ

 今日は1945年8月15日の記念日である。韓国では国家指定の「国慶日」であるが、日本では祝日ではない。ただ終戦や敗戦の記念日といわれる。国家とは別に私にとってこの日はどんな意味だったのだろうか、考えてみる。7歳ころの私のその日の記憶としては、嬉しいこともなかったと覚えている。日本人の敗走、敗戦の意味が多かったように感じた。当時我が村では国家の勝利も失敗も無感覚であった。それは客観、中立的であったからとはとても思えない。ただ「無知」であったからだと思う。それは侮辱的な言葉かもしれないが、ある意味では正しい。最新著で私は戦争中に農民が共産主義にも民主主義にもどちらにも味方をせず比較的に無事だったと書いた。「無知」の力だという趣旨である。それを張竜傑教授が正しく評価してくれた。幼児の平安な顔から平和を感ずる。悪がしこい人が多すぎる世間が問題である。 


関門花火

2018年08月14日 06時27分56秒 | 日記

  関門花火大会、例年知人を誘って観覧するのが恒例になっている。昨日は朝から玄関から部屋とベランダまで接客モードに家具配置、熱帯植物の鉢物置きなどセッテングした。昨夜の客はたった父娘の二人だけ、教会の名誉長老の具滋東氏84歳。小学校4年まで日本で生活し、韓国金泉に帰国し高校3年まで、日本に密航して父との邂逅、在日となったロングストリーが語られた。日本語は全く忘れても九九暗記と教育勅語の言葉は口についていた。異様な記憶と忘却に自ら驚きながら話は続いた。日本で李仁夏、金源治らの牧師などの助けにより高校の卒業証をいただき、大学で経済学部経営学科で勉学された。中学校3年の時、金泉で朝鮮戦争になり、釜山まで避難して戻った時には市が全焼し、方向感覚を全く失ったという。そして私の戦争記憶力を褒める。娘さんは80年代に韓国延世大学で修学、民主化の話に二人の現代史が語られた。私は全く良い聞き手になった。家内は前日から買い物、韓国料理を作った。私の口に合うもので彼らにも合って、お客さんが喜んで美味しく食べ、わが夫婦は話を楽しく聞きながらの共食であった。家内の腕マェに敬服、下関と門司から花火が上がると食事は中断、下関に長く住んでも初めて観ると歓声を上げた。花火が終わってから主食を食べ、フルーツとコーヒーが済んでかなり遅かったが交通渋滞は続いていた。9時就寝の私には疲れも残ったが楽しかった。

 


報道攻勢

2018年08月13日 05時34分20秒 | エッセイ

 メディアで山根明氏殺し(?)埃叩き・袋叩き式報道攻勢に彼は「男らしい決断」という言葉で応じた。会長を辞任しながら涙汲んだ。信念と友情の強い人という自覚があるからであろうか。ある週刊誌には母が韓国人、「在日」、密航した人などと興味を引くように紹介している。年齢も「定かではない」とも書かれている。私と同年代、辛い人生経験の持ち主であると同情する。
 「民衆の杖」「民主主義の堡壘」と言われて羨望の職であった記者職は今では必ずしもそうではない。私はメディアとは記者を指す。記事の書き方などはもちろん、教育者として良い人間、よい記者を培養しなければならないと常に思う。


出版文化

2018年08月12日 05時36分25秒 | エッセイ

先日一日中、親しく同行してくれた韓国の学者、また別の出版の打ち合わせをした研究者から聞いた話である。韓国では本を出版する魅力がないという。それは韓国の教育省が評価してくれないからだという。中国でも似たような話を聞いている。中国では圧倒的多数の研究者がほぼ自費出版しているので評価されることはないという。中国や韓国は研究者の一般出版に関しては否定的である。
 日本では厳しい編集過程を経て出版される。それは研究業績としても評価される。自費出版、自家・自作の出版、電子出版など多様であり、本の評価が難しくなりつつあるが、読者からの評価で重要な出版文化が存続している。私は常に政府の評点を気にせず読者ファーストと思って本を書いている。


「愛着」と「日本感」

2018年08月11日 06時09分32秒 | 日記

 4日前の夜の大越清美氏との対談式の講演会に二人の新聞記者が来られたのを記事を読んで分かった。私が下関に住み始めた時、島流された気持ちから下関に愛着心の強い人に変わったという話がメインに紹介された。それは拙著『雀様が語る日本』に書かれたものでもある。毎日新聞(山口地方版)に「下関への愛着語る」、長周新聞には「日本感を語る」という見出しとなっている。「愛着」と「日本感」として受け入れられて嬉しい。日本や下関を愛することは「他」を憎むということを意味するのではない。一般的に「愛憎」が一緒に語られるが、私はそうではない。さらに一般的に言うと、私が韓国でこのように日本が好きであると語り続けて「親日派(最高の悪口)」となった話もしたが聴衆の耳には残らないようである。


