孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ソマリア  アフリカのイスラム教徒住民が何百人死んでも話題にする価値もないのか?

2017-10-29 21:15:10 | アフリカ

(ソマリアの首都モガディシオで、トラック爆弾による爆発が起きたホテル前の現場(2017年10月14日撮影)【10月15日 AFP】)

360名ほどの死者 大統領は「戦争状態」を宣言 直後に再びテロ
7月14日ブログ“ソマリアのアルシャバブ、ナイジェリアのボコ・ハラム 支配地域を狭めながらも止まないテロ”でも取り上げたように、東アフリカのイスラム過激派「アルシャバブ」は面的な支配地域こそ多くを失ったものの、今も活発なテロ活動を続けており、最近の犠牲者数ではナイジェリアのボコ・ハラムを上回り「アフリカで最も危険なテロ組織」と指摘する声も出ています。

“ソマリアでは、AU部隊が掃討作戦を展開するほか、トランプ米大統領も3月にアルシャバブへの空爆強化を承認し、米軍は掃討作戦への関与を強めているが、いまだ治安悪化に歯止めがかからない状況。

アフリカの過激派に詳しいフリーステート大(南アフリカ)のフセイン・ソロモン教授は「アルシャバブは国内外でテロを繰り返す能力とネットワークを持ち、壊滅は容易ではない。ボコ・ハラムも衰退したとは言い切れず、両組織の脅威は今後も続くと見るべきだ」と今後もアフリカで過激派のテロが続くとの見方を示した。”【6月26日 毎日】

上記指摘のとおり、アルシャバブによる大規模テロが頻発しており、今月14日には首都モガディシオ中心部で死者が350名を超えるという自動車爆弾テロが起きています。(これほどの犠牲者が出たことについては、当のアルシャバブにとっても“想定外”だったのでは・・・との見方もあります)

このテロを受けて、大統領はアルシャバブとの「戦争状態」を正式宣言しています。

****<ソマリア>爆弾テロ死者358人 過激派と「戦争」宣言へ*****
ソマリアの首都モガディシオ中心部で14日に起きた爆弾テロについて、ソマリア政府は20日、死者数が358人になったと明らかにした。AP通信が伝えた。

アブドラヒ大統領は近く、イスラム過激派アルシャバブとの「戦争状態」を正式宣言し、米軍などの支援を受けて掃討作戦の強化に乗り出す。政府軍とアルシャバブの衝突やアルシャバブのテロ攻撃が一層激化する可能性がある。
 
オスマン情報相によると、56人が依然として行方不明。負傷者は228人に上り、122人が国外で治療を受けている。アルシャバブによるテロでは過去最悪の被害となった。
 
イスラム教の金曜礼拝の日に当たる20日は、テロ現場に多数の市民が繰り出し、犠牲者に追悼の祈りをささげ、現場周辺ではアルシャバブに対し抗議の声を上げた。
 
これまでの調べで、当初の標的はトルコが建設した軍の訓練施設や各国大使館がある国際空港だった疑いが浮上。大量の爆発物を積んだトラックが検問を通過できず目抜き通りで爆発し、付近のタンクローリーに引火したことで被害が拡大した可能性がある。
 
アルシャバブは犯行声明を出していないが、「一般市民に多数の被害が出たことで反発を招いた」(南アフリカ・フリーステート大のフセイン・ソロモン教授)ため、沈黙を貫いているとみられる。
 
一方、今回の被害規模がこれまでのテロを大きく上回った背景にはいくつかの要因があり、現場の状況や爆弾の製造能力の向上に加え、組織内部の主導権争いが影響した可能性も指摘されている。

