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『こころと脳の対話』
【 河合隼雄 & 茂木健一郎、潮出版社、p24 】
【河合】 それは、僕の考えでは、生命体というものは、内部でいろいろな葛藤があるんですね。それが外部のなにかに向かったとき、それを変なふうに吸収したり解釈してしまったりするんですね。
簡単な例をいうと、僕がある人に「ちょっとお金を貸してほしい」といったとしますね。すると、その人は僕にとってはお金を貸してくれるかもしれない人だから、もうその時点で、その人を尊敬せざるをえないような気持ちでいっているんですね。だから、「親切そうな、いい人や」というのが、僕の意識的目的に適っているわけですね。
ところが、まさに僕のなかの「クオリア」では、「変なおっさんやな」というのも、やっぱりどこかでは思っているわけです(笑)。しかしそれは意識化するわけでしょう。しかも、意識のうえでは矛盾せずに。そして帰って寝るでしょう。そしたら寝ているあいだ、その変なほうが動き出すんですよ。それを夢に見るんです。
わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。それを無理しているだけではもたないから、寝たときに調整するわけです。全体性のなかに。その全体性のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思っているんです。
だから夢をみるということ自体が、ものすごい大切なことなんですね。それは解釈しなくてもええぐらいなんだけれど、解釈したほうがおもしろいと。いろいろ役にも立つし、夢をつぶしたら、だんだんおかしくなってきますね。だから夢というものは、生きていくために必要なものだと僕は思っているわけです。それは一種の調整作用みたいなもの。
だからその人にとっては、ある程度盲点みたいなことを見せられることが多いので、夢を見た本人にはわからない場合が多い。自分ではね。
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『こころと脳の対話』
【 河合隼雄 & 茂木健一郎、潮出版社、p24 】
【河合】 それは、僕の考えでは、生命体というものは、内部でいろいろな葛藤があるんですね。それが外部のなにかに向かったとき、それを変なふうに吸収したり解釈してしまったりするんですね。
簡単な例をいうと、僕がある人に「ちょっとお金を貸してほしい」といったとしますね。すると、その人は僕にとってはお金を貸してくれるかもしれない人だから、もうその時点で、その人を尊敬せざるをえないような気持ちでいっているんですね。だから、「親切そうな、いい人や」というのが、僕の意識的目的に適っているわけですね。
ところが、まさに僕のなかの「クオリア」では、「変なおっさんやな」というのも、やっぱりどこかでは思っているわけです(笑)。しかしそれは意識化するわけでしょう。しかも、意識のうえでは矛盾せずに。そして帰って寝るでしょう。そしたら寝ているあいだ、その変なほうが動き出すんですよ。それを夢に見るんです。
わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。それを無理しているだけではもたないから、寝たときに調整するわけです。全体性のなかに。その全体性のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思っているんです。
だから夢をみるということ自体が、ものすごい大切なことなんですね。それは解釈しなくてもええぐらいなんだけれど、解釈したほうがおもしろいと。いろいろ役にも立つし、夢をつぶしたら、だんだんおかしくなってきますね。だから夢というものは、生きていくために必要なものだと僕は思っているわけです。それは一種の調整作用みたいなもの。
だからその人にとっては、ある程度盲点みたいなことを見せられることが多いので、夢を見た本人にはわからない場合が多い。自分ではね。
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