電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

悪魔の思想 《 安江良介――北朝鮮に対する「誠実」とはなにか/谷沢永一 》

2024-04-29 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


日本の歴史を「誤り」であると強弁することによって、明治以来の日本国民すべてを罪人扱いする論理です。なるほど、いちおう口先では「日本人の一人として」と言ってはいますが、その実、自分は並みの「日本人」一般とは違うと言い立てているわけですね。自分および自分たちだけは「誠実と主体性」を確保しているという旨の胸をそらした宣言です。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p158 )
進歩的文化人の差配人・安江良介(やすえりょうすけ)への告発状
第6章 金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人

  安江良介
  昭和10年生まれ。金沢大卒。東京都知事特別秘書、『世界』編集
  長を経て、現・岩波書店社長。大赤字の美濃部都政の黒幕。

  北朝鮮は第18富士山丸の船員2人を捕えて帰国を許しませんでし
  た。これはまったくの言い掛かりによる不当な抑留であったこと言
  うまでもありません。そのとき安江良介は北朝鮮の非人道的な無法
  については一切の批判を避けました。そして二人が故国に帰れない
  本当の原因は日本の側にあると言い立てます。すなわち日本政府が
  本当に解決しようと努力しないからである、というわけです。つま
  り北朝鮮の言いなりになれ、という意味ですね。安江良介は金日成
  を崇拝し、心情的には金日成の代理人(エージェント)でした。

6-2 北朝鮮に対する「誠実」とはなにか

しかし、以上の無邪気な敬服のかぎりでは、世間に珍しくない英国(イギリス)崇拝や仏蘭西(フランス)崇拝と同じく、安江良介は北朝鮮崇拝の病原菌におかされて、見えるはずのものが見えなくなっているのだなあとすますこともできましょうが、さらに病い膏肓(こうこう)に入って病状が昂進し、北朝鮮礼拝を梃(てこ)として、日本を罵るに至っては黙(もく)して見逃すことはできません。「〈金日成会見記録〉歴史の転換を求めて」(平成3年12月『世界』)において、安江良介は、まず恭(うやうや)しく敬意を表します。

  主席閣下は、第二次大戦後、今日まで一貫してトップリーダーとし
  て民族を導き、国際政治の転変をみてこられた、世界にも例を見な
  い政治家であります。

なるほど安江良介はことのほか「トップ」に惹かれる性格なのかもしれませんね。それはともかくとして、安江良介はおもむろに日本および日本人に対する全面否定の批判にとりかかります。

  日朝正常化は、三党共同声明を得て漸(しばら)くその扉が開かれま
  した。私たちが多年、切望したところであります。それにもかかわ
  らず、日本側の姿勢はみずから歴史の誤りを清算しようという誠実
  と主体性を欠くものであり、日本人の一人として憂慮に耐えないと
  ころであります。
                            (同前)

北朝鮮が日本と友好条約を結ぼうという姿勢を示した事実はないのですから、安江良介が切望する「誠実」とは、土下座しての献金を意味するとしか考えられません。

  みずからの歴史の誤りをみずから償おうとする意思力のきわめて弱
  い日本の場合は、その目はさらに曇らざるをえない。
                            (同前)

日本の歴史を「誤り」であると強弁することによって、明治以来の日本国民すべてを罪人扱いする論理です。

なるほど、いちおう口先では「日本人の一人として」と言ってはいますが、その実、自分は並みの「日本人」一般とは違うと言い立てているわけですね。自分および自分たちだけは「誠実と主体性」を確保しているという旨の胸をそらした宣言です。

『かくて昭和史は甦(よみがえ)る』が指摘した歴史的事実 へつづく
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歴史を裁く愚かさ 《 西洋文... | トップ | 不都合な真実 歴史編 《 「英... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事