電脳筆写『 心超臨界 』

もっとも残酷な嘘の多くは沈黙の中で語られる
( ロバート・ルイス・スティーブンソン )

筆写のすすめ――高橋是清

2024-07-12 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


多くのスピーチは、もちろん自分の体験だけに基づくものもあるけれど、他人の逸話や箴言を引用して、自分の意見に結びつけるものが基本といってもいいでしょう。そうしたスピーチのコツについて、ゲーテは次の名言を残しています。「逸話と格言を集めておくことは、社交家の最大の宝である。もし、彼が逸話を適当な場で話し、格言を適当な機会に思い出すことができるならば」。伊藤肇さんは「人間学」のなかで、逸話と格言を集めるには、本を精読し、筆写することだ、と書き進んでいきます。そして、筆写の達人ともいうべき高橋是清の逸話が登場します。


◆筆写のすすめ――高橋是清

『人間学――人生の原則 行動の原理』
( 伊藤 肇、PHP文庫、p86 )

エピソード、都都逸、詩、あるいは箴言というものはスピーチの薬味である。

同じそばを食べるにしても、薬味を入れたのと入れないのとでは味に雲泥の差があることはいうまでもないが、その薬味についてゲーテが名言を残している。

「逸話と格言を集めておくことは、社交家の最大の宝である。もし、彼が逸話を適当な場で話し、格言を適当な機会に思い出すことができるならば」

ゲーテの一言からアンドレ・モロアを連想した。

「本を読みながら、ノートを傍らに置いて、覚えておきたいと思った意味深い箴言をそこに書きとめておくのは好もしいことである。何時か気持ちがふさいだ時など、これを眺めれば、書きとどめられた賢者たちの思索は、生きてゆくのを助けてくれるだろう」

もともと、生きた悟りや心に閃(ひら)めく真実の智慧あるいは力強い行動力は、けっしてダラダラした長ったらしい概念や論理から得られたものではない。

それは体験と精神とが凝縮している片言隻句(へんげんせっく)によって悟るのであり、また、その原理原則を把握することによって実践するのだ。したがって、語録とか、箴言というものは、経験を積めば積むほど、教養が深くなればなるほど、身につまされてわかってくる「おとなの学問」なのだ。

「おとなの学問」である以上、漫画でもみるような調子でうわの空で読んだのでは、何年かかっても語録の真髄に触れることはできない。

そこで、精読し、筆写するということになる。

「筆写」などといったら、「このスピード時代に」とせせら笑う向きも多かろう。だが、最もスピーディな読書法とは熟読玩味であり、それよりも正確で早いのは「筆写」である。

文芸評論家の梅田晴夫が敗戦直後、先輩から原本のジャン・アヌイ選集を1週間の期限つきで借り、それを「筆写」した。相当な難行苦行だったが、結果はジャン・アヌイの精髄にハッキリ手を触れることができた。

それまでの梅田は「筆写」などということはバカげたキザな所業だと思い込んでいた。ところが、これを契機として「文学を書き写すという作業のもつ大きな精神的影響力をしみじみと感じさせられた」と告白している。

たしかに外国文学を味わい得る実力を養うには、原文の筆写が最も手っとり早い。自分の好きな文章を一節なり、一章なり、根気よく、何度も何度も、くり返し「筆写」しているうちに、外国文の構造やニュアンスが、何時とはなしにのみこめてくるのである。

2・26事件で惜しくも凶弾に倒れた高橋是清は毎日、「ロンドンタイムズ」や「ニューヨーク・タイムズ」を克明に読み、必要な記事はノートに丹念に「筆写」した。

あまりに時間と手間とがかかりすぎるので、みかねた倅(せがれ)の是彰夫人が「私がスクラップに張りましょう」と申し出ると、「いや、それはありがたいけれども、スクラップに貼ってもらったんじゃ、それっきりになってしまう。こうやって自分で書いておくと、頭にしっかりと刻みこまれて参考になる」といって断った。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不都合な真実 《 中国語に「... | トップ | 納口昭二氏が雨戸の試作品を... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事