孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

クルド自治政府とカタルーニャ自治州  分離独立運動に立ちはだかる中央政府・国際社会の“壁”

2017-10-31 22:55:12 | 中東情勢

(退任を表明したクルド自治政府のバルザニ議長【10月31日 Newsweek】)

クルド:バルザニ議長退任で、今後の交渉は新たな世代で
9月25日のイラク・クルド自治政府、10月1日のスペイン・カタルーニャ自治州、中央政府の反対を押し切って独立を問う住民投票を実施した両者とも、中央政府の強硬姿勢と国際社会からの孤立によって行き詰まっています。

クルド自治政府の方は、イラク軍のキルクークなどへの軍事展開、自治政府内部の対立などから、独立後の財政的な柱でもあった油田地帯キルクークなど、対ISの戦闘で獲得してきた自治区外の支配地域を失い、住民投票を主導したバルザニ議長は退任を余儀なくされています。

****<クルド自治政府>議長退任で混乱懸念 対抗勢力と対立激化****
イラク北部クルド自治政府の議会は29日、自治政府トップのマスード・バルザニ議長(71)が11月1日に退任することを承認した。

バルザニ氏はイラクからの独立の是非を問う9月の住民投票後に混乱を招いた責任を取る形で辞意を示していた。クルド系メディア「ルダウ」などが伝えた。
 
投票に反発したイラク中央政府は、クルド側が実効支配していた油田都市キルクークに軍を派遣して奪還するなど、自治政府に対する圧力を強化。苦境に陥った自治区ではバルザニ氏の退任を求める声が高まっていた。
 
29日の演説でバルザニ氏は「対話での問題解決を望む」と退任による事態好転に期待したが、「独立を求める声を消すことは誰にもできない」と独立運動への執念も示した。

また「クルドの山々のほかに誰も味方はいなかった」と述べ、周辺諸国や関係が近い米国が投票に反対したことに反発。

さらに「住民投票がなくても攻撃計画はあった。クルド側を不安定化させる文化は変わらない」と中央政府を非難した。
 
議長後任を巡っては権力闘争が発生しかねない。自治政府内部には、バルザニ氏を支えたクルド民主党(KDP)と、クルド愛国同盟(PUK)の抗争という断層が走る。今回のイラク軍進攻の際はPUK傘下部隊が撤退し、バルザニ氏は「裏切り」と非難、両陣営の対立は深まった。
 
周辺国の思惑も自治区内の緊張を高める。国内にクルド人が多い隣国イランは独立運動の波及を懸念し、軍事組織「革命防衛隊」のスレイマニ司令官を自治区に派遣、イラン国境地帯に地盤を持ちシンパも多いとされるPUK幹部に投票延期を働きかけていた。
 
一方、中央政府との関係改善の見通しは不透明だ。投票結果の「凍結」を表明した自治政府に、中央政府は「無効化」を求める。バルザニ氏退任が対話につながる保証はない。
 
バルザニ氏は2005年に議長に選出され、09年に再選された。任期は4年だが13年以降は選挙は行われず、近年は過激派組織「イスラム国」(IS)掃討を理由に議長職にとどまった。

クルド独立運動の闘士が父で人気は根強い。ただ親族を要職に配置する縁故主義的な統治手法で、住民からは「バルザニ王朝」とも呼ばれた。【10月30日 毎日】
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本格的な軍事抵抗もできずに撤退したことは意外でしたが、キルクークなどの係争地を含んだ形の住民投票実施がイラク中央政府の強硬姿勢、イラン・トルコなど周辺国の圧力を招くことは予想されていたことでもあり、バルザニ議長がどのように投票後の対応を考えていたのかやや不思議でもあります。

住民投票の強行自体が、与党内ライバル政党との権力争いや、縁故主義・汚職の蔓延に対する野党からの批判といった内政上の問題を抱えるなかで、独立に向けた世論によって求心力を維持しようという思惑が強くあったと指摘されていますので、ある意味“自滅”の感もあります。

