電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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小松さんは、日頃から、仕事を心から楽しめる人だったそうだ。当時は外貨の持ち出し制限が厳しく、一日に使えるドルがかぎられていたから、安宿に帰ってくる。口の端まで、グチや弱気がのぞいていた。だが、小松さんは先手をとって、こういった。「仕事はつらいと思ったらつらくなる。これをゲームだと思えばいい。なんとかしてこのゲームに勝とうと思えばつらくなくなる」と。
◆あきらめないことだ。一度あきらめると習慣になる
『いい言葉はいい人生をつくる』
( 斎藤茂太、成美堂出版 (2005/01)、p180 )
人は直感的にばかげた行動をするけれど、
それなしには成功はしないわ。 ――映画『ボディガード』
NHKの『プロジェクトX』という番組が人気である。私もときどき見るが、なかでも、最も気に入ったのは、こんな知恵をはたらかせたビジネスマンたちの話だった。
いまでは日本を代表する国際企業ソニーも、昭和35年(1960)に超小型トランジスタラジオによるヨーロッパ市場の開拓を目ざし、営業マン3人が羽田空港を飛び立ったころは、町工場に毛が生えた程度の中小企業でしかなかった。
しかも、当時メイド・イン・ジャパンといえば、安かろう悪かろうの代名詞。コメディアンのボブ・ホープがピストルを構え、弾が出ないと、「メイド・イン・ジャパン!」という。これで大笑いがとれた時代だったのだ。
メイド・イン・ジャパンのソニー製高機能小型ラジオといったところで、だれも見向きもしないのも道理だった。
チューリッヒに事務所を開いて3人のスタッフが1人で1日5か国を回る強行スケジュールの中、事務所長の小松方豊(かずとよ)さんは自分と一つの賭けをした。
喫茶店に入り、「ご注文は?」と聞かれたら、どこに行っても必ず、「ソニーをください」というのだ。「ソニーはラジオでしょ」といわれる日がくるか、こないかという賭けだった。「ソニーはラジオでしょ」といわれるようになれば、ソニーは世界を制覇できる。小松さんはそう懸けたのだ。
上陸1年たってもラジオは1台も売れなかった。
やがて、あるドイツ人ビジネスマンのアドバイスで、超高級店のウィンドウに1週間だけ製品を展示することになった。ここで売れなければ、撤退しかない。小松さんは学生アルバイトを使って、連日ソニーのラジオを買いに行かせ、大きな話題づくりに成功した。
次にあり金全部はたいて新聞の全面広告を打つ。
こうした起死回生の策が当たり、ソニーは一躍人気ブランドとなった。
ついにある日、小松さんが、カフェでいつものように、「ソニーをください」といったところ、ウェイトレスは、「あら、いやだ。ソニーはラジオでしょ」と答えたのだ。やがて、わざわざ、自分がもっているソニーのトランジスタラジオをもってくるウェイターも出てくるようになった。
勝った! 小松さんは内心、小躍りして喜んだという。
厳しい仕事に挑むときは、こんな賭けで自分をふるい立たせるのも妙案だ。
小松さんは、日頃から、仕事を心から楽しめる人だったそうだ。当時は外貨の持ち出し制限が厳しく、一日に使えるドルがかぎられていたから、安宿に帰ってくる。口の端まで、グチや弱気がのぞいていた。
だが、小松さんは先手をとって、こういった。「仕事はつらいと思ったらつらくなる。これをゲームだと思えばいい。なんとかしてこのゲームに勝とうと思えばつらくなくなる」と。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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小松さんは、日頃から、仕事を心から楽しめる人だったそうだ。当時は外貨の持ち出し制限が厳しく、一日に使えるドルがかぎられていたから、安宿に帰ってくる。口の端まで、グチや弱気がのぞいていた。だが、小松さんは先手をとって、こういった。「仕事はつらいと思ったらつらくなる。これをゲームだと思えばいい。なんとかしてこのゲームに勝とうと思えばつらくなくなる」と。
◆あきらめないことだ。一度あきらめると習慣になる
『いい言葉はいい人生をつくる』
( 斎藤茂太、成美堂出版 (2005/01)、p180 )
人は直感的にばかげた行動をするけれど、
それなしには成功はしないわ。 ――映画『ボディガード』
NHKの『プロジェクトX』という番組が人気である。私もときどき見るが、なかでも、最も気に入ったのは、こんな知恵をはたらかせたビジネスマンたちの話だった。
いまでは日本を代表する国際企業ソニーも、昭和35年(1960)に超小型トランジスタラジオによるヨーロッパ市場の開拓を目ざし、営業マン3人が羽田空港を飛び立ったころは、町工場に毛が生えた程度の中小企業でしかなかった。
しかも、当時メイド・イン・ジャパンといえば、安かろう悪かろうの代名詞。コメディアンのボブ・ホープがピストルを構え、弾が出ないと、「メイド・イン・ジャパン!」という。これで大笑いがとれた時代だったのだ。
メイド・イン・ジャパンのソニー製高機能小型ラジオといったところで、だれも見向きもしないのも道理だった。
チューリッヒに事務所を開いて3人のスタッフが1人で1日5か国を回る強行スケジュールの中、事務所長の小松方豊(かずとよ)さんは自分と一つの賭けをした。
喫茶店に入り、「ご注文は?」と聞かれたら、どこに行っても必ず、「ソニーをください」というのだ。「ソニーはラジオでしょ」といわれる日がくるか、こないかという賭けだった。「ソニーはラジオでしょ」といわれるようになれば、ソニーは世界を制覇できる。小松さんはそう懸けたのだ。
上陸1年たってもラジオは1台も売れなかった。
やがて、あるドイツ人ビジネスマンのアドバイスで、超高級店のウィンドウに1週間だけ製品を展示することになった。ここで売れなければ、撤退しかない。小松さんは学生アルバイトを使って、連日ソニーのラジオを買いに行かせ、大きな話題づくりに成功した。
次にあり金全部はたいて新聞の全面広告を打つ。
こうした起死回生の策が当たり、ソニーは一躍人気ブランドとなった。
ついにある日、小松さんが、カフェでいつものように、「ソニーをください」といったところ、ウェイトレスは、「あら、いやだ。ソニーはラジオでしょ」と答えたのだ。やがて、わざわざ、自分がもっているソニーのトランジスタラジオをもってくるウェイターも出てくるようになった。
勝った! 小松さんは内心、小躍りして喜んだという。
厳しい仕事に挑むときは、こんな賭けで自分をふるい立たせるのも妙案だ。
小松さんは、日頃から、仕事を心から楽しめる人だったそうだ。当時は外貨の持ち出し制限が厳しく、一日に使えるドルがかぎられていたから、安宿に帰ってくる。口の端まで、グチや弱気がのぞいていた。
だが、小松さんは先手をとって、こういった。「仕事はつらいと思ったらつらくなる。これをゲームだと思えばいい。なんとかしてこのゲームに勝とうと思えばつらくなくなる」と。