ソロモン教授によると、アルシャバブは国際テロ組織アルカイダ系の武装組織だが、イスラム国(IS)との共闘を主張する派閥もあり、影響力を競い合っていたという。
 
1991年に内戦に陥って以降、混乱が続くソマリアでは、台頭したアルシャバブが2008年ごろからソマリア中・南部の広域を支配下に置き、12年にはアルカイダとの統合を宣言した。政府軍とアフリカ連合(AU)部隊の攻勢によりアルシャバブは支配地域を狭めてきたものの、テロ攻撃を繰り返している。【10月21日 毎日】
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これだけでもとてもない大事件ですが、まだ2週間ほどしかたたない28日、首都モガディシオで再び自動車爆弾テロが起きたとのこと。

こちらはいまだ犠牲者数は確定していませんが、最新の報道では25人と報じられています。今後増える可能性も。

****爆発テロの死者25人に ソマリア首都モガディシオ、過激派が犯行声明****
ソマリアの首都モガディシオで28日夕、爆弾を積んだ車がホテルに突っ込んで爆発し、ホテルに侵入した武装集団と警官隊との銃撃戦になった。

ロイター通信によると警官隊は約12時間後の29日朝に現場を制圧したが、25人が死亡した。国際テロ組織アルカーイダ系の過激派組織「アッシャバーブ」が犯行を認める声明を出した。
 
28日午後、ホテルの入り口で自動車爆弾が爆発したのに続き、武装集団がホテルに侵入した。大きな煙が上がり、銃撃戦となった。この直後、近くにある旧議会の建物付近でも自動車爆弾が爆発した。ホテル内部には治安当局者らが集まっていたとの情報もある。
 
モガディシオでは14日、爆弾を満載したトラックが爆発し、少なくとも約360人が死亡するテロが起きたばかり。

この事件では犯行声明は出ていないが、モハムド大統領はアッシャバーブの犯行と断定し、「罪のない市民ばかりが無差別に標的となった」と非難していた。同国でも過去最悪規模のテロとなり、住民らが街頭でテロに抗議するデモを行った。
 
ロイターによると、ソマリアでは昨年、爆発事件が400件近く起き、720人以上が犠牲になった。アッシャバーブは厳格なシャリーア(イスラム法)の適用を求める過激組織。【10月29日 産経】
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間隔を置かない連続テロは、前出“アルシャバブは国際テロ組織アルカイダ系の武装組織だが、イスラム国(IS)との共闘を主張する派閥もあり、影響力を競い合っていた”ということの現れなのか?

国際社会は“無関心” これはまともなことなのか?】
360人ほどの死者を出す爆弾テロ、その2週間後に同都市で再び二十数名の犠牲者を出すテロ・・・・これが欧米や日本で起きた事件なら、世の中はひっくり返るような大騒ぎとなるところです。

“連帯”を示す声が欧米社会のソーシャルメディアなどに広がるところでしょう。

しかしながら、ソマリアでの爆弾テロとなると、何百人が死のうが、そうした国際的“連帯”は全く見られません。
欧米・日本のメディア報道も、死者数を“淡々と”報じるものがほとんどです。

身近な欧米・日本社会で起きるテロと、遠いアフリカの、テロが日常茶飯事な国で起きたテロの違いであり、“当たり前”と言えばまったくそのとおりです。ただ、“きれいごと”“建前論”の批判を承知であえて言えば、その反応の違いに違和感も感じます。

もちろん現実を遊離した議論をもてあそぶつもりもありませんが、そうした“違和感”を感じなくなっているとしたら、それは大きな問題なのでは・・・とも思います。
現実に即して対応するにしても、頭の片隅には“違和感”を感じる部分、“これは本来はおかしい”と感じる部分がないと・・・とも。

****ソマリアの爆弾テロになぜ世界は無間心なのか****
10月14日にソマリアの首都モガディシオで起きた爆弾テロ(写真)は死者が300人を超え、ここ十数年で最悪の被害となった。だが欧米で起きるテロ事件に比べると、国際社会における注目度は極めて低い。
 
15年1月にパリで風刺週刊紙シヤルリーエブドの編集部がイスラム過激派に襲撃されて12人が殺害されると、ツイッターに「#私はシヤルリ」のハッシュタグが登場。2日間で300万件以上が投稿された。
 
