崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

年頭エッセイ:私の「戦争と平和」

2010年01月02日 06時48分32秒 | エッセイ
 地域新聞「長周新聞」の2010年元旦新年号に私の年頭エッセイ:私の「戦争と平和」が届いた。新年号にとしては重い内容かもしれないが、自分の人生観を書いたつもりである。昨日は教会の新年礼拝と愛餐会、830ページの拙著の原稿を送稿、年頭エッセイの拝受など、新年初頭から収穫のある始まりであった。

        崔吉城:私の「戦争と平和」

 突然「あなたの人生観は?」と質問されたら驚くか大変戸惑うと思う。まるで子供から「月はなぜ落ちてこないの?」と問われたように戸惑ってしまうだろう。しかし私には正解とは言えなくとも「あなたの人生観は?」に対してはそれなりに答えが用意されている。それは「戦争哲学」といえるほど朝鮮戦争からの影響とクリスチャンであるという二つが柱になっている。それは私の強さと弱さでもある。世間では経済不況といわれても朝鮮戦争の時を思い出すと生き残れる自信がわいてくる。このような経験は私世代の日本人は戦争期の日本を思い出せばよいと思う。
年を重ねるごとにもの忘れも激しくなる。しかし若いころのことは忘れない。私は朝鮮戦争を鮮明に覚えており忘れられない。しかし、それはただ自分が記憶している部分だけのものであり、全てではない。それも当時の気分などは正確ではないものもあれば、詳しいものもある。確かなのは、戦争はいけないことだなどという反戦倫理のようなものは、当時の私にはなかったことである。辛くて、怖くて、そして面白いなどの混乱した心理状態であった。
戦争は怖いものであるが、楽しんでいる者がいるから起きるし、続くのであろう。戦争が我が村を死骸化し、米軍によって完全に売春村化としたが、貧乏な人が運を変えるチャンスでもあった。車を見ることもなかった村の空に飛行機が落下傘を落とし、缶詰やコーヒーを味わうことができたのも戦争のおかげ(?)であった。私はその戦争のさなかの記憶を書き残したい。それは悲惨な事を一方的に強調するとか、オリーバーストーンの戦争映画の中に出てくるヒューマニストについて書くつもりはない。私は戦争や植民地からの引き上げの話を多く読んでいた。ただ悲惨なことを読むだけでは読み続けたくないと感じた。それとは違う、メッセージ性のあるものを考え、残したい。
 私は最近サハリンでの終戦直前日本人による朝鮮人虐殺事件を調査してあまりの出来事に震えながら書いたのが『樺太朝鮮人の悲劇』(第一書房)である。それは戦争期、特に交戦中に人は判断力が低下し、噂やデマに左右されて大きい間違いも起こすことの証言のようなものである。多くの戦争映画や文学作品は戦争中に人間が動物化しているとも描かれている。
 避難の途中漢江を渡ってみると一人の中年男性が水に溺れながらようやく河からはい出てきて濡れたまま慟哭していた。渡り船が転覆して妻と子供を川水に流されたという。かわいそうだと思うだけで、人のことにかまっていられず早足で先に進んだ。その晩は真っ暗で道もわからず、今のソウルの江南のネギ畑を走った。ネギが破れる音がして煩かった。ある小屋で避難民の群が休む時サーチライトに照らされると悲鳴をあげる人もいた。一緒に避難した親族たちは離れて行った。今はソウルの江南という繁華街になっている。このあたりの地名を聞くたびにネギが破れる音が聞こえるように昔を思い出す。
 戦争中武器を持っている軍人は怖い。なにをするかが分らない。朝鮮戦争支援軍として参戦してわが村に駐屯した中国の軍隊の中にはまだ幼い少年のような軍人が時たまさびしそうにしており、涙ぐんでいたのも見た。隣村の全家族が虐殺されたり、村人も残虐になり軍人を殺害したりした。死臭のある所を過ぎる時は蠅群が飛びあがる音がした。感情がマヒしてしまい可哀そうだとか怖いとかということもあまり感じることなく、すごく臭くて嫌であった。倫理はいうまでもなく、全く治安不在の期間を私は何度も経験した。国家間の戦争は軍人同志の戦争のようであり、実は一般民衆さえ堕落することを私はこの目で見た。今まで宿命的運命共同体ともいえる近い親族も頼れない。家族以外に集団の意味がない。
 オスローでのノーベル賞の授与式でオバマ大統領が「戦争と平和」を語り、アフガン戦争をテロと過激派から守るための戦争だと戦争を正当化した。日本の天皇や総理がこのような演説をしたらどうであろうか。アメリカではウォザーの正しい戦争論が横行するという。平和賞をもらう人が戦争を正当化するのは皮肉なことであり、矛盾極まるといえる。この論理であればあらゆる戦争や侵略、喧嘩も認めざるを得ない。平和を守るために戦うことは賛成であるが「戦争」という手段はいけない。武器を持って平和を実現しようとする人に平和賞は相応しくない。テロの内側を理解して平和的な外交に努力すべきである。トルストイの「戦争と平和」「風と共に去りぬ」を再吟味する。
私は戦争を通して人が生きるためにいかに力と知恵を発揮するかも知ったが個人が如何に人格を堕落、破壊させるかも知った。人を殺すのは軍人だけではない。平和な心を失い、秩序も失う。警察の存在に感謝したくなる。私は思う。平和は自然な心ではない。積極的に守る装置が必要である。そのために多いに教育が必要である。ただ平和という名目を借りるものにならないようにするために大きな課題があろう。