長年クルド自治政府を主導してきたクルド民主党(KDP)のバルザニ議長が退任、また、もう一方のクルド愛国同盟(PUK)も創設者でイラク前大統領を務めたジャラル・タラバニ氏が死去ということで、クルド自治政府は新たな世代で厳しい現実に立ち向かうことになります。

****クルド独立運動に転換点 バルザニ議長の退任承認****
・・・・バルザニ氏が議長の座を降りることで、イラクにおけるクルド独立運動は大きな転換期を迎える。9月下旬に強行された独立を問う住民投票を機に中央政府は自治政府への締め付けを強めており、新たな世代にとって厳しい船出となることは確実だ。
 
バルザニ氏は16歳でイラク側との戦いに加わり、1970年代に父親の後を継いでクルド民主党(KDP)を率いてきた。山岳地帯での長い戦歴から「山の支配者」などと呼ばれる。

クルド人独立を掲げて戦ってきたもう一つの主要政党、クルド愛国同盟(PUK)も10月、創設者でイラク前大統領を務めたジャラル・タラバニ氏が死去したばかりだ。
 
クルド自治政府は現在、KDPのバルザニ氏の下でおいのネチルバン氏が首相を務め、PUK側では副議長のほか、タラバニ氏の息子のクバド氏が副首相を務める。

今後はこうした面々が主導的役割を果たす見通しだが、2005年からバルザニ氏が議長に居座り続けたため、「KDP側に権力のバランスが偏った」(現地の外交筋)といわれる。
 
11月1日に実施予定だった自治政府の議長・議会選は8カ月間先延ばしされることが決まっており、先の外交筋は「議長ポストは空席になる」との見通しを示す。

住民投票実施を受け、イラク中央政府が自治政府の実効支配下にあった北部キルクークへ進軍した際、PUKの部隊が戦わずに撤退したことなどでKDP側との関係は冷え込んでおり、この期間に対立の火種が権力闘争に発展する可能性も否定できない。
 
イラク中央政府を取り巻く環境も変わりつつある。ティラーソン米国務長官は今月下旬、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)との戦いなどに加わったイランの軍事顧問やシーア派民兵について、「イランに戻るべきだ」と表明。これに対し、中央政府のアバディ首相は「イラクの機関の一部だ」と述べて反発した。
 
ISとの戦いなどで良好な対米関係を維持してきたとされるアバディ政権も、来春の議会選を前に正念場を迎えつつある。自治政府との駆け引きにも影響を及ぼしそうだ。【10月30日 産経】
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【“変化”を嫌う国際社会 クルドの“見果てぬ夢”実現は難しく
住民投票において圧倒的多数で独立を支持(投票率72%、賛成は92.7%)した住民には、これまでの“国家を持たない最大民族”の悲劇的歴史からの脱却という“夢”がありました。投票には“お祭り”のような勢いもありました。

****夢は終わった****
クルド人たちは、現実はさておき、「いつかは、自分たちの国を持つ」という夢に投票した。
 
投票権を持たない人々も、クルド自治区が自分たちに与えてくれた安全や、医療や教育、ビジネスという恩恵に敬意を込め、あるいは、ISと戦うペシュメルガにエールを送るために勢いで投票した。
 
お祭り騒ぎが繰り広げられた。しかし、国際社会はクルドに対してはあまりにも厳しかった。
 
ただし、今まで虐げられ国を持てなかった民族だからこそ知恵もある。
「戦闘の継続はどちら側にも勝利をもたらさず、国を無秩序と混乱に陥れる」として、住民投票の結果を凍結してまでも話し合いの場を作ろうとしていることだ。
 
しかし、10月26日、イラク中央政府のアバディ首相は「投票の無効化しか受け入れない」という声明を出し好戦モード全開といった感じである。(後略)【10月30日 佐藤 真紀氏 JB Press】
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IS掃討の主力としてアメリカに協力し、イラク中央政府とも協調して戦ってきたクルド側には“国際社会から見捨てられた”“使い捨てにされた”との思い・恨みもあるでしょう。

