次から次へと現れるな。
どうして、そこまで経済学理論を信奉できるのか、本当に不思議だ。そんなにまで堅固な論理か?(笑)
こうも簡単に信じ込む姿を見ると、本当に頭が大丈夫かと心配になるよね。経済学の根底からひっくり返るというものでもなかろうて。
>http://www.tachibana-akira.com/2011/11/3452
なぜ「明らか」なのかは、アダム・スミス以来の近代経済学が200年余の歳月をかけて築いた膨大な知の遺産が証明しているわけですが、ここではもっと簡単に説明してみましょう。
関税をかけることが常に有利であれば、(たとえば)静岡県は、県内のみかん業者を保護するために和歌山県産のみかんに高率の関税を課すべきです。でも真剣にこんな主張をするひとがいたとしたら、あなたはきっと、いちど病院で診てもらったほうがいいと思うでしょう。
日本でも江戸時代までは関所で商品の流通を管理していましたが、いまでは県境での〝関税〟を撤廃して国内市場を完全自由化しています。それなのになぜ、国境では自由貿易を制限するべきなのでしょうか。国内ではみんなを幸福する「自由貿易」が、世界規模に拡張されると一転してみんなを不幸にする、などということがあり得るのでしょうか。
“反自由貿易主義者”は、このシンプルな問いに答えることができません(もしそれができたなら、経済学の根底を全否定する世紀の大発見になるでしょう)。
明らか、とか、知の遺産が証明している、とか、そんなに豪語できるもんなの?(笑)
これまで、自由貿易論や比較優位論で演説をぶってた経済学理論バカの一派は、拙ブログで出した疑問・質問について、経済学理論を用いて説明できてないんじゃないですかねえ。
近代経済学200年余の知の集積・遺産といえども、「分からないことはたくさんある、説明できないことだらけ」としか思えないわけだが。
その程度でしかないものを、ここまで盲従・妄信できるというのが、本当に、心の底から不思議でしょうがない。経済学者が、論理で明らかにできるというなら、やってみろ、と申し上げているわけですが、誰もしないみたいですね。どうせ、できないんじゃないですか?
当方は、基本的に自由貿易は有益と考えているが、それは絶対的ルールではないと思っている。関税は場合によって許容されうる、とも考える。
その理由を説明しよう。
「プレイヤーの育成」
これがある場合だ。
分かりやすいのは、スポーツ選手である。
小学生とプロ選手で同じ試合をさせたりすると、勝敗はどうなると思うか?
そりゃあ、プロが勝つでしょうね。なのに、どうして、発育段階ごとで試合を区別したり、参加制限を設けたりするのか?
「同一ルール、同一条件」で競争をさせればいいのではないか?(笑)
例えば野球の選手を育てるのに、無制限な試合を組むのか?
そうじゃない。保護するんだよ。若年層は「保護されるべき」なのだろ。
・新規参入の選手を育てること
・参入障壁を引き下げて、参加者の裾野を広げること
・将来の成長(収益)を期待していること
これがないと、野球というスポーツは発展してこなかっただろう。名プレイヤーも生み出せないだろう。
経済学で言う同一市場で競争せよ、というのは、こうした「若年プレイヤー」の存在を許さない、というものである。いきなり、巨人の選手と初めての試合経験という人が試合をさせられる、というのと同じ意味合いなのである。
ダルビッシュが小学生で初めて野球を始めた時、プロと対戦させられ、負けたら終わり、ということだったなら、今のダルビッシュという選手は誕生したか?
しなかった、んだろうよ。無理に決まってるんだろ。だが、未知なる「将来の成長」を期待した時、小学生時代の保護は許される。しかも、小学生の選手は、誰が将来の名選手(有力産業)に育つか、判らないのだ。だから、一様に保護する、ということになっているわけである。
経済学の競争市場は、違う。
非情で厳格なルールに支配される。
◎負けたら退出=野球というスポーツから去らねばならない
それは、小学生だろうと中学生だろうと、大人だろうと、プロ選手だろうと、見境なく競争なのだ。生き残るには、強力な敵に出会わないことを祈りつつ、強敵を避け、ザコキャラをひたすら倒して経験値を上げることが必要である。そして、実力がついたならボスキャラに挑んで、勝利者となるということなのだ。そこまで力がつくと、保護なんかなくていい。だって、素の実力差で圧倒的に勝てるからだ。これを永続すると、次の選手が育ってくるまで、長い時間がかかる。野球という競技が発達するのには、不利に作用するであろう。
圧倒的に強い選手は、「この大会に参加できません」というグレードを設けるというのが、関税ということの意味である。ただ、上の大会を目指さずに、ずっと低級グレードに安住してしまうのは、よくない、ということだ。10年やって、小学生向けの大会だけに専念してしまうと、それは上達・向上が見込めなくなりますね、ということもある。だから、ある程度の競争は必要。
しかし、若年プレイヤーを育てて、将来の成長を獲得したいと思ったら、やはり「育成」システムを必要とする、ということだ。そのシステムの中から、将来優れた選手たちの可能性が開けてくる、ということだ。もし、「はい、負けたら終わりな」ということで、無差別に退出させると、いい選手が育つのはかなり難しくなると思う。
静岡みかんと和歌山みかんは、同一区分の選手とみなせるので、保護はどちらも必要ない、というだけだ。高校野球という区分に入っている者同士であれば、保護策はなくても試合になるのと同じ。
国内と国外の問題は、別な記事で書くことにする。
