電脳筆写『 心超臨界 』

人の長所はその人の特別な功績ではなく
日頃の習慣によって評価されなければならない
( パスカル )

◆進歩的文化人は饂飩(うどん)屋の釜(かま)

2024-11-15 | 05-真相・背景・経緯
§5-3 戦後の言論界を牛耳った「進歩的文化人」という名の敗戦利得者たち
◆進歩的文化人は饂飩(うどん)屋の釜(かま)


日本の国民性を蔑(さげす)み罵ったものは決まって日本に定住し、見下している国民を顧客として自分の作品を売りつけ、それに心酔した享受者(きょうじゅしゃ)は我こそ民衆から抜きんでた知識階級なりと自己満足を楽しんだ。一般に釜は食品を投げ入れて煮るための用具だが、饂飩を湯掻(ゆが)く釜には湯しか入っていない。湯(ゆ)ぅだけ、と嗤笑(わら)う。我が国を罵ってみずから高しとする著作家と読者の系列が、戦後に進歩的文化人を生みだす源泉となったのである。


◇饂飩(うどん)屋の釜(かま)

『人間通』
( 谷沢永一、新潮社 (2002/05)、p135 )

日本国民を総体として軽侮(けいぶ)し蔑視(べっし)し罵倒(ばとう)の辞を弄(ろう)してひとり快を貪(むさぼ)る輩(やから)が明治以来ひとつながりの系列をなしている。その元祖かもしれない北村透谷の血脈を引く者のひとりに高村光太郎がいた。大正3年詩集『道程』の冒頭三篇目に置いた自信作かと察せられる「根付(ねづけ)の国」は、「猿の様な、狐(きつね)の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦(おにがわら)の様な、茶碗(ちゃわん)のかけらの様な日本人」と締め括(くく)られている。人間である以上、我が国民に足らざるところ欠けたるところが見出(みいだ)せるのは当たり前であるが、ではどういう手を打ったら民度が向上するかの思案と忠告を、この男は生涯にわたって提示する労を些(いささ)かも払わなかった。日本国民の成長発展は未(ま)だしと憂(うれ)えて一歩ずつの進歩を促進すべく渾身(こんしん)の力を注いだ福澤(ふくざわ)諭吉の愛国心と対極に位置する夜郎自大である。

自分の藝術(げいじゅつ)に磨きをかけるため巴里(パリ)その他に居を移した画家などは数多いが、外国へ脱出して彼(か)の地から我が国を罵(ののし)り続けた自己肥大の喚(わめ)き立て屋はいなかった。日本の国民性を蔑(さげす)み罵ったものは決まって日本に定住し、見下している国民を顧客として自分の作品を売りつけ、それに心酔した享受者(きょうじゅしゃ)は我こそ民衆から抜きんでた知識階級なりと自己満足を楽しんだ。一般に釜は食品を投げ入れて煮るための用具だが、饂飩を湯掻(ゆが)く釜には湯しか入っていない。湯(ゆ)ぅだけ、と嗤笑(わら)う。我が国を罵ってみずから高しとする著作家と読者の系列が、戦後に進歩的文化人を生みだす源泉となったのである。
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