下関国際

2018年08月10日 05時36分56秒 | 日記

 猛暑の中の甲子園球場の熱気、それは私にも伝わってきた。スポーツ競技の観戦にはどちらかと言えば応援するというよりは審判の立場で、観戦でしていた。しかし昨日の下関国際と花巻東の観戦には完全に下関側に立って猛烈に応援する気持ちだった。10年以上住みついて地元(?)の人になった感があった。延長戦の末に4-2での勝利には一人で拍手をした。郷土愛やナショナリズムも若干理解できそうである。前日の夜裏町塾で下関を愛すると言って、毎日新聞(地方版)で紹介された通りになった。排他、縄張りの頑固な郷土愛の地元にはなりたくない。日本を愛し、アジアへ、人類愛へと広げていきたい。


奥さんに感謝して何かプレゼント

2018年08月09日 05時46分59秒 | エッセイ

 俳優の津川雅彦氏が4日、心不全のため死去した。78歳。東条英機など歴史上の人物を多く演じた俳優であった。コメンテーターとして番組に多く出た。1973年に女優の朝丘雪路さんと結婚、仲良し夫婦として知られた。認知症のため死去した最愛の妻を、最後まで献身的に介護したことが知られた。妻の死について聞かれて「彼女を残すよりは良かった」「すべてに感謝している」と心境を語っていた。私は妻より先に死ななければならないと思っている。愛情が足りないと思う。
 大越氏と対談の時、家内の協力に触れ、彼女が私に「奥さんに感謝して何かプレゼントをしましたか」と聞かれて困ったことを思い出す。私の理屈的弁明はこうであった。受賞式の時、私と家内が同時に壇上で私が賞状、家内が花束をいただいた。主催者の温かい配慮に感謝した。これが私の家内への間接的な感謝になったと語った。その時の写真などが昨日届いた。


『雀様が語る日本』

2018年08月08日 05時34分49秒 | 講義

 昨夜下関の「裏町」で女性と長く話をした。しかし品のない世間話ではなかった。私は旅辱が解けず打ち合わせを全くせず演壇に座った。顔見知りが多く、緊張することはない。若干どう進行できるか不安があった。大越清美氏が拙著『雀様が語る日本』を精読してなぜ「雀様か」、崔の「山」を「少」に誤認される面白さから、日本文化論へ問題点を以て次々提案、誘導され整理良く進行された。観衆の明るい表情が終始一貫した。時間になり残念と思った時、医学博士の上領頼啓氏の日本植民地への質問は正鵠をさしたが慰安婦には触れずに乾杯音頭が行われた。その直後『慰安婦の真実』について「真実」について戦争日記の価値、それが「真実」であることこを語ることができた。その後テーブルを回り、「雀と崔」の誤認の事例、曾田聡氏が「聡」を「恥」と書かれるといった。笑い、面白い、それは選挙演説のトッピク、効果の高いエピソードだと大笑い。私の寝る時間だということでひとまず閉会。しかし、宴会はまだまだ続くだろう。*写真は秦穴、大越の両氏。


共産主義、市場経済の現場

2018年08月07日 06時27分24秒 | 日記

 車とオートバイの縦横突進の交通混雑、市場より混雑な空港の風景が深夜の待合がロビーにそのまま残っている。ガイドさんは中国の人権問題が酷いという。韓国企業の大進出、物価が安いというが貨幣単位は何十万、何百万になっている。この数字、計算力はどうであろうか。20数年前とは若干変化したかのように感ずる。共産主義、市場経済の現場がどう変わるのか、心が重い。飛行機に疲れ、昨日日中から休んでやっと今朝回復気味、今日は大越清美氏主催の「海峡裏町文化塾」で講演、対談がある。懐かしい顔たちとの楽しい時間である。楽しみにしている。


ベトナムでは反日はない

2018年08月06日 09時44分12秒 | 旅行

 昨日午前中はハノイ市内観光をした。わが夫婦と韓氏夫婦とホテル推薦観光会社によるもの、貸切りの車だった。日本語ガイドはおらず、英語でのガイドのシンさんに案内された。まだ観光システムがきちんとなっていない。雨の中、ホ―チミン博物館、孔子廟、道教寺院などを見て回った。重労働のような観光であった。80年間のフランス植民地、日本の占領についてガイドさんに国民に反日や反仏の感情はないのかと質問した。彼は強く、否定NOと強調した。韓国の反日とはとても対照的に感じた。ガイドと別れて食堂に入った時、韓氏の携帯電話などを車においてあることに気づき、ガイドの連絡先も知らず一時パニクになった。ホテルに電話して解決できたハプニングであった。帰国の飛行機は翌日早朝であり、時間待ちの中でロビーで顔見知りの方々にあった。彼は慶熙大学の教授、京都大学留学の学歴者、楽しい長いストリーが深夜まで続いた。疲れて福岡駅に着き、桃太郎にになった感じがした。


