崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

私の誕生日

2012年06月18日 04時53分26秒 | エッセイ
 昨日は私の誕生日、ソウルから来てくれた姉と甥、在日キリスト教会の牧師と信者10余人と近所の方が集まって祝ってくれた。韓国から張竜傑氏の祝電や中村八重氏と倉光誠氏の花束が式壇のようになり、家庭礼拝式になって鄭牧師のメッセージ、李相睦氏のお祈り、讃美歌を歌うなどで満たされた。私は誕生を祝っていただけることを幸せと思い感謝の気持ちでいっぱいだった。二十歳頃に人生を新しく生きると決心してクリスチャンになって教会を離れず守ってきた信仰であるが、毎日新聞の西嶋さんは初めての異文化体験のように目を丸くしていた。宇部教会の牧師から牛肉と雲丹、鄭さんからは豚肉とキムチ、下関グリーンモールにある食堂のシオンの洪女史のわかめスープやナムル、川中にある焼鳥屋さんのご主人作の焼鳥、ソウルからのキムチや餅、李長老の大型スイカ、近所から卵料理とたこめし、くだもの、西嶋氏からのお菓子、山本氏からのチョウコレットなど持ち寄りの食べ物と家内の料理もあり、豊富、豊かさを感じ、楽しい昼食の時間であった。
 私が北朝鮮で撮ったボンス教会の礼拝の映像を上映した。北朝鮮にキリスト教会があるとはなかなか信じられない反応であった。信仰の自由のない国家に教会があり、礼拝が行われることは国の宣伝にすぎないという意見が多い。北朝鮮の朝鮮キリスト教総連盟の委員長のカン牧師はこのような教会以外にも意外に「家の教会」が1万6千もあると聞いて私も信じられなかった。クリスチャンが存在するなら「将軍様」と「イエス様」は両立するのか、日本の戦前のキリスト教を思い浮かべる。信教の自由は民主国家のバローメーター、独裁鎖国の国家の北朝鮮の「自由」と「独裁」の矛盾を解明することは誰もできない。祝賀会と矛盾した話題も延々と続いた。