世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

尖閣諸島問題その2(24)

2012-08-17 00:11:07 | Weblog

この論考でも述べているが、先の年表を参照すれば次のような事実が列挙される。

1992.02.00 中国は「領海法」を制定して、尖閣諸島の領有を宣言している。(レベル1
2010.09.07 の中国漁船による領海侵犯と日本巡視船への衝突事件が発生。(レベル2
2011.06.29 中国軍機が台湾海峡の中間線を越え、尖閣諸島から与那国島上空に侵入する。(レベル3~4
2011.08.24 中国漁業監視船2隻が尖閣諸島の領海を侵犯する。この2件については先の紹介した記事(8/9~10のNO.18,19)を参照のこと。そしてこれは2008.12月以来の中国公船の領海侵犯である。(2008.12の領海侵犯の件は当ブログを参照。)(レベル3
2011.09.29 中国海洋調査船が事前通報とは違う海域で調査、警告に応答なし。
後掲の記事を参照のこと。(レベル3~4
2012.07.11 中国漁業監視船3隻が久場島近くで領海に侵入、国有化方針後初めて。しかも新たな漁業監視船まで出てきて領海侵犯をしている。合計4隻となる。(レベル3~4


参考のために、次に2008.12.8の中国海洋調査船の尖閣領海侵犯の記事と、2011.09.29の違法調査の記事を掲載する。



尖閣領海に一時2中国船=9時間以上にわたり航行-海保
2008年12月8日17時10分配信 時事通信

8日午前8時10分ごろ、尖閣諸島・魚釣島の南東約6キロの日本領海内を中国の海洋調査
船2隻が航行しているのを、パトロール中の第11管区海上保安本部(那覇市)所属の巡視船「くにがみ」が発見した。くにがみなど同本部の巡視船が領海外への退去を求め、2隻は午後5時半ごろ領海外に出た。
同本部によると、2隻は国家海洋局所属の「海監46号」(約1100トン)と「海監51号」
(約1900トン)。2隻は発見後、午前9時40分ごろから約1時間にわたって同島北東約17キロの地点で漂泊。その後再び航行を始めた。
観測機を海に落とすなど海洋調査を行っている様子は確認されず、巡視船は、無線を通
して領海外への退去を要求するとともに、日本の同意を得ていない海洋調査は認められな
いと警告。2隻は午後5時22分と同35分、それぞれ領海外に出て北寄りの方角に進んだ。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200812/2008120800595


  
 
  
中国の海洋調査船が今度は久米島沖に 海保の警告無視
2011.9.29 12:59

 29日午前8時50分ごろ、沖縄・久米島北西約246キロの日本の排他的経済水域(EEZ)で、中国の海洋調査船「科学3号」が航行しているのを海上保安庁の航空機が確認した。船尾からワイヤのようなものをひいており、事前通報とは違う海域を航行していたため航空機から無線で警告したが応答はなく、第10管区海上保安本部(鹿児島市)が巡視船を派遣するとともに、引き続き監視を続けている。


日本の排他的経済水域を航行する中国の海洋調査船「科学3号」=29日午前8時50分ごろ、沖縄県・久米島の北西約246キロ(第10管区海上保安本部提供)
 中国の海洋調査船は今月25、26日にも沖縄・尖閣諸島周辺のEEZ内で事前通報と異なる海域を航行しているのが確認されている。今回の調査船は26日に確認されたものと同じ船。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110929/crm11092913000008-n1.htm

http://tsct-southern.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html も参照のこと。


そして今年2012.7.11には、中国漁業監視船3隻が尖閣諸島久場島の西方向の領海侵犯をしたのである。久場島は、尖閣諸島のひとつ離れている島である。8/7,NO.15-2の地図参照のこと。

 
 
  
中国監視船が一時領海侵入
2012年07月11日
 11日午前4時半ごろ、沖縄県・尖閣諸島久場島の西北西約22キロで、中国の漁業監視船「漁政204」が領海に侵入したのを海上保安庁の巡視船が確認した。別の漁業監視船「漁政202」と「漁政35001」も領海に侵入した。3隻はいずれも午前8時すぎまでに領海を出て、接続水域を航行している。巡視船は警戒を続けている。政府は首相官邸の危機管理センターに官邸連絡室を設置。中国船の領海侵入は今年3月にもあったが、野田政権が尖閣諸島国有化方針を打ち出してからは初めて。中国の漁業監視船「漁政204」=5月、沖縄県・尖閣諸島の魚釣島西北西約34キロ(第11管区海上保安本部提供)


http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2012/07/11/07china/
 
 

この領海侵犯船は、尖閣諸島は中国の領土であり、中国船は正当な公務を執行しているので、日本巡視船は直ちに中国領海から離れなさい、などと抜かしたと言う。いよいよ本性を現してきた。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(23)

