リカードの中立命題に関連して、補足です。
資料が見つかったので、追加しておきます。
ESRI経済分析163号-財政赤字と経済活動:中長期的視点からの分析(序文)
井堀らの考察によれば、やっぱ「中立命題の成立はちょっと無理じゃね?」ということのようですよ(笑)。
いや、専門用語みたいなものを是非使いたい、というのは、否定はしませんが、だからといって、何にでも用いればよいというわけではありませんぜ。現実に成立している可能性の少ないものを、敢えて「中立命題によれば中立だ」みたいな話に落とし込むのはどうかと思うということですわ。
かなりの確信を持って用いているならまだしも、曖昧な「○○という用語がある」「○○という説がある」という程度にしか理解せず、これをもって政策の妥当性や有効性の評価に用いるというのは、より一層慎重であるべきでは。
更に、これをあたかも「学術的に正しい」かのように装いながら、大勢の人々に向かって誘導や煽動をする言説を「広く公表」するというのは、所謂「風説の流布」の類と何が違うのでしょう?
マスメディアの人たちがそうやって断片情報だけに踊らされることが多いからこそ、間違った意見や考えがいくらでも拡散していってしまうのですよ。これは、経済学の用語としてあるものを一切使うな、ということではなくて、正しく用いなさい、誤解のないように使いなさい、ということです。特にマスメディアの人々には、そうした義務を果たすべきでしょう、ということです。
資料が見つかったので、追加しておきます。
ESRI経済分析163号-財政赤字と経済活動:中長期的視点からの分析(序文)
井堀らの考察によれば、やっぱ「中立命題の成立はちょっと無理じゃね?」ということのようですよ(笑)。
いや、専門用語みたいなものを是非使いたい、というのは、否定はしませんが、だからといって、何にでも用いればよいというわけではありませんぜ。現実に成立している可能性の少ないものを、敢えて「中立命題によれば中立だ」みたいな話に落とし込むのはどうかと思うということですわ。
かなりの確信を持って用いているならまだしも、曖昧な「○○という用語がある」「○○という説がある」という程度にしか理解せず、これをもって政策の妥当性や有効性の評価に用いるというのは、より一層慎重であるべきでは。
更に、これをあたかも「学術的に正しい」かのように装いながら、大勢の人々に向かって誘導や煽動をする言説を「広く公表」するというのは、所謂「風説の流布」の類と何が違うのでしょう?
マスメディアの人たちがそうやって断片情報だけに踊らされることが多いからこそ、間違った意見や考えがいくらでも拡散していってしまうのですよ。これは、経済学の用語としてあるものを一切使うな、ということではなくて、正しく用いなさい、誤解のないように使いなさい、ということです。特にマスメディアの人々には、そうした義務を果たすべきでしょう、ということです。