電脳筆写『 心超臨界 』

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( アラン・ラケイン )

不都合な真実 歴史編 《 戦争目的を失った日本——百田尚樹 》

2024-07-14 | 04-歴史・文化・社会
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開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めた。しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、国内における流通に支障をきたすことになるため、軍は「半年だけ」という条件で無理やりに民間船を徴用した。ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められるという事態となる。それでも、海軍は輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切なかった。


◆戦争目的を失った日本

『日本国紀』
( 百田尚樹、幻冬舎 (2018/11/12)、p389 )

開戦4日後の昭和16年(1941)12月12日、日本はこの戦争を「大東亜戦争」と名付けると閣議決定した。したがって、この戦争の正式名称は「大東亜戦争」である。現代、一般に使われている「太平洋戦争」という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものだ。

「大東亜戦争」は前述したように緒戦は日本軍の連戦連勝だった。開戦と同時にアメリカの真珠湾とフィリピンのクラーク基地を叩き、3日目にはイギリスの東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレバルスという2隻の戦艦を航空攻撃で沈めた。さらに難攻不落といわれていたイギリスのシンガポール要塞を陥落させた。

そしてこの戦争の主目的であったオランダ領インドネシアの石油施設を奪うことに成功した。日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東条英機首相は、「これで石油問題は解決した」と言ったが、彼も政府(そして軍)も、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気付いていなかった。結論をいえば、日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を国内に輸送することができなかったのだ。

開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めた。しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、国内における流通に支障をきたすことになるため、軍は「半年だけ」という条件で無理やりに民間船を徴用した。

ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められるという事態となる。それでも、海軍は輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切なかった。「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するもので、鈍足の油槽船を護衛するためのものではない」というのが上層部の考えだったからだ。

海軍は、かつて日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させたことによって日露戦争に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させれば終結すると考えていたのだ。そのため艦隊決戦こそが何よりも優先されるという思い込みを持っていたので、輸送船の護衛などは考えもしなかった。海軍では船舶の護衛任務を「くされ士官の捨て所」と呼んで軽侮していたし、陸軍にも「輜重輸卒(しちょうゆそつ)(物資の輸送をする兵)が兵ならば蝶々トンボも鳥のうち」と輜重兵を馬鹿にした歌がある。戦争が輸送や生産も含めた総力戦であるという概念が完全に欠如していたのだ。

身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈された。それで「半年だけ」という約束は反故にされ、軍はさらに民間船を徴用することになる。そのため戦場では勝利を収めながら、国内経済は行き詰まっていくという矛盾した状況に陥った。石油を含む物資の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になったにもかかわらず、軍はそのあたりをまったく把握・理解できていなかった。

驚くべきデータがある。公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、漁船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上にのぼる。その損耗率は何と43%である。これは陸軍兵士の損耗率約20%、海軍兵士の損耗率16%をはるかに超えている。

彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸けで運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には満足に行き渡らなかった。それでも軍需物資の不足に悩む政府は国民から不要な金属製品を回収することを閣議で決定した。寺の梵鐘(ぼんしょう)、橋の欄干、銅像、さらに一般家庭にある余った鍋釜や、火箸に至るまで半強制的に供出させた。これにより国民生活は一層逼迫した。
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