電脳筆写『 心超臨界 』

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( ガンジー )

天皇の統治と憲法の関係――竹田恒泰

2024-07-09 | 04-歴史・文化・社会
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現憲法下においても、天皇は祭り主であり、天皇は祈る存在であり続け、天皇が国民を我が子のように慈しむ心に変化はなく、天皇は国と民のことを知ることに尽力し、その上で国民一人ひとりの幸せを願い、そのような祈りを通じて、国を治めてきた。そして、国民はそのような天皇を、実の親のように慕い、天皇の存在を支持し、今に至るのである。


◆天皇の統治と憲法の関係

『天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか』https://tinyurl.com/yam4jy56
( 竹田恒泰、 PHP研究所、2017年12月、p266 )

井上毅は、明治20年(1887)春に、憲法草案を伊藤博文に提出した。憲法草案の第一条には次のように書かれていた。

「憲法草案 第一条 日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(しら)ス所ナリ」

ところが、同年夏の修正により、「治ス」は「統治ス」に変更され、草案が確定した。当時既に「シラス」は古語になっていて、一般的には馴染みの薄い言葉だったため、漢語の「統治」をこれに当てて、帝国憲法第一条が確定したのである。

しかし、帝国憲法を完成させる最終責任者だった伊藤博文は、帝国憲法解説書である自著『憲法義解』に、「統治ス」は「治ス」の意味で用いていることを次のように記している。

「所謂(いわゆる)「しらす」とは即ち統治の義に外ならず、蓋(けだし)祖宗其の天職を重んじ、君主の徳は八洲(やしま)臣民を統治するに在(あり)て一人一家に享奉するの私事に非ざることを示されたり。此れ乃(すなわち)憲法の拠(よつ)て以て其の基礎と為す所なり」

憲法草案を書いた井上毅は、「我が国の憲法は欧羅巴(ヨーロッパ)の憲法の写しにあらずして即(すなわち)遠(とお)つ御祖(みおや)の不文憲法の今日に発達したるものなり」と述べ、帝国憲法を成文化させたものであると明言している。

井上が書いた第一条の草案は、「日本とは何か」という問いに、彼なりに答えたものであったと思われる。井上は2000年に及ぶ国史の事実を探求して、天皇の統治を熟考した結果、『日本書紀』『古事記』が用いた「シラス」の言葉を、帝国憲法第一条に使用したのだった。井上は、この難しい設問に、日本とは「万世一系の天皇が治(しら)す国」であると答えたのである。

そして、この草案第一条に用いられた「治ス」の語は、帝国憲法第一条に「統治ス」の語に置き換えられたものの、先述のとおり、同義として用いられている。つまり、『日本書紀』『古事記』が記す「シラス」の概念は、天皇の統治として、帝国憲法の冒頭に確実に記されたことになる。従って、天皇が「シラス」存在であることは、帝国憲法の根本建前の前提となっているといえる。

このような帝国憲法第一条は、後に日本の敗戦を経て、日本国憲法第一条へと変遷するが、「シラス」という天皇の統治のあり方は、旧新憲法の間で、天皇の法的機能が一部変更された部分はあったが、天皇の統治そのものが変質することはなかった。天皇の統治が上手く機能しているから、天皇が日本及び日本国民統合の象徴なのであって、天皇の統治が機能していなければ、そうであるはずがなかろう。天皇の「シラス」という統治が機能した結果、天皇が象徴なのである。天皇の統治と天皇が象徴であることの関係について、葦津(珍彦)氏は「天皇が日本国の本来の統治者として仰がれて来たと云ふ事実と、天皇が日本国の象徴たりし事実とは、不可分の関係にある」と語っている。

現憲法下においても、天皇は祭り主であり、天皇は祈る存在であり続け、天皇が国民を我が子のように慈しむ心に変化はなく、天皇は国と民のことを知ることに尽力し、その上で国民一人ひとりの幸せを願い、そのような祈りを通じて、国を治めてきた。そして、国民はそのような天皇を、実の親のように慕い、天皇の存在を支持し、今に至るのである。
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