フィナーレ

2018年08月05日 06時16分04秒 | 旅行

  朝食から夜の飲み会まで人との出会いであった。古い弟子や新しい人との立ち話、飲食の嬉しい時間であった。ワンアジア財団(佐藤洋治)に感謝したい。アジア共同体へを目指して世界から人が集まった。参加者は国別では中国が多かったが朝鮮族か、韓国人であり、圧倒的多数は海外朝鮮人であった。日本人は少ない。日本発祥の動きからで出来上がったことを知らなければならない。韓国のロッテのベトナムへの進出により良い会場であった。このような多人種、多言語の集まりでは発表の内容も内容であるが、英語、スピーチなどのプレゼンテーションが重要である。英語で画像と動画などを利用しながら建築を通してのワンアジア(国士舘大学の国広ジョージ氏)は面白かった。後に国広氏と長く立ち話をした。彼はアメリカ生まれの米国籍、ネーティブの英語であった。

 昨日の晩餐会では国ごとに唄って良いフィナーレであった。また二次会に誘われた。ホテルの外の町の中のキンバブというバーで本当に最終の集まりであった。そこはフィナーレではなかった。オランケイ(野蛮)という5-60代の若手の集まりの準備会であった。そこには早稲田大学の李成市教授がいて、36年前韓国の我が家を訪ねてきた話、彼のゼミ学生の弟子である毎日新聞の西嶋正法氏の話をした。日本時間では深夜、大連大学の呂秀一教授がホテルまでのタクシーで送ってくれた。


20数年ぶりのハノイ

2018年08月04日 05時02分14秒 | 旅行

 福岡からベトナムのハノイへ一気に飛んだ。空港では財団案内の学生たちに迎えられ大型シャトルバスでコンベンション会場のロッテホテルに向かった。20数年ぶりの訪問である。会場へには少し遅れたが歓迎の民俗舞踊の観覧、そしてサプライズ、元アメリカ副大統領のアル・ゴア氏の講演を聞いた。地球温暖化について悲観的と楽観的な二つの見方があると言う話、分かりやすい英語、説得力あるパーワーポイントに感動した。地球全体が暑くなり、洪水、旱魃などで多くの人が死んでいく。楽観的な見方とは前者の意見へ反対するとか逆論ではなく、対策の在り方を提示した。私は両面の見解を提示し、どちらを選ぶかというレトリックと思ったが否定的な現象から対策への政策論であり、やはりアメリカの大統領のにふさわしい発想であると思った。政治家のスピーチの上手さに感動した。続いて「未来への希望」というセッションが行われた。東大の田中節三教授の話には鱗が落ちる。寒帯地域でもバナナが栽培できるという研究発表であった。早速挨拶を交わして著書をいただいた。世界から集まった650余名の学者に旅費、滞在などを提供し、研究発表、文化交流、ネットワーク構築へ寄与するワンアジア財団の佐藤洋治理事長に感謝である。私は韓国や日本などで活躍する弟子、後輩に会った。ベトナムの伝統音楽の中で豪華な食事、わが夫婦は日本での受賞の時の、豪華な帝国ホテルに続き幸せな時である。今日は学術発表会などに参席、明日の深夜便で帰国する。


インタービューと伊東順子氏の書評

2018年08月03日 05時15分33秒 | 研究業績

 百貨店に行き、くまざわ書店にも寄った。私の寄稿文の入った雑誌『歴史通』、新刊拙著『米軍慰安婦の真実』と『慰安婦の真実』が20冊ほども店頭などに平積みになっている。私がここに住み、大学、在職中であるので本屋の配慮であろう。感謝である。しかしこの地域の新聞などのメディアは一切触れていない。本欄読者も下関の人が一番多いと思うが、なぜメディアは関心がないのか。もし右、左を意識しているのであれば、メディアの姿勢は間違っていると思う。その中に全国的評論紙である「日本時事評論」(2018.8.3)に田村伸氏の私へのインタビュー記事が2面全面開きに記載されている。私の研究からの見解が詳しく語られている。また昨日本欄に紹介されている伊東順子氏の書評が寄せられている。本格的な書評に心から感謝、感激である。本を読んでいない人たちのうわさ話とは異なる。昨日の読書会では慰安婦に関して韓国のダブルスタンダードつまり反日と反米への異なる態度、韓国の貞操観について議論した。