崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

居眠り社会から醒めた社会へ

2010年12月14日 05時13分35秒 | エッセイ
おそらく60才ころ自分では「これから居眠りと戦いだ」と書いて、居眠りしないように自ら戒めた覚えがある。私は長い人生の中で居眠りを抑制する自分なりのノウハウが沁みついていると思う。しかしそれが限界を感ずるようになった。三日間の朝から夜遅くまで会議や懇親会では一度も居眠りしたことはない。昨日は東京から帰宅してソファーで1時間も居眠りをした。居眠りをこんなに長くしたことはなかったのに自分でも年を感じている。居眠りから、熟眠、そして永眠になるのだろうか、老化現象を感ずる。
 私は時々学生の居眠りに不満を書いたこともある。あるいは車内の居眠りなどを見て日本文化のマイナスの習性のように解釈したこともある。数日前に東京の二大学で講義中の教室を覗いてみた。居眠りする学生は見当たらなかった。私は講義中居眠りする学生には過剰反応のように大きい声で注意をする。留学生を対象とする教材「日本事情」に日本の大学では居眠りや欠席が自由だと書いてあるがその文章だけは使わない。多くの教員は学生の居眠りをほっとらかしている。居眠りは病気ではない。コントロールが利く習性である。活気のない「居眠り社会を醒めた活発な社会」へ変えたい。講義中の教室を見まわってみるつもりである。勉強に熱心な留学生たちが日本のこれだけは真似しないようにしたい。(写真は韓国の大学の講義室)