しかし、クルド人独立後のイラクの治安悪化を懸念するアメリカや、自国のクルド人に独立機運が飛び火するのを恐れるトルコ、イラン、シリアなどの周辺諸国・・・・国際社会は“変化”を嫌い、“安定”を求めます。

そうしたなかで平和的に分離独立を実現することは極めて困難です。

クルド側がキルクークをあきらめたら、中央政府との交渉の余地はあるかもしれませんが、財政的には非常に厳しくなります。また、財政・経済的には、国内PKKを刺激することを懸念するトルコの同意を取り付ける必要もあります。

困難な交渉の過程で、自治政府内の政治対立が激化する可能性もあります。

自治政府は住民投票結果を凍結して“話し合い”を求めていますが、クルド人の“夢”をかなえるような結果はあまり期待できません。

独立の“必然性”が薄弱な感もあるカタルーニャ まずは12月の州議会選挙で再出発を
スペイン・カタルーニャ自治州も、中央政府による自治権停止、州首相・閣僚の解任、議会の解散、州首相などの訴追という強硬姿勢、EUや欧州主要国のスペイン中央政府支持という現実の前で、行き場を失っています。

****解任のカタルーニャ州首相がベルギー入り、弁護士と接触 亡命検討か****
スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立問題をめぐり、州首相を解任されたカルレス・プチデモン氏がベルギーに渡り、亡命事案に関わった経験を持つ弁護士と連絡を取っていたことが30日、分かった。同氏ら州政府幹部に対してはスペインの検察当局が反逆などの容疑で訴追手続き進めている。
 
プチデモン氏は28日にテレビ演説を行い、州の自治権停止に踏み切った中央政府に「民主的な抵抗」をするよう地元住民らに呼び掛けていたが、それ以降は動静が伝えられていなかった。
 
しかしその後、ベルギーを訪れ、スペイン・バスク地方の住民の亡命事案を手がけた弁護士のポール・ベカルト氏と連絡を取っていた。

バスク地方では、非合法武装組織「バスク祖国と自由(ETA)」が分離独立を求めて数十年にわたって武装闘争を繰り広げた。
 
ベカルト氏は30日、ベルギーの公共放送VRTに対し「プチデモン氏は亡命を申請するためにベルギーにいるわけではない。本件についてはまだ何も決まっていない」と語っている。
 
スペインメディアは、プチデモン氏は複数の州政府幹部らとベルギーに向かったと報じている。
 
スペインの検事総長は、中央政府によって解任されたカタルーニャ州政府の幹部らを国家反逆や扇動の容疑で訴追する考えを示している。反逆罪で有罪となれば最大で禁錮30年を科される可能性がある。【10月31日 AFP】
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ただ、前出のクルドに比べると、カタルーニャの場合、独立の必然性が“希薄”な感もあります。

民族・文化・歴史の問題は別にして、クルド人が国家を持たないことで、フセイン政権による化学兵器攻撃、ISによる虐殺といった大きな犠牲を強いられてきたのに対し、カタルーニャの場合、税収の使い道が自分たちに不公平だというのでは・・・・。

また、独立に対して賛成・反対がほぼ拮抗している状態で、圧倒的多数が独立を求めているという話でもありません。

“スペインの主要紙エルムンドがカタルーニャ住民を対象に行い、29日に発表した世論調査によると、州議会選が行われれば、独立派政党を支持するとの回答は42.5%、独立反対派の政党支持率は43.4%とほぼ拮抗(きっこう)しており、住民の間の分断を象徴する結果となった。”【10月30日 毎日】

クルドの場合は、最悪の場合、武装組織ペシュメルガによって軍事対決で・・・という選択肢もない訳ではありませんが(成功するかどうかは別にして)、カタルーニャにはそうしたものもありません。

