§5-2 WGIP——GHQが推進した精神劣化政策
WGIP;War Guilt Information Program(戦争犯罪情報宣伝計画)
◆GHQが推進した精神劣化政策
多くの日本国民が、日本国憲法の、それも9条のおかげで平和が守られたと素直にそう思っています。理性では、軍隊は必要だと理解していたとしても、世界の厳しい現実からあえて目をそむけています。なぜなら、そのほうがラクだからです。そして、この「ラクでいい」という発想こそ、GHQが推進した精神劣化政策が見事に成功したことの一例です。
◇GHQが推進した精神劣化政策
『国際ニュースの読み方』
( 馬淵睦夫、マガジンハウス (2020/8/4)、p169 )
日本国憲法というと、憲法9条ばかりが話題となるようですね。戦争の放棄と、2項として、戦力の不保持、交戦権の否認が規定されています。
よく考えていただきたいのですが、国の独立は軍隊がなければ達成できません。つまりこれは、日本が国家として真に独立することを阻むために書かれている条文です。
多くの日本国民が、日本国憲法の、それも9条のおかげで平和が守られたと素直にそう思っています。理性では、軍隊は必要だと理解していたとしても、世界の厳しい現実からあえて目をそむけています。
なぜなら、そのほうがラクだからです。そして、この「ラクでいい」という発想こそ、GHQが推進した精神劣化政策が見事に成功したことの一例です。
GHQは、憲法を与えただけでは満足しませんでした。これだけでは、日本人の精神を骨抜きにできるかどうか不安だったのでしょう。そこで、悪名の高い「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)に着手しました。一言でいえば、日本人に戦争の罪悪感を植えつけるための洗脳です。このラインに沿って、言論を徹底的に統制しました。
1946~48年にかけて、極東軍事裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。日本は邪悪な侵略国家だった、という見方を絶対不可侵として書き換えた日本の歴史を「東京裁判史観」と呼びますが、情報や言論の一切は、その線で統一され、検閲されました。
――検閲はどのように行われたのでしょうか?
GHQは、日本人検閲官を使って日本人の言論を検閲しました。
検閲にあたったのは英語ができる高学歴のインテリ日本人で、日給1千円、月給が当時の価値で現在の1千万円を超えるという高給取りでした。検閲の後ろめたさを消すには、自己正当化が必要です。まず自分が、日本は犯罪国家だったと信じる必要があります。
言論する側、たとえば新聞記者などには、検閲に従わなければ仕事にならないという事情が当然、生まれました。検閲される側はしだいしだいに自己規制を始め、遂には積極的に検閲官におもねるようになっていき、共犯関係に陥ったのです。
この共犯関係は当事者以外に知られることはありませんでした。そのため、たいへん居心地のいい、相互に多大な利益のある関係になりました。このように、日本人が積極的に協力した側面もあるわけです。
1951年、サンフランシスコ講和条約で日本は再び独立します。検閲は公式には廃止されました。しかし、元検閲官たちは過去を隠して官界、経済界、教育界、学界など各界の指導的立場に戻りました。
検閲は廃止されたのに、検閲の指針は墨守されました。なぜなら、共犯関係にあった人々がみな、「共犯の罪」を追及されるのを恐れたからです。日本は悪、という路線をもはや崩すわけにはいきません。
このように、戦後の特殊な状況を利用した持ちつ持たれつの存在を渡部昇一氏は「敗戦利得者」と名づけました。この敗戦利得者はいまも、特に新聞やテレビなど大手メディアや左翼リベラルと称する学者、知識人、文化人の間にしっかり残っています。つまり、政治家や経済人も含めて、「戦後民主主義体制」に巣くう利権構造と言ってもいいでしょう。
――「日本は邪悪な侵略国家だった」というのは、アメリカの洗脳なのですね。
そのとおりです。「侵略は事実ではない」ということは、GHQトップのマッカーサーが、日本侵略説を否定していることからもわかります。
1950年にはじまった朝鮮戦争で、マッカーサーは国連軍の最高司令官に任命されますが、1951年に早々と解任されます。解任が正当かどうかも含めた米上院軍事外交委員会(同年5月)で、マッカーサーは「日本が太平洋戦争に突入したのは、大部分は安全保障上の必要によるものだった」と証言しました。
解任はマッカーサーにとって、政府から裏切られたも同然でした。もはや事実を隠す必要はないと考え、アメリカの対日戦争の不正義を告発する意図で、マッカーサーは日本の戦争目的を擁護する発言を行ったのです。
この点は、先述したフーバー元大統領の見解とも一致します。フーバーは終戦直後に食糧事情調査のために来日し、マッカーサーと会談しています。その席で、フーバーが「ルーズベルト大統領こそ、日本を戦争に追い込んだ張本人だ」と述べたのに対し、マッカーサーは「同意した」と回顧録で語っています。
ここで考えてください。日本と正面から死闘を演じ、連合軍最高司令官として日本占領統治にあたったマッカーサーのこの議会証言を日本の教科書は一切書かないのです。おかしいですね。日本は依然としてGHQの東京裁判史観を忠実に守り続けていることが、むしろ憐(あわ)れに見えてくるではありませんか。私たちはいったい何を恐れているのでしょうか。
日本国民の方々、特に若い人たちにぜひこのマッカーサー証言の重みをかみしめてほしいと思います。歴史教科書はこぞってこの証言を載せるべきです。載せない教科書こそ検定不合格にすべきでしょう。
すでにお話ししたように、大東亜戦争が日本の自衛戦争であることは、戦争前からアメリカ首脳にはわかっていたのです。
