電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ジムの朝食はとてもおいしかったが、とりわけ絶品がミルク・ティだった。何杯でもお代わりをしたいほど、うまいのである。「いったい、この紅茶はどこで買ってくるの? きっと特製の葉を使っているんだろう」。何度もたずねてみたが、ジムは謹厳な表情を崩さず、なにも答えなかった。
◆ジムの紅茶
『読むクスリ PART 3』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1989/01)、p145 )
ロンドン日本クラブ事務局長の木野悍さんは、若いころ日本航空ロンドン支店に勤務していた。
ときの支店長は、のちに取締役になった有名な人で、木野さんはその家に居候(いそうろう)を決め込んでいた。
支店長のの車の運転手は、ジム・タウンゼントという当時すでに60歳ぐらいの、銀髪のイギリス人だった。
木野さんにはこのジムの、古きよき時代のイギリス人気質(かたぎ)が、いまも忘れられない。
*
毎朝8時半に家を出る支店長を迎えるために、正確に7時半にジムはやってきた。紺のダブルの制服、銀髪にはきちんと帽子をかぶって。
腕にパン、オレンジ、ベーコン、卵の包みを抱えている。
ベーコンは、ガモンと呼ばれる豚のもも肉でこしらえた、最上のもの。卵もオレンジも、スーパーマーケットでは決して買わない、古くからある店で、一つずつジム自身が吟味して買ってきたものだ。
支店長が起きてくる前に台所へ入り、ベーコン・エッグをこしらえ、パンを焼き、オレンジを切る。そしてミルク・ティをいれ、
「グッド・モーニング」
とようやく起きてきた主人の食卓へ運んでくる。
木野さんが同居していることを知っているのに、決して初めから二人前はつくらない。支店長の分をきちんと並べ終えたあとで、
「お茶を飲みますか?」
こちらに向かってたずねる。
「イエス」
するとジムは台所へ戻り、さっきと同じ手順で、もう一人分の朝食をこしらえる。
自分を雇ってくれている主人への、忠誠心のあかしである。若造だから、と差別をするのとは、ぜんぜん意味が違う。
むろんジム自身は、主人の前で飲んだり食べたりするような真似は決してしない。
「昔のイギリスの執事というのは、きっとみんなこうだったんだな」
木野さんは生きた英国史をまのあたりにするような気がした。
*
ジムの朝食はとてもおいしかったが、とりわけ絶品がミルク・ティだった。何杯でもお代わりをしたいほど、うまいのである。
「いったい、この紅茶はどこで買ってくるの? きっと特製の葉を使っているんだろう」
何度もたずねてみたが、ジムは謹厳な表情を崩さず、なにも答えなかった。
やがて木野さんは支店長の家を出て、アパートを借りた。ジムの朝食が食べられなくなり、自分でこしらえる、ところが、どうしてもミルク・ティがおいしくいれられない。
「どういう葉がいいのかなあ。お湯の温度も関係があるのかも知れない」
あれこれ種類の違う紅茶を買い、お湯を熱くしたり、ぬるくしたり、ミルクの量を加減したりするのだが、とてもジムのような味が出せない。
いったん日本へ帰り、日本航空を辞めたあと再びロンドンへ来てからも、うまい紅茶を求めて木野さんの遍歴と努力は続いた。
しかし、ついに駄目だった。それほど強烈に、ジムの紅茶の味は舌に残っていたのである。
*
あるとき木野さんは初めて、郷里の老いた母をロンドンへ呼んだ。せめてもの親孝行にイギリス旅行を、と思ったのだった。
着いた翌朝お母さんは早く起きて、わが子のためにミルク・ティをいれてくれた。
「うまい! これはジムの紅茶の味だ」
一口飲むなり、木野さんは叫んだ。
「お母さん、この紅茶どこで買ってきたの?」
「買うわけありませんよ。ほんとは日本茶をいれてあげたかんたんだけど、見当たらないから、台所にあった紅茶にしたのよ」
「ふうむ、不思議なことがあるものだ」
探し回った青い鳥が自分の家の籠にいたように、絶妙な味の紅茶はわがアパートの台所にあったのだ。
20数年昔、いまは亡い支店長と自分のために、おいしい紅茶をいれてくれた老ジムの話を、木野さんは母にした。
お母さんはうなずいた。
「それはね、特別な紅茶を使っていたのではないのよ」
「じゃ、いれる腕がよかったんだ」
「いいえ。運転手さんの腕がよかったのでもありません。だって、あたしはめったに紅茶をいれないから、下手ですよ。でも悍は、おいしい、といいました」
「それじゃ、なにが……」
「つまり、心ですよ。ご主人のために、と思う心が、紅茶をおいしくしていたのよ」
きっとジムは、ポットとカップを暖め、ミルクも暖めて、紅茶の味を最大限生かす努力を毎朝怠(おこた)らなかったに違いない。
それは、紅茶、日本茶を問わず、茶をいれるときの万国共通の心得、というより礼儀のようなものだ、と母はわが子に教えた。
「その礼儀を守ったとき初めて、下手でもお茶はおいしくなるのです。飲むひとのことを思って、心も暖めていれなさい、ということなのよ」
