電脳筆写『 心超臨界 』

真実はつねに刺激的 だから真実を語れ
真実のない人生では退屈である
( パール・バック )

真理のひびき 《 真の幸福は現在感謝を実行する――中村天風 》

2024-09-17 | 03-自己・信念・努力
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[箴言二十五]

真の幸福は 現在感謝を実行する
謙虚の心から期せずして将来される
Real happiness is naturally brought from a humble mind
with which gratitude to the existence of life is expressed sincerely.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p236 )

この問題は、修練会を履修した人なら誰でも十分に納得できる事実問題である。

多くいうまでもなく、修練会で修得された安定打坐密法(あんじょうだざみっぽう)を実行すれば、極めて容易にこの問題の消息をその心意識に感得することができるからである。

というのは、すでに修練会員諸子ならよく知っているように、修練会の重要行修課程となっている真理瞑想行を行う際、その基本要諦として必ず践行する安定打坐密法は、これを真剣に実修すると自然的に心意識領の完全払拭が現実になる結果、宇宙創造の根本主体に実在する、無限で不変不朽な、かつ建設的なる創造の力(ヴリル)という尊厳なるものと心意識領が不可欠に結合し、その当然の帰結として、いわゆる一切智という絶対的なものと全一的となるため、あらゆる真理を極めてスムースに感得する。すなわち、自然的本然の作用(ナチュラル・アクティブ・キャパシティ)が人間の特に意識領域に賦与(ふよ)されているからである。

そして、幸福というものは、多くの人々が考えるような客観的なものでなく、要は何れの点から、観点を措(お)いて考察しても、絶対に主観断定のものであるということが理論批判でなく、いわゆる霊感的に刹那断定で、判明する。

これを精神科学的に説明すると、意識中の最高の霊性意識が発現して来るがためである。

そして、同時に、生命の生存に対する現在状況のいかんにかかわらず、その存在に満足の感謝を心をして感じさせることが、幸福招来の何よりの先決問題であるということがわかってくる。

もっとわかりやすくいえば、健康に故障があろうとも、また運命に不如意のものがあろうとも、否、もっと極言すれば、いかなる場合に対しても、そういうときに、なおかつ活きていられるという大きい事実を感謝する心をもつことであるということが自然と悟れるのである。こうした心こそ、いわゆる謙虚な心という。いいかえると、何らのわだかまりのない純一無雑な人間だけがもつ最高の気高い心なのである。

ところが、概ね多くの人は、平素講習会のときにもしばしばいう通り、いろいろと難しい理屈や議論を口に筆に、喋々(ちょうちょう)する割合に、こうした絶対真理を少しも正しく自覚していない。

率直にいうと、かくいう筆者も壮年の頃まで全然このような階級の高い自覚を心にもっていなかった。相当の理智教養をもっていながら、無自覚のためとはいえ、幸福をひたすら相対方面にのみ求めて、ただあくせくと一向に満足を心に感じないままに絶えず不平と不満の奴隷となっていた。

しかもそれが大変な誤りであることも知ることができなかったため、ただ心の中は求めるものだけがいたずらに多く、しかも得るものがあまりにも少ないので、実にやるせない焦りと煩悶(はんもん)にさいなまされ、形容のできない懊悩(おうのう)の毎日を過ごしたものである。

だから、ちっとやそっとの恵まれなどは、嬉しいと思ったこともないという、実に今から思うと憐れな卑しさが心の全部であったといえる。

前にもふれたが、道歌に、

「おもうこと一つかなえばまた二つ 三つ四つ五つ 六(む)つかしの世や」

という、まったくその歌の通りであった。

それがいったんダーラナ密法とダーヤナ密法を会得して、換言すると皆さんに教える安定打坐密法と真理瞑想行を践行の結果、先に述べた真理を感得し得て、さらに十数年の苦心の末に、現在皆さんに伝えている各種の精神統御の方法を創見して、それを実行に専心懸命したところ、まったく文字通り天空海闊(かいかつ)光風霽月(さいげつ)さながらの積極的な心を作り上げることができ、永年わが心を苦しませた不平不満やその他一切の忌まわしい消極的な心はまたたく間に雲散霧消し、代わりに何事に対してもまずそのことを積極的に善意に解釈して、(講習会で常に力説する通り)感謝一念で活きることができるようになってから、あえて努力しなくても幸福が頻来(ひんらい)するという果報の毎日を満喫するようになれて、さしもの難患ごときもまるで薄紙を剥(は)がすように快癒し、その上全然予期もしなかった長寿を自分でも不思議と思うほど颯爽矍鑠(かくしゃく)と持続して、今なお多くの人々に人生幸福を事実お領(わ)けする聖業にいそしんでいられるというありがたさに恵まれているのである。西哲の言にもある通り「事実が最後の証明者である」。要するに、こうした心になったおかげである。

であるから現在運命なり健康なり、そればかりではなく何事かに不平不満なりあるいは不如意を感ずる人は、とにかくそのことがらに拘泥(こうでい)する心を前述の通り、まず感謝と満足の方面へと振り替える心的態度を採ることである。もちろん、心に対する真理と方法とを知得する皆さんは、凡人のやからが感じるような困難を感じることなく、むしろ容易に心の振り替えを現実化できることは必然と確信する。

要するに、ただひたすらに実行するのみである。

実行がともなわなければ、秘法も密法も何をかなさんやである。

そういうわけで、不幸に直面したら、まずその不幸に際しても、なおかつ生命を失わずに現在活きていられることを感謝することに心を振り向けるべきである。するとそうした心がけそれ自体が、幸福を招いて来る原動力となるのである。

だから、英国の諺にも、「汝が不幸なときこそ幸せそうに振る舞え」というのがある。

また「人は、自分の心の持ち方一つで、どの程度でも幸福になれるものである」というのがある。

結論すれば、理論よりは事実である。そうでなくても自己の生命は絶対に他の何ものとも取り替えることのできない貴重なものである以上、いわんや「天は自ら助くる者を助く」という真理が、また絶対に侵すことのできない状態で実在するのであるから、一日も早く自己の心を真理に順応する謙虚なものとなして、真の幸福を収受されんことを心よりあえて勧奨する。
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