電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

読む年表 明治~戦後 《 下関条約により韓国独立——渡部昇一 》

2024-06-30 | 04-歴史・文化・社会
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朝鮮は地続きであるから、彼の地はずっとシナの属国、つまり彼らの首長は「王」のままであった。ところが日清戦争で日本が勝ち、朝鮮が独立したため、朝鮮民族始まって以来はじめて「大韓帝国」と称し、国王も皇帝と称することができた。その事実は、韓国の独立を実に象徴的に表現しているのである。とはいえ、それは日清戦争が終わってから日韓併合までの十数年間でしかなかった――。


◆下関条約により韓国独立

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p196 )

1895(明治28年)
下関条約により韓国独立
大韓帝国誕生の歴史的意義

日清戦争の終結後、明治28年に下関で開かれた講和会議では、大きく分けて、(1)朝鮮の独立承認、(2)遼東半島・台湾島の割譲、(3)軍費賠償金2億両(テール)の支払い、の三点が決まった。

この下関条約によって、大韓帝国が成立する。朝鮮半島において「帝国」という名がついた独立国家が生まれ、朝鮮に皇帝が誕生するのは、史上初めてのことであった。

東アジアの漢字文化圏において、「王」と「帝」とでは、まったくその意味が違う。秦の始皇帝以来、シナの中華思想では、「皇帝」は天下にただ一人、全世界を統治するシナの皇帝のみであって、シナ以外の土地を治める「国王」はみな皇帝の臣下であろうというのがその建前である。唯一の例外が、天皇を戴く日本であった。

こうした中華思想には、当然ながら「外国との貿易」という発想もない。そもそも「わが帝国には何一つ欠けているものはない」から、他国から物品を輸入する必要もないというわけである。だから、清朝のころにイギリスなどの西洋諸国から外交使節が訪れたときも、臣下の礼をとらねば皇帝に会うことができず、そのため、アヘン戦争で清朝が負けるまでは、シナとの貿易はすべて朝貢貿易の形をとった。つまり、シナ文明に憧れて貢ぎ物を持ってきた蛮族に対して、皇帝が恩恵を施すということでシナの物品が海外に輸出されるというわけである。

今日から見れば奇妙な発想と言う以外にないが、シナと国境を接する朝鮮にとっては、彼らの望むとおりにシナの属国となるしか生き残る道はなかった。それで、古来、朝鮮の君主はみな、シナ皇帝の臣下という地位に甘んじていたのである。李氏朝鮮の太祖(たいそ)・李成桂(りせいけい)は元来、高麗の将軍であったが、1392年(日本では南朝と北朝が第百代後小松(ごこまつ)天皇で合一した年)、みずから高麗王の位を奪い、明の太祖(洪武帝(こうぶてい))より朝鮮王と名乗ることを許されたのである。

日本だけが首長は天皇、あるいは日本皇帝と名乗った。聖徳太子が隋の国に最初の使者(小野妹子(おののいもこ))を送ったとき、その国書に「天子」「東天皇」という言葉を使ったという話は、あまりにも有名である。その文言を見て、隋の煬帝(ようだい)が「悦ばず」、すなわち腹を立てたという記録も残っている。しかし、いかにシナの皇帝が腹を立てても、相手は海の向こうであるから征伐するわけにもいかない。だから、日本ではそのまま皇帝、天皇で通せたという幸福な事情があった。

しかし、朝鮮は地続きであるから、彼の地はずっとシナの属国、つまり彼らの首長は「王」のままであった。ところが日清戦争で日本が勝ち、朝鮮が独立したため、朝鮮民族始まって以来はじめて「大韓帝国」と称し、国王も皇帝と称することができた。その事実は、韓国の独立を実に象徴的に表現しているのである。とはいえ、それは日清戦争が終わってから日韓併合までの十数年間でしかなかった――。
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