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ジムの朝食はとてもおいしかったが、とりわけ絶品がミルク・ティだった。何杯でもお代わりをしたいほど、うまいのである。「いったい、この紅茶はどこで買ってくるの? きっと特製の葉を使っているんだろう」。何度もたずねてみたが、ジムは謹厳な表情を崩さず、なにも答えなかった。
◆ジムの紅茶
『読むクスリ PART 3』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1989/01)、p145 )
ロンドン日本クラブ事務局長の木野悍さんは、若いころ日本航空ロンドン支店に勤務していた。
ときの支店長は、のちに取締役になった有名な人で、木野さんはその家に居候(いそうろう)を決め込んでいた。
支店長のの車の運転手は、ジム・タウンゼントという当時すでに60歳ぐらいの、銀髪のイギリス人だった。
木野さんにはこのジムの、古きよき時代のイギリス人気質(かたぎ)が、いまも忘れられない。
*
毎朝8時半に家を出る支店長を迎えるために、正確に7時半にジムはやってきた。紺のダブルの制服、銀髪にはきちんと帽子をかぶって。
腕にパン、オレンジ、ベーコン、卵の包みを抱えている。
ベーコンは、ガモンと呼ばれる豚のもも肉でこしらえた、最上のもの。卵もオレンジも、スーパーマーケットでは決して買わない、古くからある店で、一つずつジム自身が吟味して買ってきたものだ。
支店長が起きてくる前に台所へ入り、ベーコン・エッグをこしらえ、パンを焼き、オレンジを切る。そしてミルク・ティをいれ、
「グッド・モーニング」
とようやく起きてきた主人の食卓へ運んでくる。
木野さんが同居していることを知っているのに、決して初めから二人前はつくらない。支店長の分をきちんと並べ終えたあとで、
「お茶を飲みますか?」
こちらに向かってたずねる。
「イエス」
するとジムは台所へ戻り、さっきと同じ手順で、もう一人分の朝食をこしらえる。
自分を雇ってくれている主人への、忠誠心のあかしである。若造だから、と差別をするのとは、ぜんぜん意味が違う。
むろんジム自身は、主人の前で飲んだり食べたりするような真似は決してしない。
「昔のイギリスの執事というのは、きっとみんなこうだったんだな」
木野さんは生きた英国史をまのあたりにするような気がした。
*
ジムの朝食はとてもおいしかったが、とりわけ絶品がミルク・ティだった。何杯でもお代わりをしたいほど、うまいのである。
「いったい、この紅茶はどこで買ってくるの? きっと特製の葉を使っているんだろう」
何度もたずねてみたが、ジムは謹厳な表情を崩さず、なにも答えなかった。
やがて木野さんは支店長の家を出て、アパートを借りた。ジムの朝食が食べられなくなり、自分でこしらえる、ところが、どうしてもミルク・ティがおいしくいれられない。
「どういう葉がいいのかなあ。お湯の温度も関係があるのかも知れない」
あれこれ種類の違う紅茶を買い、お湯を熱くしたり、ぬるくしたり、ミルクの量を加減したりするのだが、とてもジムのような味が出せない。
いったん日本へ帰り、日本航空を辞めたあと再びロンドンへ来てからも、うまい紅茶を求めて木野さんの遍歴と努力は続いた。
しかし、ついに駄目だった。それほど強烈に、ジムの紅茶の味は舌に残っていたのである。
*
あるとき木野さんは初めて、郷里の老いた母をロンドンへ呼んだ。せめてもの親孝行にイギリス旅行を、と思ったのだった。
着いた翌朝お母さんは早く起きて、わが子のためにミルク・ティをいれてくれた。
「うまい! これはジムの紅茶の味だ」
一口飲むなり、木野さんは叫んだ。
「お母さん、この紅茶どこで買ってきたの?」
「買うわけありませんよ。ほんとは日本茶をいれてあげたかんたんだけど、見当たらないから、台所にあった紅茶にしたのよ」
「ふうむ、不思議なことがあるものだ」
探し回った青い鳥が自分の家の籠にいたように、絶妙な味の紅茶はわがアパートの台所にあったのだ。
20数年昔、いまは亡い支店長と自分のために、おいしい紅茶をいれてくれた老ジムの話を、木野さんは母にした。
お母さんはうなずいた。
「それはね、特別な紅茶を使っていたのではないのよ」
「じゃ、いれる腕がよかったんだ」
「いいえ。運転手さんの腕がよかったのでもありません。だって、あたしはめったに紅茶をいれないから、下手ですよ。でも悍は、おいしい、といいました」
「それじゃ、なにが……」
「つまり、心ですよ。ご主人のために、と思う心が、紅茶をおいしくしていたのよ」
きっとジムは、ポットとカップを暖め、ミルクも暖めて、紅茶の味を最大限生かす努力を毎朝怠(おこた)らなかったに違いない。
それは、紅茶、日本茶を問わず、茶をいれるときの万国共通の心得、というより礼儀のようなものだ、と母はわが子に教えた。
「その礼儀を守ったとき初めて、下手でもお茶はおいしくなるのです。飲むひとのことを思って、心も暖めていれなさい、ということなのよ」