電脳筆写『 心超臨界 』

人生の逆境は、人の個性から最善を
引き出すために欠かせないものである
( アレクシス・カレル )

教えない歴史1 《 私情断ち切り廃藩置県を行った大久保利通――斎藤武夫 》

2024-03-02 | 04-歴史・文化・社会
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大久保利通は薩摩藩の下級武士の出身です。新政府と大久保の今日があるのも、明治維新の行動を共にしてきた武士たちの働きがあったからです。しかし大久保は一切の私情を断ち切って、彼らの身分を廃止する政治を断行しました。古い日本を改革するために働いた人々の利益にならないどころか、その身分さえなくしてしまうような革命は世界でも例がありません。


◆私情断ち切り廃藩置県を行った大久保利通――斎藤武夫

『教科書が教えない歴史』( 藤岡信勝、産経新聞ニュースサービス (1996/8/1)、p61 )
〈 国づくりの設計 〉

「新政府は、藩を廃止して全国を3府72県とし政府が任命した役人に治めさせました」(小学校社会科教科書より)

この廃藩置県(はいはんちけん)を推進した明治政府のリーダーが大久保利通です。

みなさんは、江戸幕府が倒れたから近代日本が生まれたと思われるかもしれません。けれども倒幕後の新政府はまだ名ばかりで実体のないものでした。新政府の金庫は空っぽであり、国内はまだ藩という小国家に分裂したままだったからです。

大久保利通は、一刻も早く新政府の政治が全国に行き渡るしくみをつくらなくてはならないと考えていました。それは全国から税を集め、近代的な国づくりを進めるための財政を確立することでもありました。それだけが西欧による植民地化をまぬかれ日本の未来を切り開くただひとつの道だったからです。

しかし倒幕後3年もたつのに、大久保たちが実質的な統一国家をつくれないのにはそれだけの理由がありました。藩を廃止するということは、それまで各藩が集めていた年貢(ねんぐ)を政府が集めることです。それは藩から給料を得ていた武士の失業を意味します。同様に武士に給料を払えなくなった藩の殿様も失業です。つまりそれは、徳川3百年間続いてきた武士という身分を全廃してしまう第2の革命だったのです。彼らがだまってこの改革を受け入れるという保証はありません。

大久保利通は極秘のうちに周到(しゅうとう)な準備を進め、1871年(明治4年)7月、廃藩置県を断行しました。それほどの大改革が一滴の血も流さずに行われたのを見た当時の英国代理公使アダムスは「ヨーロッパでは、何百年も軍事力を使わなければ成功できない」と驚いています。廃藩置県によって、本当の意味で徳川封建体制が終わり、統一国家日本が誕生したのです。

大久保利通は薩摩藩の下級武士の出身です。新政府と大久保の今日があるのも、明治維新の行動を共にしてきた武士たちの働きがあったからです。しかし大久保は一切の私情を断ち切って、彼らの身分を廃止する政治を断行しました。古い日本を改革するために働いた人々の利益にならないどころか、その身分さえなくしてしまうような革命は世界でも例がありません。

大久保は冷酷(れいこく)非情な印象を与える政治家として、特に戦後は国民的な人気の乏しい人物でした。しかし、国家の存亡という広い視野から国民全体の利益を考えることのできた大久保利通のような政治家を持ったことは日本人が誇りにしてよいことです。

その後も大久保は日本の真の実力を形成するための諸政策(富国強兵、殖産興業)を推進し、今日の日本の礎を築きました。大久保らの努力によって、日本は他のアジア諸国のように西欧の植民地にされず独立国家の栄光を手に入れることができたのです。
(斎藤武夫)
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