2012-08-16 10:36:57 | Weblog

◆領土拡張の先兵
では、なぜこの中国の「民兵」がキーワードになるのでしょうか?
それは、民兵が軍属ではないというところにあります。軍事訓練も受けますし、軍を所掌する中央軍事委員会の指導下にありながらも、彼らは軍人ではないのです。日本の青年消防団のようなかんじ…というと語弊がありますが、それに近いかもしれません。中国は領土拡張を目論んで戦略的辺彊へ手を伸ばす際、この軍人でない兵士を実に効果的に用います。『リアリズムと防衛を学ぶ』さんも先日取り上げていました(該当記事はこちら)が、洋上における中国の民兵を使った領土拡張には一つのパターンがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=sVVM2AmvD5U&feature=newsweather

<レベル1>
国内法で主権を主張。
<レベル2>
民兵を「民間人(漁師など)」として係争地域で活動させる。
この段階で施設(避難所や観測所など)を構築することもある。
<レベル3>
「民間人」保護を名目に沿岸警備組織(この場合は海監や漁政)を派遣。
<レベル4>
「民間人」がなんらかの妨害もしくは危害を被れば、人民解放軍海軍を派遣。
施設構築により実効支配を確立する。
<レベル5>
領土問題を「平和的に話し合おう」と相手に外交を持ちかける。

というパターンです。係争相手としては、民間人に対してのっけから攻撃を加えるわけにもいきませんから、例え民兵だと分かっていても手を出し辛いものです。それを逆手にとって民兵はじわじわと係争領域に浸透し、実効支配のための先鞭をつけるのです。レベル5の段階ではもう何もかも手遅れです。外交交渉はすべて中国ペースで進み、決裂しても中国の支配が揺らぐわけではありません。

このレベル1~5の実効支配確立までのパターンは、南シナ海における領有権問題で中国がとった行動から得られた教訓です。
中国の南シナ海進出の概略については『ロシアの南下政策と中国の南進政策』(2010/9/17)のエントリーでも扱っていますが、本稿ではもう少し民兵に焦点を絞って見てみましょう。

1974年南ベトナム政府パラセル諸島とスプラトリー諸島における主権領有を宣言しました。中国政府は直ちに抗議し、海軍哨戒艇2隻、漁船2隻をパラセル諸島甘泉島に派遣し、そこに駐留していたベトナム兵を駆逐して占領してしまいます。中国は声明を発表し、「中国固有の領土である西沙諸島で操業していた(民間)漁船に対し、南ベトナム駆逐艦が領海侵犯であると挑戦してきた。そこで、海軍を漁船と民兵の保護のために派遣した」というものでした。この後中国は、民兵2個大隊を同諸島深航島に上陸させ、南ベトナム軍の反撃に備えて陣地を構築しています。

また、フィリピンと領有を争っているミスチーフ礁においても民兵の働きを確認することができます。米軍がフィリピンから撤退したのを機に、中国はミスチーフ礁に漁船待避所という名目でコンクリート製の建築物を建造します。もちろんフィリピン政府は主権の侵害であると抗議するのですが、中国はフィリピンに対して「中国の漁民(民兵)の生命と操業の安全を守るための施設である。話し合いで解決しよう」と呼びかけます。ところがその後、中国は艦艇や海洋調査船を派遣、1999年には、鉄筋コンクリートの建物を4棟と大型の船舶が停泊可能な岸壁及びヘリポート等を建設して今ではすっかり実効支配を確立しています。

中国民兵に対してはアメリカも関心を寄せ、『2009年 中国軍事力白書』において民兵一般について囲み記事を設けて紹介しています。また、白書では海上民兵(naval militia)が人民解放軍海軍に対する補給支援活動に従事していたことにも言及しています。
今年に入り、そのアメリカ自身もまた中国の民兵と直接対峙する出来事が発生しました。(2010年)3月に米海軍の音響調査船インペッカブルが、南シナ海の公海上で海上民兵が乗り込んだ中国のトロール漁船5隻に包囲され、執拗な妨害行為を受けたのです。先述の民兵を用いた実効支配パターンとは少々逸脱する事案であることから詳細は割愛しますが、南シナ海では伝統的な領有権問題だけでなく、「接近阻止・領域拒否」戦略においても民兵が看過できないプレイヤーとなっているのかもしれません。


◆後の先をとる
冒頭で述べた通り、日本にとって重要なのは「次」の事態です。中国は1992年に「領海及び隣接区法(領海法)」を制定し、その第2条で尖閣諸島中国の領土なのだと勝手に規定しています。「そんなもの、中国の国内でしか通用しないよ」、と放っておくわけにはいきません。国内法での主権の正統化はレベル1の段階、つまり尖閣略奪へ着手したことを示しているからです。今回の事件では漁政船が出動しているので、レベル3まで達していると見てよいでしょう。

