電脳筆写『 心超臨界 』

今日あなたはあなた自身である
それは真実を超えた真実
あなた以上にあなた自身である者などいない
ドクター・スース

人生を創る言葉 《 謙虚な心だけが神の宿所となる――ウィルソン 》

2024-09-17 | 03-自己・信念・努力
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◆謙虚な心だけが神の宿所となる


『人生を創る言葉』
( 渡部昇一、致知出版社 (2005/2/3)、p73 )
第2章 決断の瞬間――時を逃すな!

[ ウィルソン ]
アメリカ大統領。プリンストン大学総長から州知事に選ばれて政界
に進出。第一次世界大戦中の大統領であり、国際連盟の提唱者とし
ても有名。(1856~1924)

ウィルソンは熱心な清教徒であり、「公正」をモットーとしていた。たとえ自分が世話になった民主党の有力者でも、どんなに親しい友人でも、あるいは近親の者であっても、公正でないと思うことはなんであれ跳ねのけた。そのため友人たちからは、

「あれほど冷酷な男はいない。まるで人情を知らない」

とよく非難された。しかし、彼は絶対に自分の信念を曲げようとはしなかった。

いよいよ大統領の任期が終わろうとするころ、一人の老人に対する特赦の請願がウィルソンのもとにきた。それは銀行法違反で有罪禁固の刑を申し渡されていた者であったが、よく調べてみると実に気の毒な事情があった。この哀れな老人を助けるには、大統領が特赦に署名するしか方法はなかった。

ウィルソンの周囲の家族の人たちも、みんなこの老人に同情して「是非助けてやってくれ」と頼んだ。秘書のタマルチーという人も、こういって懇請した。

「大統領閣下は日ごろ、不人情だ、冷たい人だといわれて世間から非難されています。それが間違った非難だということは、私はよく知っています。どうかこの事件で、閣下の深い慈悲心をお示しになって、任期の最後をお飾りください」

それでもウィルソンは頑として聞き入れなかった。

「私は断じて署名することはできない。家族の者もみな私に署名を勧めるけれど、二、三の家族のために大統領が判断を曲げたとあっては、1億2千万の国民の信頼を裏切るものである」

この頑とした態度には、秘書も諦めるしかなかった。

ところが、それから数日して、彼は秘書に一枚の書を渡した。見るとそれは大統領が署名した特赦状だった。秘書はびっくりして「これは……」といって、絶句した。

ウィルソンはいった。

「うん、私はあれからいろいろ考えたのだよ。そして私は自分の間違っていたことがわかったのだ。あのときは家族の者があまりやかましくいうもんだから、公正を失ってはならんと用心しすぎたために、かえって公正を失うことになってしまった。それに私は8年間、公正を守ってきたが、そういう自覚が知らず知らず、私の心を傲慢にしていたのだ。そして私の判断を曇らせていたのだ。今になってつくづく悟ったよ。謙虚な心にだけに神が宿るということをね」

これも心すべき教えである。公平、公平といって公平に凝り固まると、情け知らずになって、判断を誤ってしまうことがあるのである。

たとえば、私が上智大学の教授になったころは、上智の卒業生や大学のために働いてくれた人の子弟については、入試においてある範囲の情状酌量をしてもいいということになっていた。暗黙の了解というのではなく、正式な書式もあった。だから、よほど成績が悪ければ話は別だが、あまり差がないようなときは、優先して合格させることができた。ところが、大学紛争以後は、ほんのちょっとでも優遇があると、不公平であるとして大学がつるし上げられることになった。それで、すべて均一にすることにしたのである。

しかし、税金で建てている国公立の学校ならばともかく、私立大学の場合は、たくさん寄付をしてくれる人もいるし、そういう人の子弟で同じくらいの点数ならば、優先して入学させても構わないのではないかと思うのである。多額の寄付によって奨学金の基金がつくられ、普通ならば入れない学生の授業料が出るのである。仮に一億円の寄付をしてくれると千人の学生が奨学金をもらえるのだから、その貢献度たるや甚だ大である。そう考えるならば、よほどの問題がなければ、入学を許可してもよいのではないか。

実際に、アメリカの名門校ではそういう制度になっているようである。むしろそのほうが常識にかなっているし、人間的であると思う。

ただし、そうやって優遇して入れても、出すのは別であっていい。卒業については個々の先生が試験をして、公正に判断すればいいのである。

ウィルソンが悟ったように、「公正、公正」といっているうちに、いつの間にか公正が不正になっていることもありうるかもしれない。たとえば、政教分離ということがよくいわれるが、これを厳格に判断したら何もできなくなってしまうだろう。NHKは公共放送だからと、お祭りの放送もできなくなってしまうはずである。

このように、公正かどうかといことは、ウィルソンがいったように、謙虚な心、あるいは常識的な心に問うて判断すればいいのではないか。その意味で「謙虚な心だけが神の宿所(やどしょ)となる」というのはまさに至言であると思うのである。
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