かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

高齢労働者が貧困にあえいでいるからといって、切り捨てて終わりでは芸がなさすぎるのではないでしょうか

2015-03-29 21:22:15 | Weblog
 咳と喉痛の症状は昨日からあまり変わりませんが、時折ひどく咳き込んで痰が絡むようになってきました。症状が一段進んだか、あるいは回復に向けての、身体の免疫機構と病原とのせめぎあいの天秤がようやくこちら側に傾き始めたのか、まだ予断は許しませんが、明日朝にはある程度目星がついてくるものと期待されます。それにしても、やっぱり3月は鬼門ですね。毎年体調を崩したり、身体がマシでも事故などの悪いことが起きたり。体調が崩れるのは花粉や黄砂を思えばある意味必然ではあるのですが、それ以外の不幸も、病が間接的に心身に悪影響を及ぼしたためと言えなくもなさそうです。今年は空気清浄機のおかげで随分楽な2月3月だったと思っておりましたが、それでも不調は補えなかったようで残念です。

 さて、「朝まで生テレビ!」で堀江貴文氏が不況で失業に悩む日雇労働の高齢者を、今お金がなくて困っているのは、稼いでいた当時にちゃんと投資なり何なり先を見据えた行動を取らなかったという「自己責任」で、なんでそんな人達を助けなくてはならないのか、と切り捨てたと言うお話、内容を見るにいちいちもっともだと思う反面、そういうヒトを単に切り捨てたら万事解決なのか、という疑問も出てきます。第一、自分はできたからといって、投資など向き不向きがあって誰でもできることではないでしょう。自己責任といえばこれほど自己責任が問われるものもないだろうと思うものを、やらなかったからといって非難されるのもどうかとは思います。
 大体そうやって突き放したからといって、そういう高齢の失業者が社会から瞬間的に消えてしまうわけではなく、ずっとその人達が死ぬまで存在し続けるわけで、何もせずただ放置しておけば、地域の衛生状態とか治安などを悪化させる社会の不安定要因の一つになりかねないのではないでしょうか。例えば高病原性鳥インフルエンザがついに我が国に上陸したとしたら、そういうお金のない高齢者が真っ先に犠牲になり、そんな人達が肩寄せ合うコロニーがウイルスの温床となって、更に毒性の高いものや感染性の強いものに変異したりするかもしれませんし、そういうヒトたちが暴動を起こすようなこともあるかもしれません。現に昔は山谷で労働争議が暴徒化して大騒ぎになった、というようなこともあったと聞いています。お年寄りにそんなパワーが有るかどうかは疑問とするところもありますが、不逞の輩が不満のあるところにつけ込む隙の一つにはなるでしょう。堀江氏のいうことは、個人としてはまあ正論と思うわけですが、社会全体の安定と繁栄のためには、切り捨てるだけで済ませるのは不味いのではないかと思います。と言って、生活保護などでただ助ければ良いのかと言うとまたそれも違うような気もいたしますが、いずれにしても、社会の不安要素だから、とガス室に追い立てるような蛮行を為すわけにも行かないのですから、その人達がしばらくは生きるという前提のもとで、どうすれば社会的な負の要素を少なくできるかに知恵を絞らねばならないでしょう。例えば、我が国の農業政策を転換して、大規模農地を経営する会社組織に関する規制を、こういう高齢者が小作として働かせる事を条件に大幅に緩和してみるというのはどうでしょう? 建設土木で仕事してきた人なら重機の扱いはそれなりに出来そうですし、放棄された農地が日本中にあふれている現状なら、旧弊を徹底的に改めて、そこに労働力を投入する仕組みを何か考えれば、案外うまくいくような気がします。


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