15年11月にパリで同時多発テロが発生して120人以上が死亡した際は、フェイスブックがプロフィール写真にフランス国旗の3色を表示する機能を提供。3日間で1億2000万人以上が利用したとされる。
 
一方で、ソマリア史上最悪の惨事は、取り立てて話題になっているわけではない。
 
デトロイト・マーシー大学法学大学院のハレド・ベイドウン准教授はフェイスブックで、「悲劇を比較したくはない」としながら、モガディシオの死者数は、今年5月に英マンチェスターのコンサート会場で起きたテロ事件の10倍だと指摘。次のように書いている。
 
「白人の西洋人、ヨーロッパやアメリカの犠牲者はメディアで注目されて、世間に警鐘を鳴らす『価値』がある。黒人やアフリカ人のイスラム教徒にはその価値がない。そういうことだ」

こうした事態は初めてではない。パリ同時多発テロの前日には、レバノンの首都ベイルートで連続自爆テロが発生した。主なメディアは40人以上が死亡したと報じたが、パリの事件に比べると明らかに扱いが違った。
 
モガディシオで数千人の市民がテロ組織への抗議デモを行ったことも、ソーシヤルメディアなどを通じて国際社会で広く共有されてはいない。ソマリアは特にインター・ネットの普及が遅れていることも理由の1つだ。【10月31日号 Newsweek日本語版】
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ソマリア人ギャングの社会復帰を支援する活動に取り組む日本人若者
私は“ちょっと言ってみただけ”の人間にすぎませんが、世の中には“直情径行”というか、感じたままを実行に移せる人もいるようです。

****世界最悪の紛争地ソマリア。「ギャング」に挑んだ若き日本人がいる****
世界最悪の紛争地ソマリアに飛び込み、地元のギャングたちを脱過激化していく。誰にも真似のできないアプローチでテロと紛争に歯止めをかけようとする。NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事の永井陽右さんは、熱い志と、冷静な視点をあわせ持った、若き活動家だ。その活動の原点を聞く。

「世界で一番いじめられている人を助けたい」
・・・・もともと、ソマリアでの活動をしようと思ったきっかけは何だったんですか?
 中学時代の僕はいじめの加害者でした。そのことを強く反省して、罪滅ぼしというか……いじめられている側につきたいという気持ちが漠然と生まれたんです。

どうせやるなら、世界で一番いじめられている人を助けたい。日本でも東日本大震災を含めて大小いくつもの問題がありますけど、そこに目を向けて活動している人はたくさんいるし、日本ほど行政がしっかりしている国もなかなかありませんから。僕には世界で一番いじめられているのがソマリアの人たちだと感じられたんです。
 
最初にソマリアで何かやろうと言い出したときには、多くの大人に反対されました。地球で一番危険な地域だと。でも一番悲惨な状況がそこにあるのに、「危険だからやめろ」というのは論理としておかしいんです。

ソマリアをやりたいんだったらまず東南アジアで十年間修行しなさい、なんて言われましたけど、十年間ってお前ら誰もやれてないじゃんと思って(笑)。生意気ですけど、もう誰もできないならおれたちでやろうと言うようになりました。

一、二年目にやっていたのは、日本でスポーツ用品を集めて現地に送る「Cheer up Somali Sports Project」と、あしなが育英会と協力してソマリアの戦争孤児が日本の大学で長期留学できるよう支援する「Study Abroad Project」です。
これはもちろん無駄ではありませんけど、インパクトという意味では、「大したことをやっていない」と誰よりも僕がわかっていました。
 
