電脳筆写『 心超臨界 』

自分の人生を変えられるのは自分だけ
代わりにできる人など誰もいない
( キャロル・バーネット )

今日のことば 《 一般に信じられていることと全く逆のことに――ブリュイエール 》

2024-09-17 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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一般に信じられていることと全く逆のことに
真実があることがしばしばある
( ブリュイエール )
The exact contrary of what is
generally believed is often the truth.
( Jean de la Bruyere )


◆「だまし討ち」はミスか否か――福井雄三

『真珠湾の代償』
( 福井雄三、毎日ワンズ (2022/4/12)、p168 )
第4章 日米開戦へ

12月8日未明(ワシントン時間12月7日昼過ぎ)のハワイ真珠湾攻撃に際し、外務省はとりかえしのつかない大失策をしでかした。アメリカへの宣戦布告の通告が遅れたのである。日本は当初、攻撃の30分前に通告する予定でいたのが、手違いにより、実際に通告したのは攻撃の55分後になってしまった。

これはワシントンの日本大使館員の怠慢とミスによるものだ、とずっとこれまで言われ続けてきた。だが果たしてこれは、単なるミスによるものだったのか。私は、真相はどうも違うような気がしている。

ハル・ノートで日米交渉は完全にデッドロックに乗り上げ、日米開戦はもはや秒読みの段階に入ってきていた。その最中の12月6日朝、日本はワシントンの日本大使館に「対米覚書」を発信し、「明日になって本国からの覚書全14部が届き次第、いつでもアメリカに手渡せるよう万端の準備を整えておくよう」と訓令しているのである。しかもその直前に暗号文書を焼却し、すべての暗号機を破壊するよう指示しているのだ。

ここまで来ればそれが対米宣戦布告であることは、誰だって直感的にわかるはずだ。日本の命運がかかっているこの瞬間に、日本大使館職員は固唾を吞んで本国からの電報を待たねばならない。ところがその日、対米覚書全14部のうち13部がすでに暗号で届き解読されたのだが、大使館職員はそれをほっぽり出したまま、転勤する大使館員の送別会に出かけてしまった。13部の内容をよく読めばそれが宣戦布告であることは明らかに察知できるのに、それをほったらかしにしたまま朝まで宴会を続けたのである。

日本大使館員の信じられないような怠慢である。アメリカはこの日本の暗号電を盗聴しつつ徹夜で解読作業にとり組み、翌朝にはこれが宣戦布告だと判断しているにもかかわらず、である。

7日の朝7時に肝心かなめの14部が届いたが、まだ誰も出勤しておらず、解読作業が始まったのは10時過ぎで、やっと解読が終わったのは12時30分だった。日本からは午後1時にアメリカに宣戦布告の文書を渡せという訓令が来ているから、あと30分しかない。しかも、タイピストを使うな、という指示だから文書化するのはもう間に合わない。結局野村大使がハル国務長官に宣戦布告文を手渡したのは、予定時間を1時間20分過ぎた2時20分だった。すなわち、真珠湾攻撃開始から55分も経ってしまっていたのである。

宣戦布告はそれが攻撃開始からたとえ1分遅れただけでも、だまし討ちになってしまう。日本から1時に手渡せという訓令が届いたのだから、これと同時に日本が攻撃を開始する可能性もあるわけで、日本大使館は万難を排してでも1時までに通告せねばならず、文書が無理ならば口頭で伝えることもできるのだ。だが野村大使はそれもしなかった。結果的に日本はだまし討ちの汚名をかぶせられ、アメリカはリメンバー・パールハーバーで一気に挙国一致体制が固まった。

この一連の流れを見ていると私は、これはワシントン大使館員の単なるミスや怠慢だとはとても思えないのだ。というのは、ハワイ攻撃をするときに、通告なしに奇襲するか、あるいは直前に通告するかで、日本海軍は最後の土壇場まで迷っていたのである。

実は開戦10日前の大本営政府連絡会議では、攻撃を始める前に事前の通告はしないと決めていた。宣戦布告は開戦の翌日、としていたのである。だがこれではやはり、「日本はだまし討ちをしたという汚名を後世に残すことになる」といった反論が出たのであろう。開戦4日前になって「宣戦布告は開戦の1時間前」に変わった。ところが、これだとやはり海軍は不安だったのだろう。開戦3日前になって「宣戦布告は開戦の30分前」にし、30分縮めているのである。

この期に及んでも海軍の態度は二転三転動揺し、腰が定まっていない、そして「通告なしのだまし討ち」は海軍の想定内の作戦の一つとして、あらかじめ選択肢の中に入っていたのである。日本海軍がいかにアメリカの太平洋艦隊を恐れていたかの証拠でもある。アメリカ艦隊と正攻法でぶつかれば日本海軍は全滅するかもしれない。という恐怖は、最後の瞬間まで彼らの心を縛りつけていた。全滅だけはどんなことをしてでも防がねばならない。たとえ日本がだまし討ちの汚名をこうむってでも、ハワイ作戦を成功させたい。これが彼らの本音だったのでないだろうか。そしてそのような海軍の空気が、現地大使館の行動を操ったのではないか。世界一勤勉で時間厳守の日本人がしかもあの緊迫した状況の中で、あのようなミスを犯すことはあり得ない。

しかもそれが単なる怠慢によるミスだったとしたら、これは切腹ものの大失態であるから、厳罰処分にされてしかるべきである。ところが彼らはその後、なんらそのミスをとがめられることなく、処分も受けず、順調に出世を遂げているのだ。現地大使館員の行動を暗黙のうちによしとする海軍との、阿吽(あうん)の呼吸があったとしか思えない。

政府の意向を無視して独断で行動に走る傾向は、陸軍よりむしろ海軍のほうが強かった。彼らの組織温存主義と閉鎖主義は常軌を逸しており、まさに「海軍あって国家なし」だったのである。この日本海軍の「だまし討ち」については、今後の研究による徹底的な真相解明が期待される。

日本時間12月7日深夜、加瀬は外相官邸で東郷と相対していた。

未明、突然机上の電話が鳴る。

加瀬が出ると岡海軍軍務局長で、「外相と話がしたい」と言う。

東郷が代わると、話しているうちに低い声がどんどん大きくなってきて、

「なんだって? 真珠湾? 敵をあらかたやっつけた? それはよかった! おめでとう!」

と叫んだ。

「奇襲の最初の一撃がどこに向けられるか」は最後まで誰にもわからなかったが、なんとなくマニラ辺りと思われていた。しかし海軍は大方の予想を裏切り、ハワイを直撃したのだ。

この間にも加瀬は開戦の詔勅を海外に打電するため、英訳した。何度も変更があったが、最後の修正は「アニ朕ガ志ナランヤ」という句の挿入だった。天皇がみずから書き入れたのである。
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