電脳筆写『 心超臨界 』

現存する良品はすべて創造力の産物である
( ジョン・スチュアート・ミル )

◆勝手なトルデシリャス条約

2024-07-16 | 05-真相・背景・経緯
§1-1 欧米諸国(白人国家)は地球全土を侵略し尽くそうとしていた
◆勝手なトルデシリャス条約


トルデシリャスはセルバンテスが一時暮らしたバリャドリードに隣接する街。世界史に詳しい方なら、スペインとポルトガルが1494年にローマ教皇の承認を得て、新たに発見した土地の分割方式を決めたトルデシリャス条約を思い出すだろう。地図上に南北の分割線を引き、東がポルトガル、西がスペインのものとする勝手な条約がこの地で批准されたのである。


◇勝手なトルデシリャス条約

「鈍機翁のため息」162 贋作騒動
【 産経新聞 H26.09.29 】

贋作の著者、トルデシリャス出身の学士、アロンソ・フェルナンデス・デ・アベリャネーダとは何者か。ここで気になる地名が登場したので、寄り道したい。

トルデシリャスはセルバンテスが一時暮らしたバリャドリードに隣接する街。世界史に詳しい方なら、スペインとポルトガルが1494年にローマ教皇の承認を得て、新たに発見した土地の分割方式を決めたトルデシリャス条約を思い出すだろう。地図上に南北の分割線を引き、東がポルトガル、西がスペインのものとする勝手な条約がこの地で批准されたのである。

さらに1522年、マゼランの艦隊が世界が丸いことを証明したため、ヨーロッパの視点に立つなら「地球の裏側」にもう1本南北の分割線を引く必要に迫られ、1529年にサラゴサ条約が批准される。この分割線に従えば、日本は広島県福山市を境に東西に分割され、東側はスペイン、西側はポルトガルのものとなる。日本は戦国時代まっただ中である。ちなみに種子島への鉄砲伝来は1543年、フランシスコ・ザビエルの来日は1549年のことである。鉄砲とキリスト教が時をおかずして伝えられたという事実は不気味だ。そして16世紀後半になると、ポルトガル人は織田信長の庇護のもとで南蛮貿易を開始、日本人を安く買って、世界各地に奴隷として販売するようになる。1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を発布したのは、まさに慧眼(けいがん)であった。  (桑原聡)
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