崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「神様の意」

2019年01月29日 06時11分17秒 | エッセイ

 市役所のフローラで堀晃氏の遺作展という新聞地域欄を見て昨日寄った。彼が生前寄付した大型の魚の絵、海岸の海の絵の2点だけ、それも常においてあるものである。彼の死去については私がブログなどSNSで報じたことがある。読者はただの受け身ではない。情報発信の主体になる時代に来ている。今若い世代はネットで早く情報を得て直接コミュニケーショができる。私も朝早くネット上ヤーフ、グーグル、ネバー、ツイター、ネット新聞などでニュース、評論を読み終わって後に朝刊、テレビの順に情報を得る、その時はすでに旧聞になる。若者が新聞を読まないのは理解できる。
 昨日70年代から日韓を往来しながら牧会してきた金鐘武牧師と教会をめぐる回顧談が出来た。彼はある教会を活発に復興させている中、定年を迎えた。その消失感、戸惑い感を隠せない。私はその面で先輩であり、私の体験談が少しでも慰労になればという思いだった。私の入信体験には牧師ご夫妻は驚く表情、私が慰められた。どうしてこのように生きて来たのかという自問に彼は言った。「神様の意」であると。