電脳筆写『 心超臨界 』

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( パール・バック )

不都合な真実 歴史編 《 第二次上海事変は蒋介石軍のほうから始めたものである――渡部昇一 》

2024-06-08 | 04-歴史・文化・社会
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蒋介石軍は、一般市民が逃げられないように道路をすべて封鎖し、しかも民間人がいるに決まっているホテルなどを爆撃したのである。一説によると、蒋介石はあえて外国人の被害者を出すことで欧米を日中戦争に引きずり込もうとしたと言われるが、そのようなことで無差別爆撃をやったとすれば、これこそ、“戦争犯罪”と呼ぶべきものではないか。いずれにせよ、上海事変においても、日本が一方的に攻撃を開始したという東京裁判の歴史観はまったく成り立たない。


渡部昇一「日本の歴史」(6)昭和篇
「『昭和の大戦』への道」
( 渡部昇一、ワック、p167 )

◆蒋介石の“戦争犯罪”第二次上海事変

通州で虐殺が行われる一方、上海(シャンハイ)でも日本人の生命に危険が及んでいた。いわゆる第二次上海事変であるが、この戦闘は蒋介石(しょうかいせき)軍のほうから始めたものである。

これも例によって、戦後の東京裁判史観では「日本が蒋介石軍に対して攻撃をしかけた」ということになっている。しかし、実際に上海にいた日本の軍隊は、居留民を守るため海軍陸戦隊がいただけであり、これに対して、蒋介石軍は上海攻撃のために正規軍十個師団を配置して、日本に圧力をかけた。まさに日本にとって圧倒的に不利な状況で、この一事を見ただけでも、日本が“侵略”したというような話でないのは明らかである。

上海事変については、トレヴェニアンの『シブミ』(菊池光訳、早川文庫)というベストセラー小説が、その実態を見事に書きつくしている。この作品はまったくの娯楽小説ではあるけれども、当時の上海のことをこれだけ分かりやすく書いた本はない。私は友人に奨(すす)められて読んでみたのだが、「西洋人(作者はいわゆる覆面作家で、その経歴はいっさい不明)がなぜ、ここまで当時のシナ事情を的確に理解できているのか」と驚嘆した記憶がある。

それは、私だけの感想ではなかったようである。小堀桂一郎(こぼりけいいちろう)氏(東京大学名誉教授)も、この小説の記述が史実的に極めて正確であることを考証して、「作者はどんな史料を使っているのか。もしや自ら昭和12年夏の上海を体験した人物ではあるまいか」という感想を記されているほどである。(小堀桂一郎「アメリカ大衆小説の日本像――トレヴェニアンとは何者なのか」『比較文学研究』〈東大比較文学会〉63号)。

この上海事件で蒋介石が狙ったのは、「日本がシナを蹂躙(じゅうりん)している」というイメージを作り出し、国際世論の同情を集めようということであった。そして、あわよくば一緒に戦ってくれる第三国が出てくれないかとも考えていた。

世界の注目を集めるために、蒋介石は一般市民を犠牲にすることさえ厭(いと)わなかった。欧米からの求めに応じて、日本側が上海から撤退することにした後に、何が起きたか――そのことを、トレヴェニアンは次のように書いている。

「しかし、8月12日に中国側は日本総領事館と商社の電話線を切断した。その翌日、13日、金曜日に、中国軍第88師団が北停車場に到着して、租界から外に通じる道路をすべて遮断(しゃだん)した。それは、ごく少数の日本軍と自分たちの間の緩衝(かんしょう)用にできるだけ多くの一般市民を閉じ込めておくのが狙いであった。

8月14日にアメリカ製ノースロップに乗った中国軍パイロットが上海を盲爆(もうばく)した。高性能爆弾の一弾がパレス・ホテルの屋根を貫(つらぬ)いた。別の一弾がカセイ・ホテルの表の路上で爆発した。729名が死に、861名が負傷した。31分後にべつの中国機が女性と子供の避難所になっていた大世界娯楽センターを爆撃した。1012名が死に、1007名が負傷した」(この引用文に出てくる固有名詞や死傷者の数は、小堀教授の検証によれば、きわめて正確なものであるという)。

蒋介石軍は、一般市民が逃げられないように道路をすべて封鎖し、しかも民間人がいるに決まっているホテルなどを爆撃したのである。

一説によると、蒋介石はあえて外国人の被害者を出すことで欧米を日中戦争に引きずり込もうとしたと言われるが、そのようなことで無差別爆撃をやったとすれば、これこそ、“戦争犯罪”と呼ぶべきものではないか。

いずれにせよ、上海事変においても、日本が一方的に攻撃を開始したという東京裁判の歴史観はまったく成り立たない。
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