電脳筆写『 心超臨界 』

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新しい視野を持つことにある
( マルセル・プルースト )

読む年表 古代~中世 《 大和平定――渡部昇一 》

2024-10-22 | 04-歴史・文化・社会
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戦後は、天照大神の高天原(たかまがはら)系(天孫系)と素戔嗚尊の出雲系があたかも別の国のように争ったようにも言われたが、天孫族も出雲族も姉弟(きょうだい)の神々の子孫であり、同族である。一族同士のなかで別々の土地に移り住み、交渉があったと考えるほうが適切だろう。というのは、天孫族と出雲族それぞれに、国の始まりを婚姻の歌としてうたった和歌が残っているからである。


◆大和平定(やまとへいてい)

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p18 )

紀元前660(皇紀元年(日本書紀))
大和平定(やまとへいてい)
平和宣言「八紘一宇(はっこういちう)」による日本建国――天孫系と出雲系の合体

神武天皇は大和を平定して橿原(かしはら)に都を開き、この地で即位式を行った。これが橿原神宮(奈良県)のもとであるが、そのときにこういうことを言っている。

「六合(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘を掩(おお)いて宇(いえ)となさん。また可(よ)からずや」

この八紘というのは「天(あめ)の下(した)」という意味で、六合は「国のうち」である。ここから「八紘一宇」という言葉が生まれた。これは、「世界を一つの家とする」ということばである。

戦後は、この「八紘一宇」は、日本の侵略戦争を正当化した言葉として批判されるが、もともとは決してそんな意味ではない。『日本書紀』の原文を読めばわかるように、これは即位式に集まったもろもろの氏族に対して、「これからは国じゅう一軒の家のように仲よくしていこう」という、長い戦争のあとの平和宣言なのである。

そしてまた神武天皇は、事代主神(ことしろぬしのかみ)と玉櫛媛(たまくしひめ)の娘である媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と結婚して正式の妻にした。事代主神というのは大物主神(おおものぬしのかみ=大国主(おおくにぬし))の子で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の孫にあたる。天孫系の天照大神(おまてらすおおみかみ)の子孫である神武天皇が、出雲系の素戔嗚尊の曾孫(ひまご)にあたる娘と結婚したということは、大和朝廷と出雲国とが完全に和解したことの象徴ととらえてもいいだろう。

『日本書紀』によれば、神武天皇は辛酉(かのととり)の正月庚辰(かのえたつ)の一日に橿原神宮で即位した。これは新暦では2月11日になるので、明治になってからこの日を「紀元節」としたのである。

戦後は、天照大神の高天原(たかまがはら)系(天孫系)と素戔嗚尊の出雲系があたかも別の国のように争ったようにも言われたが、天孫族も出雲族も姉弟(きょうだい)の神々の子孫であり、同族である。一族同士のなかで別々の土地に移り住み、交渉があったと考えるほうが適切だろう。というのは、天孫族と出雲族それぞれに、国の始まりを婚姻の歌としてうたった和歌が残っているからである。

  葦原(あしはら)の繁(しげ)こき小屋(をや)に 菅畳(すがたたみ)
    いや清(さや)敷きて 我が二人寝し ( 神武天皇 )

  八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(いずもやへがき) 妻籠(つまご)みに
    八重垣作る その八重垣を ( 素戔嗚尊 )

これは両者が同じ民族同士であり、言葉も同じであったことを明らかに示している。多少の衝突はあったかもしれないが、やがて穏やかに合併して、大和側(天孫族)が上位に立ったということではないだろうか。そうでなければ素戔嗚尊を祀った祇園神社が畿内にあることの説明がつかない。天照大神と素戔嗚尊が“誓約”を交わし、子供である三人の女神と五人の男神を交換し、その子孫が再び結婚によって結ばれることによって、天孫系と出雲系は平和裡に合体したのである。
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