WGIP;War Guilt Information Program(戦争犯罪情報宣伝計画)
◆GHQが推進した精神劣化政策
多くの日本国民が、日本国憲法の、それも9条のおかげで平和が守られたと素直にそう思っています。理性では、軍隊は必要だと理解していたとしても、世界の厳しい現実からあえて目をそむけています。なぜなら、そのほうがラクだからです。そして、この「ラクでいい」という発想こそ、GHQが推進した精神劣化政策が見事に成功したことの一例です。
◇GHQが推進した精神劣化政策
『国際ニュースの読み方』
( 馬淵睦夫、マガジンハウス (2020/8/4)、p169 )
日本国憲法というと、憲法9条ばかりが話題となるようですね。戦争の放棄と、2項として、戦力の不保持、交戦権の否認が規定されています。
よく考えていただきたいのですが、国の独立は軍隊がなければ達成できません。つまりこれは、日本が国家として真に独立することを阻むために書かれている条文です。
多くの日本国民が、日本国憲法の、それも9条のおかげで平和が守られたと素直にそう思っています。理性では、軍隊は必要だと理解していたとしても、世界の厳しい現実からあえて目をそむけています。
なぜなら、そのほうがラクだからです。そして、この「ラクでいい」という発想こそ、GHQが推進した精神劣化政策が見事に成功したことの一例です。
GHQは、憲法を与えただけでは満足しませんでした。これだけでは、日本人の精神を骨抜きにできるかどうか不安だったのでしょう。そこで、悪名の高い「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)に着手しました。一言でいえば、日本人に戦争の罪悪感を植えつけるための洗脳です。このラインに沿って、言論を徹底的に統制しました。
1946~48年にかけて、極東軍事裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。日本は邪悪な侵略国家だった、という見方を絶対不可侵として書き換えた日本の歴史を「東京裁判史観」と呼びますが、情報や言論の一切は、その線で統一され、検閲されました。
――検閲はどのように行われたのでしょうか?
GHQは、日本人検閲官を使って日本人の言論を検閲しました。
検閲にあたったのは英語ができる高学歴のインテリ日本人で、日給1千円、月給が当時の価値で現在の1千万円を超えるという高給取りでした。検閲の後ろめたさを消すには、自己正当化が必要です。まず自分が、日本は犯罪国家だったと信じる必要があります。
言論する側、たとえば新聞記者などには、検閲に従わなければ仕事にならないという事情が当然、生まれました。検閲される側はしだいしだいに自己規制を始め、遂には積極的に検閲官におもねるようになっていき、共犯関係に陥ったのです。
この共犯関係は当事者以外に知られることはありませんでした。そのため、たいへん居心地のいい、相互に多大な利益のある関係になりました。このように、日本人が積極的に協力した側面もあるわけです。
1951年、サンフランシスコ講和条約で日本は再び独立します。検閲は公式には廃止されました。しかし、元検閲官たちは過去を隠して官界、経済界、教育界、学界など各界の指導的立場に戻りました。
検閲は廃止されたのに、検閲の指針は墨守されました。なぜなら、共犯関係にあった人々がみな、「共犯の罪」を追及されるのを恐れたからです。日本は悪、という路線をもはや崩すわけにはいきません。
このように、戦後の特殊な状況を利用した持ちつ持たれつの存在を渡部昇一氏は「敗戦利得者」と名づけました。この敗戦利得者はいまも、特に新聞やテレビなど大手メディアや左翼リベラルと称する学者、知識人、文化人の間にしっかり残っています。つまり、政治家や経済人も含めて、「戦後民主主義体制」に巣くう利権構造と言ってもいいでしょう。
――「日本は邪悪な侵略国家だった」というのは、アメリカの洗脳なのですね。
そのとおりです。「侵略は事実ではない」ということは、GHQトップのマッカーサーが、日本侵略説を否定していることからもわかります。
1950年にはじまった朝鮮戦争で、マッカーサーは国連軍の最高司令官に任命されますが、1951年に早々と解任されます。解任が正当かどうかも含めた米上院軍事外交委員会(同年5月)で、マッカーサーは「日本が太平洋戦争に突入したのは、大部分は安全保障上の必要によるものだった」と証言しました。
解任はマッカーサーにとって、政府から裏切られたも同然でした。もはや事実を隠す必要はないと考え、アメリカの対日戦争の不正義を告発する意図で、マッカーサーは日本の戦争目的を擁護する発言を行ったのです。
この点は、先述したフーバー元大統領の見解とも一致します。フーバーは終戦直後に食糧事情調査のために来日し、マッカーサーと会談しています。その席で、フーバーが「ルーズベルト大統領こそ、日本を戦争に追い込んだ張本人だ」と述べたのに対し、マッカーサーは「同意した」と回顧録で語っています。
ここで考えてください。日本と正面から死闘を演じ、連合軍最高司令官として日本占領統治にあたったマッカーサーのこの議会証言を日本の教科書は一切書かないのです。おかしいですね。日本は依然としてGHQの東京裁判史観を忠実に守り続けていることが、むしろ憐(あわ)れに見えてくるではありませんか。私たちはいったい何を恐れているのでしょうか。
日本国民の方々、特に若い人たちにぜひこのマッカーサー証言の重みをかみしめてほしいと思います。歴史教科書はこぞってこの証言を載せるべきです。載せない教科書こそ検定不合格にすべきでしょう。
すでにお話ししたように、大東亜戦争が日本の自衛戦争であることは、戦争前からアメリカ首脳にはわかっていたのです。