上記記事でバスク地方の名前が出ていますが、かつてのバスク独立運動のようにテロ活動に訴えるのでしょうか。
ことの是非は別にして、中産階級主導のカタルーニャの場合、そうした執念もないのでは。

これまでの展開は、州・中央政府双方が強硬派に引きずられた感もあります。

****カタルーニャ問題】2人の「弱い指導者」が招いた分断 強硬派に引きずられ、妥協探れず****
スペイン東部カタルーニャ自治州の独立問題は27日、州議会による「独立宣言」に中央政府が自治権停止で応じ、国と州の亀裂が決定的となった。

プチデモン州首相、中央政府のラホイ首相の2人はともに政権基盤が弱く、各陣営の強硬派に押され、妥協策を探ることができなかった。
 
プチデモン氏が所属する独立派政党連合は2015年の州議会(定数135)選挙で62議席を獲得。10議席を保有する独立強硬派の協力で政権を発足させた。同氏は組閣が難航する中、「独立派をまとめられる人物」として擁立された。元記者で、党内基盤は弱い。
 
自治権停止を前に、独立穏健派や国政政党の間からは、同氏が自ら州議会を解散し、選挙を行う妥協策が浮上した。報道によると、同氏は26日、その決断を各派に伝えたが強硬派の反発で断念、州議会に対応を丸投げした。その結果が「独立宣言」だ。
 
一方、ラホイ氏の与党・国民党は15、16年の下院選でいずれも過半数に至らず、少数政権を発足させた。同州が基盤で、独立に反対する中道右派新党シウダダノスに支持を奪われたことも痛手となった。

スペインではかつて、バスク州の分離派テロが続いた経験から、国民党内には地方の独立要求を力で押さえるべきだという意見が強い。
 
こうした中、ラホイ氏はカタルーニャ問題で強硬姿勢を貫き、現地を訪問して国家統合の必要性を住民に訴えようとはしなかった。1日の住民投票は警察を派遣して妨害。有権者の負傷が相次ぎ、州側の姿勢を硬化させた。【10月28日 産経】
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いまのところ、目立った混乱は起きていません。
今後に向けては、ラホイ首相は12月21日に州議会選挙を実施することを発表しています・

****スペイン検察、前カタルーニャ州首相を起訴 直接統治に混乱なく****
スペインの検察は30日、カタルーニャ自治州の独立運動を主導し、同州首相を解任されたプチデモン氏を国家反逆罪や扇動罪などで起訴した。検察はカタルーニャ州政府幹部について、スぺインからの独立を巡り違法な住民投票を実施したとして、国家反逆、扇動、詐欺、資金流用の罪を主張している。

カタルーニャ州の独立問題は10月1日に住民投票が強行されたことで、過去数十年で最大の危機に発展。カタルーニャ州議会は27日、独立に関する動議を可決し、スペインからの独立を宣言。

その後、上院からカタルーニャ州の直接統治権を承認された中央政府のラホイ首相は、同州政府の閣僚を解任し、議会を解散、さらに12月21日に州議会選挙を実施すると発表した。

プチデモン氏は28日、中央政府の直接統治に対する「民主的な抵抗」を呼びかけ、カタルーニャ州が直接統治を受け入れるかどうかが注目されたが、週明け30日に市民は普段通り職場に向かい、目立った抗議活動は起きていない。

プチデモン氏らカタルーニャ州の指導者は自治権停止を認めない考えを示していたが、同氏が所属する独立支持派の2政党は30日、12月の州議会選挙に参加する方針を明らかにし、中央政府による直接統治を事実上受け入れた。(後略)【10月31日 ロイター】
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12月の州議会選挙で改めて“民意”を問うことが、再出発への第一歩でしょう。
選挙結果を受けて、中央政府政府・ラホイ首相もいたずらに強硬姿勢に終始するのではなく、“自治”の範囲内での何らかの譲歩を示すことで、和解に取り組むべきでしょう。
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