電脳筆写『 心超臨界 』

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( ジョン・ゲイ )

真珠湾攻撃の真実 《 大東亜戦争は侵略戦争であったのか――西部邁 》

2024-07-10 | 04-歴史・文化・社会
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真珠湾攻撃は明らかに日本側の先制攻撃です。ところが、当時行われていた対日輸出禁止やABCD包囲網によって、このまま続けば日本は滅びるという段階まで締めあげられていた。一方で「日本が悪うございました、満州も全てお返しします」となれば日本の歴史的一貫性、名誉そのものが崩壊する。それを防ぐための予防(プリベンション)として真珠湾を攻撃したという面が明らかにあるわけです。つまり、予防的先制攻撃は侵略にあらずと考えれば、真珠湾攻撃ですら、自衛の一環という面を色濃く持つ。


◆大東亜戦争は侵略戦争であったのか

「菅総理は対米屈従の反省ザル」――西部邁・評論家
「WiLL」2010年10月号、p66 )

話を先の大戦に戻すと、大東亜戦争の解釈についても議論が大雑把に終わってしまっているところがあるわけです。

たとえば、あの戦争は侵略戦争であったのか、自衛戦争であったのかという問いが常に発せられる。左翼方面からは侵略であり、反省するべきであるとなる。一方の反左翼方面からは自衛戦争であり、恥じるところはないとなる。しかし、普通に考えて100%の侵略や100%の自衛と、そんな単純に歴史の歯車は回っているはずはないのです。戦争は侵略と自衛の要素が複雑に絡(から)み合って展開されている。

かつて、小説家の林房雄氏が言ったように「あの戦争は幕末からの百年戦争」です。それこそ百年間自衛を続けてきたとか、百年間侵略をしてきたなどというのは幼稚な子供の戦争観であり、いささか侵略か自衛かの仕分けを必要とするのです。ところが、その仕分けが容易ではない。その理由は侵略(アグレッション)の定義そのものが未だに明確に定義されていないからです。

小生の見解で侵略とは何かと定義すれば、「覇権的な意図をもって当国から武力出動をすること」となります。裏を返せば、先制攻撃それ自体は侵略ではないとなる。なぜならば、先制攻撃(プリエンプション)には予防的先制(プリベンティブ・プリエンプション)もあるからです。

分かり易い例を挙げると、真珠湾攻撃は明らかに日本側の先制攻撃です。ところが、当時行われていた対日輸出禁止やABCD包囲網によって、このまま続けば日本は滅びるという段階まで締めあげられていた。一方で「日本が悪うございました、満州も全てお返しします」となれば日本の歴史的一貫性、名誉そのものが崩壊する。それを防ぐための予防(プリベンション)として真珠湾を攻撃したという面が明らかにあるわけです。つまり、予防的先制攻撃は侵略にあらずと考えれば、真珠湾攻撃ですら、自衛の一環という面を色濃く持つ。そう考えると、対半島あるいは対中国大陸出動に関しても予防的な面が山ほどある。

簡単に申し上げると、朝鮮半島を巡ってロシアが南下政策を敷いた。日露戦争で一度は追い払いはしたものの、またぞろロシアが当時の李王朝を掠(かす)め取ろうとしていたということは歴史的な事実です。そうならば1910年の韓国併合の根本的な動機として当時の日本国家の予防的という意味において自衛であったという解釈は、100%とは言いませんが、打ち消し難くあるわけです。

しかしながら、控え目に言えばこうなります。百年戦争でいえば、幕末から明治のはじめにかけては、明らかに予防的先制も含めて自衛の度合いが非常に強かったけれども、次第に日本も国家としての体裁をなし、欧米諸列強に追いつき始める。1910年頃から日本のみならず全世界的に帝国主義の最高潮の段階に達しはじめ、日本も帝国主義の性格を強めざるを得なかった。とりわけ1915年の対華21カ条要求あたりから、覇権的な意図としての武力出動というものに少しずつ傾き始めたことは紛れもない事実です。

あとは歴史家が調べるべきことです。僕はそんな調べに大して関心がないので、思想的に大雑把な総論を示すしかない。すると、この百年戦争は次第に自衛の度を弱めつつあったが、対米関係の最終段階によってあそこまで追い込まれれば、国家の自衛のために真珠湾攻撃にはじまる予防的先制攻撃を仕掛けざるを得なかった、ということになる。この百年間におよぶ戦争史の自衛度と侵略度を積分してみれば、自衛の面積の方が広く、侵略の面積は少なかろうと、これが常識というものです。その割合が7対3なのか6対4なのかは、歴史家と称する暇な方々が調べて下さいというふうに話を済ませておくしかない。
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