電脳筆写『 心超臨界 』

敵を知り、己を知れば百戦殆うからず
( 孫子 )

活眼 活学 《 我々はいかにして潜在エネルギーを培養するか――安岡正篤 》

2024-06-27 | 03-自己・信念・努力
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我々の仕事は、案外思いがけない示唆によって活気を与えられる。思いがけない人から、思いがけない話を聞いて、その話が思いがけない影響、示唆、ヒントを自分に与えて、それが仕事に非常に生きるものなんであります。あんな奴は別に俺の仕事に関係のある人間じゃないから附き合う必要なんかない。俺は銀行員だから、銀行のことさえ考えておればいいんだという考えは、利口なようで実は馬鹿な考えであります。


『活眼 活学』
( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p22 )
[1] 活眼・活学
1 肉眼と心眼

◆我々はいかにして潜在エネルギーを培養するか

ところが、いかにしてこの潜在エネルギーを培養するかということになりますと、これは植物栽培において、肥料、土壌などに非常な苦心を要するのと同じように、我々も肥料、土壌に周到な注意を払わなければならない。ということはどういうことかと申しますと、単純ではいけないのであります。複雑な用意が要るのであります。もっと徹底して申しますと我々や親たちの心がけや生活がどうであったか、ということが、よほど子孫の潜在エネルギーに響いてくるのであります。

今日の遺伝学の研究によりますと、約5千人前の先祖の特質がその5千人目の子孫に現われておる。そこまで実験されておるそうであります。だから遺伝というものは恐ろしいもので、なあに、子孫のことなど知ったものか。俺は俺で好(い)いように暮らすんだという刹那主義者は、これは実に非科学的なのであります。非道徳的とか非哲学的とか言う前に、非科学的であることが、今日の遺伝学、今日の科学で実証されておるのであります。そのように、我々は平生の心掛けというものが、我々の潜在エネルギーに非常に影響するのであります。

そこで、だんだん賢明な学者や実際家の研究をいろいろ注意しておりますと、大変教えを受けることが多いのですが、例えば、皆さんがこれからどんどん成長し発達していかれる、俗な言葉で言えば成功してゆかれるのにも、銀行員であれば銀行の仕事さえ几帳面にやっておればそれで良いかというと、決してそう簡単にはゆかないのであります。人間というものは一つに自然の存在でありますから、自然の法則にも支配されるので、我々の精神や生活が単調になりますと、物の慣性・惰力と同じ支配を受けまして、じきにエネルギーの活動が鈍ってくるのであります。つまり人間がつまらなくなってくるのであります。眠くなってくるのであります。

よく言うことですが、平たい言葉に案外妙味がありますが、「彼奴は眠たい奴で、あいつと話をしておると眠くなる」というような人間がよくあるものであります。つまり内容のない、決まりきった人間になってしまうと、精神活動が鈍ってしまう。惰力的に生きて、創造的――よく言うクリエイティブに生きない。眠くなってしまう。

私がドイツを旅行いたしまして、戦争直前でありましたが、始めてドイツの大道路を見てびっくりいたしました。これはヒットラーが最も苦心したもので、国内縦横に実に見事な大道路が坦々として一直線に延びておる。この道路の発達には全く驚きましたが、ところがその坦々たる大道において交通事故が案外多いのであります。ということは、あまりにも単調でありますから、運転手がつい眠くなってしまうのであります。そこで大道において事故を起こす。だからドライブをする時には始終運転手に話しかけたり、とにかく注意して運転手を眠らさんよう、そもそも自分も眠らないように注意しなさいということをよく言われましたが、道というものも少し紆余曲折をつける。あるいは道路に緑地帯を置くとかロータリーをつけるとかして、色々変化を与えないと、面白い安全なドライブにならないということが分かって、せっかく作った坦々たる大道にどう変化を与えるかということで、今度は技師がまたえらい苦労をしておるという話を、当時しばしば聞かされたことであります。

皆さんも成功されるのに、あまり単純に考えておられると、今の話のように、相当大人物にできておっても、ヒットラー道路みたいなことになってしまって、しばしば衝突・破壊を招くようなことになる。途中で寝てしまって一向つまらない人間になってしまうという危険もあるわけであります。

それを防ごうとするならば、いろいろの心掛けが必要となるわけですが、なかんずく、やっぱり良い師友、良い先生や友達を持つ、つまり交際に注意をするということが第一であります。同じような人間が、同じような生活をして、そういう連中だけが附きあっておっても物にならないのであります。毎日見慣れておる顔を見て、決まりきった話をして、決まりきった生活を繰り返しておるために、だんだん無内容、無感激、いわゆる因習的マンネリズムというものになってしまう。できるだけ生活内容を異にした友達に交際を持つ。そうして浅はかに考えると一向自分たちの生活や仕事に関係のないようなことでも興味を持ち、注意をしてこれに接する。つまりなるべく広く味のある、変化に富んだ良い交友を豊かに持つという心掛けが、まず第一に必要であります。

我々の仕事は、案外思いがけない示唆によって活気を与えられる。思いがけない人から、思いがけない話を聞いて、その話が思いがけない影響、示唆、ヒントを自分に与えて、それが仕事に非常に生きるものなんであります。あんな奴は別に俺の仕事に関係のある人間じゃないから附き合う必要なんかない。俺は銀行員だから、銀行のことさえ考えておればいいんだという考えは、利口なようで実は馬鹿な考えであります。物をあまり単純化するということは、これは一面において案外危険であります。ところがなかなか現実の生活に忙しい我々が、そういう意味合いにおいて良い附き合いを多面的に持つ、豊かに持つということは、言うべくして容易に得られないことであります。これは心掛け一つでいくらでもできると言えばできるものの、やはり肉眼では駄目で、心眼が開いてこないと難しいことであります。

そこで、その次に大切なことはと申しますと、やはりどうしても読書をするということ、良い書を読むことであります。読書も、つまらない時間つぶし、気晴らしというような読書では駄目、我々の人間味というもの、我々の内面生活というもの、つまり我々の表、社会生活というものから隠れておる潜在面、即ち精神生活というものに得るところのある人間的教養の書物というものをできるだけ豊かに持つということであります。

これは非常な効果があるもので、それは銀行人、経済人だから、銀行に関する知識・技術・経済に関する、産業に関する知識・技術、そういったものに関する書物が皆さんにとって一番親しみ易い、また手に取り易いものであるには相違ないが、それだけでは案外駄目なのでありまして、一見それに関係がないようでありながら、しかしそれが人間としての皆さんの内面生活を豊かにするような書物はむしろ、より以上にこれに親しむ、これを愛読する。そういう世界のことにも静かに心を傾けてみることが潜在エネルギーを豊かにして、我々の社会的活動、人間的存在というものに生命を附与する。平たい言葉で言うならば、いつまでも歳を取らないで、いつまでも頭が古くならないで、世間から重んぜられ、大切にされる秘訣であるということもできるのであります。

第二次大戦後の世界の動きというものを注意して心眼を開いておりますと、もとよりそこにはいろいろな問題がありますが、このお話に関連して、私は戦後の著しい現象として三つの大きな問題を列挙いたしたいと存じます。
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