電脳筆写『 心超臨界 』

リスクを取らなければ敗北することはない
だが、リスクを取らなければ勝利することもない
( リチャード・ニクソン )

楽しみながら三船さんに切られて死んだ――仲代達矢

2024-09-06 | 04-歴史・文化・社会
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仲代達矢さんは『七人の侍』にエキストラで出演した。スクリーンの端から端へと5秒ほど歩くだけのシーン。ところが、ゆっくりと歩き始めた途端、黒澤監督からダメが出た。何度やってもOKしてもらえない。結局、5秒のシーンのために6時間も歩かされるという屈辱を味わった。その7年後。仲代さんは、黒澤監督から『用心棒』の準主役ともいうべき卯之助役に指名される。こんどは黒澤監督から特別の注文もなく、気持よく演技に打ち込むことができたという。ラストシーンでは、仲代さんは楽しみながら三船さんに斬られて死んだ、と「私の履歴書」(日経新聞)に書いている。

仲代さんが気持ちよく斬られて死んだシーンを、『用心棒――スチール写真全348』(小学館文庫)から振り返ってみたい。

●三十郎はニヤリと笑った。そして、このタイミングを待っていたかのように、歩く速度をどんどんと速め、ついには走り出し、卯之助の右手のほうへ走り込むような素振りで上体を倒すと、今度は逆の左手のほうへ走り込み体を倒した。その流れるような動きに体を任せながら、三十郎は懐に隠していた出刃包丁を素早く取り出し、卯之助へ向けて投げ飛ばした。

●卯之助は急に動きを変化させた三十郎に驚き、大きく右側へ動き、慌てて短銃を一発撃った。だが、その狙いは大きく外れ、三十郎の足元に着弾の土煙が立ち昇った。

●銃声が轟くほんの少し前に、三十郎の投げた出刃包丁は、卯之助の短銃を持った右腕に見事に突き刺さっていた。卯之助は激痛のあまり身を反って、包丁が刺さったままの、短銃を握ったその手を天へ向けて高く突き上げた。そして、痛さからか思わす短銃の引き金を握りしめ、空しい銃声が大空へと再び響きわたった。その音は、まるでこれからはじまる惨劇をしらせる合図のように、馬目の宿の隅々まで広がっていった。

●卯之助はそのままの体勢でよろめき立ち、これまでに見たこともない苦痛の表情を浮かべて三十郎を睨みつけた。

●三十郎の刀がギラッと光った。三十郎は包丁を投げたそのままの体勢で刀を抜き、一目散に卯之助のほうへ走り込んだ。

●そして、その勢いを生かし、手を高く突き上げたまま空いている卯之助の胴を一刀斬り抜いた。斬られた卯之助はよろめきながら短銃を手から落し、そのまま前のめりながら地面へ倒れた。


◆楽しみながら三船さんに切られて死んだ

「『用心棒』――黒澤明監督から指名」
私の履歴書 仲代達矢(俳優)
( 2005.11.12 日経新聞(朝刊))

『人間の條件』第一、二部の撮影を終え第三部のロケまで半年の余裕があった。休めるのかなと思っていたら、当時、俳優座映画放送部長だった佐藤正弘さんから仕事の話が来た。黒澤明監督が「空いている間、仲代君を貸してくれ」と言っているのだそうだ。

黒澤監督の名を聞いて『七人の侍』にエキストラとして出たときのことを思い出した。数秒のシーンのために6時間も歩かされた屈辱がよみがえってくる。「また、あんなふうに絞られたらいやだな」。正直なところ、あまり気乗りがしなかった。

だが、気持ちは一変した。監督が「七年前のことを覚えているから使うんだ」と言ってくれたことを人伝(づ)てに耳にしたからだった。「仲代」という珍しい名前が記憶にあったのか、『人間の條件』などでの演技を観(み)てくれたのか。いずれにせよ、その一言で黒澤組と一緒に仕事をさせてもらうことに決めた。

映画は三船敏郎主演の『用心棒』。三船さん演じる浪人桑畑三十郎が二つのやくざ組織を巧みに操り壊滅に導くという、やくざ嫌いの黒澤監督らしい物語で、私は片方の親分の息子卯之助役だった。

昔から黒澤監督と三船さんにあこがれていた。二人がコンビを組んだ作品は『野良犬』以来、全部観ている。しかし、二人の実像はスクリーンからうかがえない厳しさに縁取られていた。

三船さんは台詞(せりふ)以外の言葉をほとんど口にしなかった。決して撮影に遅刻しない。台詞は全部頭にたたき込んで、現場に台本を持ち込まない。大スターなのに付き人もいなかった。黒澤監督と二人三脚ともいえる形で映画づくりに励むうちに、自然にできあがった禁欲的なスタイルだったようだ。

監督が私を起用したのは、三船さんの三十郎だけがスーパーマンのように強いのでは面白くないと考えたためだった。対照的なキャラクターを戦わせるという娯楽映画の王道を行き、三船さんには野犬、私には蛇をイメージしてくれと言った。監督か三船さん自身の演出か、三十郎は肩を動かす「癖」があった。ろくに風呂にも入らないのでシラミがいるという想定だ。

私が衣装の着物を取り換えながら試していると監督が言った。「首筋が寂しいな」。そして思いついたのがチェックのマフラーだった。さらに本物のスプリングフィールド銃を持ち、三十郎の太刀さばきに立ち向かう。

この作品では日本映画として初めて望遠を多用した。上州の宿場町という設定なので空っ風を吹かせるために大扇風機が何台も回り、ほこりを巻き上げて強風が顔を襲う。銃を撃つと空砲ながら硝煙が目に入る。思わずまぶたを閉じたら監督が叫んだ。「目をつむるな」。遠くからアップで私の顔を追っていたのだ。

黒澤監督の殺陣では実際に刀を体に当てるから小さなケガが絶えなかった。東映のチャンバラ映画の殺陣が「舞う」なら、黒澤映画は「斬(き)る」という表現がふさわしい。

三船さんの動きはすばらしかった。息を詰めたままに目にも止まらぬ速さで何人もの敵を切り倒す。そばで見ていても、どうやって斬ったのかわからないほどだった。

監督から演技について特別の注文はなく、『人間の條件』の梶とは全く違う役に気持よく打ち込めた。ラストシーンで、私は楽しみながら三船さんに斬られて死んだ。
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