(つづく)
どうして、そこまで経済学理論を信奉できるのか、本当に不思議だ。そんなにまで堅固な論理か?(笑)
こうも簡単に信じ込む姿を見ると、本当に頭が大丈夫かと心配になるよね。経済学の根底からひっくり返るというものでもなかろうて。
>http://www.tachibana-akira.com/2011/11/3452
なぜ「明らか」なのかは、アダム・スミス以来の近代経済学が200年余の歳月をかけて築いた膨大な知の遺産が証明しているわけですが、ここではもっと簡単に説明してみましょう。
関税をかけることが常に有利であれば、(たとえば)静岡県は、県内のみかん業者を保護するために和歌山県産のみかんに高率の関税を課すべきです。でも真剣にこんな主張をするひとがいたとしたら、あなたはきっと、いちど病院で診てもらったほうがいいと思うでしょう。
日本でも江戸時代までは関所で商品の流通を管理していましたが、いまでは県境での〝関税〟を撤廃して国内市場を完全自由化しています。それなのになぜ、国境では自由貿易を制限するべきなのでしょうか。国内ではみんなを幸福する「自由貿易」が、世界規模に拡張されると一転してみんなを不幸にする、などということがあり得るのでしょうか。
“反自由貿易主義者”は、このシンプルな問いに答えることができません(もしそれができたなら、経済学の根底を全否定する世紀の大発見になるでしょう)。
明らか、とか、知の遺産が証明している、とか、そんなに豪語できるもんなの?(笑)
これまで、自由貿易論や比較優位論で演説をぶってた経済学理論バカの一派は、拙ブログで出した疑問・質問について、経済学理論を用いて説明できてないんじゃないですかねえ。
近代経済学200年余の知の集積・遺産といえども、「分からないことはたくさんある、説明できないことだらけ」としか思えないわけだが。
その程度でしかないものを、ここまで盲従・妄信できるというのが、本当に、心の底から不思議でしょうがない。経済学者が、論理で明らかにできるというなら、やってみろ、と申し上げているわけですが、誰もしないみたいですね。どうせ、できないんじゃないですか?
当方は、基本的に自由貿易は有益と考えているが、それは絶対的ルールではないと思っている。関税は場合によって許容されうる、とも考える。
その理由を説明しよう。
「プレイヤーの育成」
これがある場合だ。
分かりやすいのは、スポーツ選手である。
小学生とプロ選手で同じ試合をさせたりすると、勝敗はどうなると思うか?
そりゃあ、プロが勝つでしょうね。なのに、どうして、発育段階ごとで試合を区別したり、参加制限を設けたりするのか?
「同一ルール、同一条件」で競争をさせればいいのではないか?(笑)
例えば野球の選手を育てるのに、無制限な試合を組むのか?
そうじゃない。保護するんだよ。若年層は「保護されるべき」なのだろ。
・新規参入の選手を育てること
・参入障壁を引き下げて、参加者の裾野を広げること
・将来の成長(収益)を期待していること
これがないと、野球というスポーツは発展してこなかっただろう。名プレイヤーも生み出せないだろう。
経済学で言う同一市場で競争せよ、というのは、こうした「若年プレイヤー」の存在を許さない、というものである。いきなり、巨人の選手と初めての試合経験という人が試合をさせられる、というのと同じ意味合いなのである。
ダルビッシュが小学生で初めて野球を始めた時、プロと対戦させられ、負けたら終わり、ということだったなら、今のダルビッシュという選手は誕生したか?
しなかった、んだろうよ。無理に決まってるんだろ。だが、未知なる「将来の成長」を期待した時、小学生時代の保護は許される。しかも、小学生の選手は、誰が将来の名選手(有力産業)に育つか、判らないのだ。だから、一様に保護する、ということになっているわけである。
経済学の競争市場は、違う。
非情で厳格なルールに支配される。
◎負けたら退出=野球というスポーツから去らねばならない
それは、小学生だろうと中学生だろうと、大人だろうと、プロ選手だろうと、見境なく競争なのだ。生き残るには、強力な敵に出会わないことを祈りつつ、強敵を避け、ザコキャラをひたすら倒して経験値を上げることが必要である。そして、実力がついたならボスキャラに挑んで、勝利者となるということなのだ。そこまで力がつくと、保護なんかなくていい。だって、素の実力差で圧倒的に勝てるからだ。これを永続すると、次の選手が育ってくるまで、長い時間がかかる。野球という競技が発達するのには、不利に作用するであろう。
圧倒的に強い選手は、「この大会に参加できません」というグレードを設けるというのが、関税ということの意味である。ただ、上の大会を目指さずに、ずっと低級グレードに安住してしまうのは、よくない、ということだ。10年やって、小学生向けの大会だけに専念してしまうと、それは上達・向上が見込めなくなりますね、ということもある。だから、ある程度の競争は必要。
しかし、若年プレイヤーを育てて、将来の成長を獲得したいと思ったら、やはり「育成」システムを必要とする、ということだ。そのシステムの中から、将来優れた選手たちの可能性が開けてくる、ということだ。もし、「はい、負けたら終わりな」ということで、無差別に退出させると、いい選手が育つのはかなり難しくなると思う。
静岡みかんと和歌山みかんは、同一区分の選手とみなせるので、保護はどちらも必要ない、というだけだ。高校野球という区分に入っている者同士であれば、保護策はなくても試合になるのと同じ。
国内と国外の問題は、別な記事で書くことにする。
(つづく)