大人ができることをやっても意味がない、僕たち若者にしかできないことをやらないと意味がない。そういう思いがずっとあったんです。
 
現地のニーズ調査をする中では、お金をくれ、治安をなんとかしてくれという要望が強く、それまでは大人のやることだと思って無視していたんですよ。

ただ2013年に詳しくヒアリングしてみると、治安悪化の背景にいるギャングが二十歳前後の若者だということを知りました。僕たちは同世代だからこそ、ギャングとアクセスできるのではないか。そこから実際にギャングと会って活動してみることにしたんです。

MGギャングと議論
ギャングはいきなり胸ぐらをつかんできた。でも「同世代」がキッカケに

・・・・現地のギャングに出会う……怖いという思いはなかったんですか?
 もちろん怖いですよ(笑)。最初はもう死ぬんじゃないかって。初めに出会ったギャングは「レッド・アイ」というニックネームで、目が真っ赤に充血しているギャングで、「おれの目を直せ!」と僕の胸ぐらをつかんできた。


後ろでは何人かのギャングがニヤニヤと笑っている。でも僕の後ろにも後輩が何人かいたので、そこでビビっていたら示しがつきません。「おれは医者じゃねえ!」とか怒鳴り返してました(笑)。
 
だから最初はムカついたし、いい経験じゃなかったんです。ただそこから「同世代」ということをキッカケにして、徐々に話せるようになっていきました。
 
というのは、彼らは国を失い、親を殺され、難民認定もされずに、政府からは排除されようとしている、強い不満感情を持った人間たちです。

「国連? 政府? あいつらは何もやってくれないだろ? じゃあ誰がこの社会を変えるんだ? おれたちユース(若者世代)だろ?」
「僕たちは社会を変えたいから、君たちの力を貸して欲しい」
という話しをしてやると、彼らも僕たちを認めてくれる。

常に「ギャング」というレッテルを貼られて排除されてきた彼らにとっては、受け入れてもらえる、必要とされることは初めての経験だから嬉しい。ここからソマリア人ギャングの社会復帰を支援する「Movement with Gangsters」というプロジェクトが発展していきました。
 
きっと僕たちが若者ではなかったら、そもそもギャングとの「対話」は生まれていなかったと思います。知識も経験もない、英語もしゃべれない、むしろそのおかげでギャングと一緒に物事を考えていくという共通基盤を作ることができたんです。 

紛争「中」のDDR。前例なんてほとんどなかった
・・・・ギャングのプロジェクト含め、今取り組んでいる活動は、他国の国際協力の具体例から学んで取り入れたんですか?
 分野として前例がほとんどなかったので、それはできませんでした。

もちろんDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)分野の文献は一通り読みましたが、それらは何千人の部隊を動員して行うものですし、何よりも紛争「後」の活動です。ソマリアやナイジェリアでやらなければならないのは紛争「中」のDDRなんです。
 
そもそも武装解除を行うためには基本的な条件が三つあります。①和平合意があること、②最低限の治安、③各アクターの統一的な意思ですが、ソマリアの場合、これらが一つとしてないんです。

にもかかわらず、紛争「中」に武装解除して、過激派組織やギャングたちを社会復帰させなければならない。DDRの常識から言えば、本来やるべきことではないことを、やらざるを得ない。
 
前例がないので、どこかの組織のやり方をそのまま取り入れるということができません。
 
僕たちは自分たちで状況把握・ニーズ把握・プランニングしてトライ・アンド・エラーを繰り返していくしかないんです。

とは言え、僕たちだけでやっているというわけではありません。ソマリア最前線のモガディシュではイスラム武装組織「アルシャバーブ」向けのDDRをやっていますが、ここではアメリカの元ネイビー・シールズで構成されたコンサル会社と、ソマリア政府と組んでいます。「Movement with Gangsters」では地域のメディカル・クリニックや、現地の若者組織と連携して、話し合いの場を設けていますね。【10月27日 Best Times】
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世の中には“規格外”の人がいるようです。

「Movement with Gangsters」の活動については「日本ソマリア青年機構」HPで紹介されています。
ソマリアの隣国ケニアのソマリア人難民居留民居住区が主な活動フィールドのようです。
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