電脳筆写『 心超臨界 』

行動は人を作りもし壊しもする
人は自らの行為が生み出したものである
( ヴィクトル・ユーゴー )

用意ができたとき師が現われる 《 自由になるための道具――島野喜三 》

2024-09-18 | 05-真相・背景・経緯
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


私たちは彼らとつき合い始め、要望に応じて部品を提供するようになった。私はこれがすぐビジネスになると思ったわけではない。しかし、彼らの表情には、「こんなに楽しいのか」と思わせる魅力があった。4年ほど前、私はマウント・タムでトム・リッチーたちと久しぶりに話す機会があった。彼らはMTBを、「フリーダム・ツール(自由になるための道具)」と表現した。私は、この「自由」に感動していたのかもしれない。


◆自由になるための道具

「社運賭け開発に挑む――野山走る若者たちに感動」シマノ会長 島野喜三
( 私の履歴書 2005.07.21 日経新聞(朝刊) )

81年の初め、私は本社に国際電話をしていた。最初に容三君(現社長)と話し、途中で専務の敬三さんに代わった。話は約4時間に及んだ。私が興奮気味に話をしていたのはマウンテンバイク(MTB)についてである。

MTBは76年ころ、サンフランシスコ郊外、湾に面したマウント・タムと呼ばれる山で生まれた。ゲイリー・フィッシャー、ジョー・ブリーズ、トム・リッチーといった若者たちが、野山を走るため、太いタイヤなどを着け改造した自転車が原型である。

79年の秋、「おかしな自転車の乗り方がはやっている」と聞いて、私もこの山に出かけた。彼らは夢中になって、自転車で山道を登り、走り下っている。

彼らの一人が、こんなことを言ったのを覚えている。

「ハイキングに比べ、自転車だと行動範囲がずっと広がる。草花や風景を見、風を感じることができる。こんなに気分のよい乗り方はない」

MTBは、もともと彼らの手づくりである。しかし、山道を走るには、山を登るギアと変速機、よく効くブレーキが必要だった。フレームのほか、あらゆる部分が丈夫で泥や水に強くなくてはならない。毎日のように部品を壊していた彼らは、これまでにない部品を求めていた。

私たちは彼らとつき合い始め、要望に応じて部品を提供するようになった。私はこれがすぐビジネスになると思ったわけではない。しかし、彼らの表情には、「こんなに楽しいのか」と思わせる魅力があった。

4年ほど前、私はマウント・タムでトム・リッチーたちと久しぶりに話す機会があった。彼らはMTBを、「フリーダム・ツール(自由になるための道具)」と表現した。私は、この「自由」に感動していたのかもしれない。

これを本格的に製品化したいとの思いが募った。私の電話に説得されて、敬三さんと容三君がサンフランシスコに飛んできた。すぐにマウント・タムに連れていった。

MTBは従来の自転車の概念と大きく異なるものだった。山道を走り、小川も渡る。土砂や水をかぶる。フレームも部品も、整備された道を走る自転車とは違う。

「お前、この自転車、ほんまに伸びると思うか」

「絶対、伸びると思う」

「しかし、これをやるとなったら、いま予定している開発計画は2年くらい中断、技術陣をすべて集中せないかん。失敗したら、次に出す製品が間に合わん。倒産に近いことになるかもしれん」

敬三さんとは、こんな会話をかわした。

「どのくらい売れると思う」と聞かれ、「うまくいけば月に10万台は」と答えて、敬三さんをあきれさせた。

こんな心配をしながらも、敬三さんは独自にMTBを調べ上げていた。手応えを感じ、また挑戦心をかき立てられていた。社運を賭けてMTBに臨むことになった。

中でも、泥や砂との戦いは初めての経験だった。米国各地から粒子や質が違う土砂を集めた。試作品に泥水をかけてテストを繰り返した。強度の強いカセット式フリー・ハブを中心にした初のMTB専用部品コンポ、「デオーレXT」が82年に完成した。

これを見たゲイリー・フィッシャーは、「世界的ヒットになる」と絶賛してくれた。
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