電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。
◆東京裁判はインチキであった
『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史』
( 渡部昇一、徳間書店、p21 )
東京裁判および公職追放(1946年~52年)の時代の7年間、日本の言論は占領軍によって完全に封殺されていました。そして、大東亜戦争は日本の軍国主義者の共同謀議による侵略戦争であると頭に叩き込まれ、それが左翼の手によって教育の現場に浸透させられた結果、日本人の多くがそう思い込むようになりました。しかし、多少なりとも歴史の事実を知る人は、日本が侵略戦争をしたと決めつける東京裁判はインチキであったことに気づいていました。
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。
東京裁判の根拠となったのは当時の国際法ではなく、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の権力に基づいて、キーナン主席検事(アメリカ人)およびGHQ(連合国軍総司令部)の参謀部が定めた「極東国際軍事裁判所条例」(略称「チャーター」)でした。「チャーター」は第1条から第17条までありましたが、いずれもとても簡単な記述で、国際法や慣習法とはまったく無関係の、マッカーサー一個人の権威に由来するだけの条例にすぎませんでした。しかも裁判官はすべて戦勝国から選ばれ、敗戦国および中立国からはひとりも出ていません。したがって東京裁判の構造は、非常にわかりやすくいえば、A暴力団とB暴力団が抗争になり、A暴力団が勝ったのでB暴力団の組員を勝手に裁いたようなものです。
要するに東京裁判とは、連合国軍総司令官のマッカーサーが命じてやらせた「復讐裁判」ないしは「私刑(りんち)」でした。
それゆえ、裁判の冒頭、日本側弁護団の中心的人物で東条英機被告の主任弁護人であった清瀬一郎弁護人(のちに衆議院議長)は、「裁判の管轄権(ジュリスディクション)はどこにあるのか」と突っ込んでいます。ウェッブ裁判長(オーストラリア人)はそれに答えることができませんでした。また、ウェッブ裁判長に対する「拒否」が提出されたときは、その動議を拒絶する理由として、最高司令官マッカーサーによって任命されたからという「任命権」しか盾にすることができませんでした。
東京裁判とはそれほどズサンな裁判だったのです。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。
◆東京裁判はインチキであった
『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史』
( 渡部昇一、徳間書店、p21 )
東京裁判および公職追放(1946年~52年)の時代の7年間、日本の言論は占領軍によって完全に封殺されていました。そして、大東亜戦争は日本の軍国主義者の共同謀議による侵略戦争であると頭に叩き込まれ、それが左翼の手によって教育の現場に浸透させられた結果、日本人の多くがそう思い込むようになりました。しかし、多少なりとも歴史の事実を知る人は、日本が侵略戦争をしたと決めつける東京裁判はインチキであったことに気づいていました。
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。
東京裁判の根拠となったのは当時の国際法ではなく、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の権力に基づいて、キーナン主席検事(アメリカ人)およびGHQ(連合国軍総司令部)の参謀部が定めた「極東国際軍事裁判所条例」(略称「チャーター」)でした。「チャーター」は第1条から第17条までありましたが、いずれもとても簡単な記述で、国際法や慣習法とはまったく無関係の、マッカーサー一個人の権威に由来するだけの条例にすぎませんでした。しかも裁判官はすべて戦勝国から選ばれ、敗戦国および中立国からはひとりも出ていません。したがって東京裁判の構造は、非常にわかりやすくいえば、A暴力団とB暴力団が抗争になり、A暴力団が勝ったのでB暴力団の組員を勝手に裁いたようなものです。
要するに東京裁判とは、連合国軍総司令官のマッカーサーが命じてやらせた「復讐裁判」ないしは「私刑(りんち)」でした。
それゆえ、裁判の冒頭、日本側弁護団の中心的人物で東条英機被告の主任弁護人であった清瀬一郎弁護人(のちに衆議院議長)は、「裁判の管轄権(ジュリスディクション)はどこにあるのか」と突っ込んでいます。ウェッブ裁判長(オーストラリア人)はそれに答えることができませんでした。また、ウェッブ裁判長に対する「拒否」が提出されたときは、その動議を拒絶する理由として、最高司令官マッカーサーによって任命されたからという「任命権」しか盾にすることができませんでした。
東京裁判とはそれほどズサンな裁判だったのです。