電脳筆写『 心超臨界 』

自然は前進と発展において留まるところを知らず
怠惰なものたちすべてにののしりを発する
( ゲーテ )

読む年表 明治~戦後 《 日英同盟成立――渡部昇一 》

2024-07-01 | 04-歴史・文化・社会
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日英同盟成立のニュースを聞いて、当時の国際社会は文字どおり仰天した。なぜなら、世界に冠たる大英帝国が、有色人種の小国・日本と同盟を結ぶというのは、当時の常識では考えられないことであったからだ。イギリスの提案を信じなかった人は日本政府内にもたくさんいた。伊藤博文ですら、ロシアと妥協するほうが可能性は高いと見ていたのである。


◆日英同盟成立

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p204 )

1902(明治35年) 日英同盟成立
世界の常識をくつがえし、ロシアとの開戦を可能にした同盟

三国干渉の後、ロシア海軍が遼東半島沿岸や朝鮮西海の制海権を握ったことは、日本の防衛に大変な脅威となった。「開戦やむなし」の声も高まったが、日本がロシアに勝てる可能性は万に一つもない。日本政府の首脳たちもそう考えていたし、他の欧米諸国もそう思っていた。ところが、日本にとって思わぬ味方が現れた。大英帝国から同盟の提案があったのである。

日英同盟成立のニュースを聞いて、当時の国際社会は文字どおり仰天した。なぜなら、世界に冠たる大英帝国が、有色人種の小国・日本と同盟を結ぶというのは、当時の常識では考えられないことであったからだ。イギリスの提案を信じなかった人は日本政府内にもたくさんいた。伊藤博文ですら、ロシアと妥協するほうが可能性は高いと見ていたのである。

イギリスはその頃、南アフリカのボーア戦争に手を焼いていた。英陸軍が東アジアでロシアの南下を抑えることは全く不可能とわかったので、東アジアに信頼できる国を求めていたのだが、当時は、イギリスのその頃の苦渋は日本にはまだよく知られていなかった。イギリスがアジアの植民地を守るためのパートナーとして日本を選んだ背景を考えると、やはり北清事変(ほくしんじへん)でイギリスの日本観が変わったということ以外にありえないのではないか。

もちろん、同盟とは言っても、はるばるヨーロッパからイギリス軍が援軍に来てくれるわけではない。武器供与をしてくれるわけでも、戦費を調達してくれるわけでもない。しかし、かの大英帝国がロシアに対していっさいの便宜供与を拒絶し、圧力をかけつづけてくれれば、ロシア軍の動きは大いに妨げられる。ロシアと同盟関係にある国も、イギリスとの関係上、ロシアを軍事的に助けることはないだろう。そうなれば、小国・日本がロシアに勝つチャンスが生まれるはずだ。日英同盟が結ばれたことが、日本をロシアとの開戦に踏みきらせたのである。

日本にとって日英同盟の持つ意味はまことに大きかったわけだが、およそ二十年間にわたって続いたこの同盟は、日露戦争以後も両国にとって重要な意味を持ちつづけた。イギリスの同盟国ということで、国際社会における日本の信用は大いに高まった。また、日本にアジアを任せていられたおかげで、イギリスもヨーロッパ大陸での外交に力を集中することができた。

その日英同盟の解消を企んだのはアメリカであった。シナ大陸進出を最大の目的にしていたアメリカは、なんとか日本の力を殺(そ)ぎたかった。日本を第一の仮想敵国とみなし、精力的に運動した結果、大正10年(1921)のワシントン会議において日英同盟は解消されることになった。そのかわり日・英・米・仏の四国協定が結ばれたのだが、“共同責任は無責任”という言葉のとおり、この条約は何の意味もなかった。イギリスとの同盟がなくなったと見るや、アメリカは日本を狙い撃ちしはじめ、これ以降、日米関係は悪化の一途をたどる。
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