電脳筆写『 心超臨界 』

敵を知り、己を知れば百戦殆うからず
( 孫子 )

般若心経 《 「不垢不浄」を教えてくれた孫の下痢——松原泰道 》

2024-07-12 | 03-自己・信念・努力
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意味ははっきりしても、私たちの感情は、不垢不浄にとてもついていけそうにありません。ところが私に、この謎を解いてくれたのが、末孫(すえまご)の良樹(よしき)の下痢でした。良樹がまだ幼少のころ、腸を痛めてなかなか快(よ)くならないので、家中で心配していました。ある朝、私が食事をしていますと、嫁の真沙子(まさこ)がうれしそうににこにこして、私の食卓の側に寄って来ました。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p201 )
6章 不生不滅の教え――刻一刻、死に向かいつつある生(せい)を生き抜くために
(1) 来るべき「死」を見つめて
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
しゃりし ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

◆「不垢不浄(ふくふじょう)」を教えてくれた孫の下痢

「不生不滅」で多くの紙数を費やしましたが、後は同じパターンですから、これからの理解は容易です。

「不垢不浄(ふくふじょう)」――ここも先の「不生不滅」の場合と同じく「(是の諸法は空を相として)垢(あか)つかず、浄(きよ)からず」と言葉を足してみるとわかりやすくなります。平たくいうと〈きたないもきれいもない〉ということです。不垢不浄の「不」は、前にも記したように、超えるという「非」の意味で用いられています。〈きたないやきれいの感情に執われないならば、きれいもきたないもない〉という意味になります。

意味ははっきりしても、私たちの感情は、不垢不浄にとてもついていけそうにありません。ところが私に、この謎を解いてくれたのが、末孫(すえまご)の良樹(よしき)の下痢でした。良樹がまだ幼少のころ、腸を痛めてなかなか快(よ)くならないので、家中で心配していました。ある朝、私が食事をしていますと、嫁の真沙子(まさこ)がうれしそうににこにこして、私の食卓の側に寄って来ました。

「お父さまにも心配をおかけしましたが、良樹が今朝はこんなきれいなうんちをしました。見てやってください――」と、まだ湯気が出ている良樹の排便をおむつごと私に見せるのです。

私は、「真沙子さん、私は食事中だよ」と言ったものの、孫の健康な排便を見てうれしくなって、「よかったね!」と言いました。嫁は、はじめてきがついたようで「あら、ほんと、ごめんなさい」とあやまりましたが、私は別に嫁を叱る気にはなれません。孫の病気全快のほうがうれしかったのです。

しかし、それは孫の場合であったからなので、他家(よそ)の若妻が私といかに懇意でも、食事中にこんなことをしたら、私はむろんその非常識をなじったに決まっています。

排便の臭気に変わりありません。しかし可愛い孫のだと臭気が苦にならないし、他人の子どもさんのは臭くて汚ないのです。人間は勝手なもので、身内の者だと愛情がはたらくから、臭さが苦にならないのです。
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