電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

活眼 活学 《 自性は万物を統帥する――安岡正篤 》

2024-06-20 | 03-自己・信念・努力
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「故に天地之塞は吾れ其れ体とす」。あるいは体す。天というものは際限なく広がった空間であるけれども、その天体はすべて実体である。それを自分は体にしておる。今日の言葉でいうならば、人体は無数の細胞より成る天地創造の一実体である。正に「天地の塞」である。天地は生成進化してやまない。万物を大統しておる。そこで「天地之帥は吾が其の性なり」。自分の天性―自性は即ち万物を統帥するものである。


『活眼 活学』
( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p191 )
[3] 座右銘選話
4 天地はわが父母

◆自性は万物を統帥する

「故に天地之塞は吾れ其れ体とす」。あるいは体す。天というものは際限なく広がった空間であるけれども、その天体はすべて実体である。それを自分は体にしておる。今日の言葉でいうならば、人体は無数の細胞より成る天地創造の一実体である。正に「天地の塞」である。天地は生成進化してやまない。万物を大統しておる。そこで「天地之帥は吾が其の性なり」。自分の天性―自性は即ち万物を統帥するものである。そうしてみると、民は皆吾が同胞である。物は吾が与(なかま)である。テイヤールもこれに開眼したわけです。

そこで、大君は天地という父母の宗子であり、其の大臣は宗子之家相、即ち本家の後嗣の支配人である。相(大臣)という字は面白い字であります。木偏に目という字が書いてある。昔の人は、木で家を建てたり、あるいは船を造ったり、いろいろしなければならない。そこで木をよく見ることが必要である。木を見分ける。そこで木偏に目という字を書いた。あるいは先の方を見通すのには、木の上に登る。それで先が分かる。そこで木の上に目を持ってゆけば一番よくその形を表わすが、それでは細長くなってしまうので、目を横において、そしてこれを「みる」と読む。これは遠方を、先々を見通すという意味である。そうしてこそ初めて、そっちへ行っちゃ駄目だ。こっちへ来なくちゃいけないと助けてやることができるから、「たすける」という意味にもなる。国民にうろうろまごつくのを助けて、先々の計を立ててやるのが大臣です。それでこの文字を大臣に使う。何相、何相という。だから先の見えない大臣なんてこの相に値せんわけです。

「高年を尊び、孤弱を慈しむ」は秩序を立てる所以(ゆえん)である。聖とは天地と其徳を合する者。賢とは天地と徳を合するとまではゆかぬが、人間として秀でた者である。およそ天下の疲れわずらい、不具癈疾、よるべなき者、老いて配偶のない者など皆、本来吾が兄弟の落ちぶれてどこに訴えようもない人々にほかならない。癃(りゅう)は“やまい垂れ”に隆いと書いてあるから、背中が高くなるせむしのこと。また面白いことは、前立腺肥大症のことをもいう。昔からあったものとみえる。残疾の残はそこなう。惸はいろいろ心配ごとの多い、殊に孤独に通ずる意味で、鰥という字は老いて妻なき者です。

「于時」ここにと読むが、この「時」という字は実は深遠な意味があります。時とは何ぞやという、西洋哲学でもやかましい問題ですが、それはしばらく措(お)いて、大切なあらゆる時点において、とでもしておきましょう。之を保つ、保んずる子の翼(つばさ)である。鳥の飛行に翼がどんなに大切か。飛行機に乗る人々は特に分かるでしょう。「楽しんで且つ憂へざるは、孝に純なる者なり」。孝行というものは何か骨が折れるもの、辛いことのように思うのは利己的な我執のせいで、尊い生命と永遠の理を体認する者には、孝は楽しんで憂えざる道理であります。こういう道に違(たが)うは悖徳という。仁を害するは賊という。悪をなす者は「不才」。天地人を三才といいます。才は即ち創造の機能です。悪はその破壊。

「其形を践む」とは存在の機能を現行することで、天地父母から与えられたこの存在・形体の意義・使命をよく実践する。これが践形です。「惟れ肖也」。天地や父母に似た者、ひとしい者である。そうでない者は不肖である。そういう天地人間の生成化育の理を知れば、善くその事を解説することができる。そうしてその造化の至理―神を窮むれば善く天地・父母の志を継ぐというものである。屋漏というのは部屋の片隅(西北隅ともいう)。そこからよく雨漏りなんかするものです。『詩経大雅』の抑編に「爾(なんじ)の室に在るを相(み)るに、尚屋漏に愧ぢず」とあり、また『小雅』小宛に「夙(はや)く興(お)き夜(おそ)く寐(い)(*)ね、爾の所生を忝(はずか)しむる無かれ」とあります。また『大雅』烝民に、「夙夜(しゅくや)懈(おこた)らず以て一人に事(つか)ふ」と言っております。

  ブログ注(*):実際の漢字は“うかんむり”ではなく“あなかんむり”。

「旨酒を悪む」は、うまい酒をいけないとすること。崇伯は聖人禹(う)の父・鯀(こん)のことで、黄河の治水に失敗した。それをこの禹が達成した。彼はせっかく儀狄(ぎてき)が作った酒も、その旨(うま)さが故に後世これによって必ずや国を亡ぼす者があるだろうと言って、父の為に尽くした。
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