しかし、ここから尖閣諸島は南シナ海とは異なるステップを踏むのではないかと私は考えています。というのも、尖閣諸島を自国領と規定している中国ですが、今回、海軍が出てくることはありませんでした。南シナ海などの先例から鑑みれば、ずいぶん控え目です。これは、現状では日本に分があると中国自身が考えているのに加え、尖閣諸島における武力行使は米軍が介入する可能性が高いことも原因です。尖閣問題では中国はできるだけ非武力で事を進めたいでしょう。したがって、南シナ海以上に尖閣では民兵の役割が重要になってきます。彼らが魚釣島へ強行上陸して施設を構築したり、もしくはその過程で海保と衝突したりすることで、日本の出方を瀬踏みし、状況を中国有利なものへと転換することを狙うしかありません。

ここで日本にとって大切なのは、相手の挑発に乗らないことです。今回の事件では、海自の出動や海保の武装を刷新して「断固とした」対応を求める勇ましい声も聞かれました。しかし、中国が民兵を送り込む目的を考えれば、「断固とした=武力」という発想がいかに相手の思うつぼであるかが分かるはずです。下手に武力攻撃すれば「日本は民間人を攻撃した」と宣伝することができます。つまり、中国に海軍派遣の格好の口実を与えることになるのです。「尖閣諸島に領土問題はない」とする立場をとる日本政府にとって、政治的にも軍事的にも好ましくない状況を生み出すことになるのは言うまでもありません。

そもそも、国境や領海がらみの局地的な衝突を本格的な戦争にエスカレートさせないための安全装置として海上保安庁は存在します。ファイティングポーズをとってはいても、こちらから先に手を出すのは必ずしも得策ではないのです。私も「断固とした」対応を取るべきだとは思いますし、我が領土を寸毫も侵すべからずとの姿勢を見せるべきだと考えますが、それは常に武力を意味するものではありません。将来的には日本のより明確な実行支配を示す施設を魚釣島などに建設するべきだとは思いますが、基本的には相手に先に手を出させてから対処する「後の先」をとるべきだと考えています。これは前線の海保の隊員に負担をかけることになるのですが、伝家の宝刀である海上警備行動を乱発するのはあらゆる意味から慎むべきものです。現実の事態に即した法制度、拿捕に際しての海自との共同オペレーションなどが、今回の事件を契機として洗練されることを期待したいと思います。
http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50454195.html



ここに言う中国の領土拡張のパターンに従えば、中国の尖閣諸島への侵略は既にレベル3の段階にまで達している、というよりも超えていると言えるのである。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(22)

2012-08-15 00:30:15 | Weblog

話は少しそれたが、日本政府が少しでもゴタゴタすれば、中国はすぐにでも尖閣諸島を強奪しに来るのである。だから日本政府は、中国艦船の日本領海侵犯には毅然と対処しなければならないのである。中国は監視船などを派遣して頻繁にチョコチョコと領海侵犯をしてくるが、これは一種の偵察行為であると同時に、日本侵略の手始めなのである。どれ程のものか、試しているのである。だから見過ごすことなくそれこそ徹底的に追い返すことが必要である。場合によっては撃沈させるくらいの覚悟で対処する必要があるのである。中国は監視船などで尖閣諸島へ攻めては来ない。日本にその覚悟が無いと見れば、大量の民間を装った漁船で攻めてくるのである。中国政府は自分達が知らないところで中国漁船がやったこと、と白を切ることを常套手段としている。しかもその漁船を操っているのは、人民解放軍の指揮下に入っている民兵なのである。だから中国公船といえども、徹底的に追い返すことが必要なのである。



海上民兵が尖閣を狙う
2010年10月15日 12:00
http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50454195.html

◆計画的?偶発的?

海上保安庁の巡視船に中国のトロール船が衝突してきた事件が中国による計画的なものだったのか、それとも偶発的なものだったのかは、セン汪其雄船長の取り調べもできない今となっては藪の中となってしまいました。中国政府の指示があったのではないかと疑う専門家がいる一方で、船長は地元でも有名な酒乱で過去にもトラブルを起こしていて、事件当日もへべれけだったのだから、これは船長暴走による偶発的な出来事だったのだと伝えるもの(Foresight)もあり錯綜しています。船長と船員の住む福建省普江市・晋濾港への取材は現在難しいでしょうし、海保が撮っていたとされる証拠ビデオ(注)も公開されないようなので、確定的なことは知り得ません。ですので、今回の事件が計画されたものであったか偶発的なものであったかという問いに対する答えも、推測の域を出ません。

(注)証拠ビデオは、2010.11.04にYouTubeにアップロードされた。
http://www.youtube.com/watch?v=sVVM2AmvD5U&feature=newsweather

しかし、大事なのは次回、つまり本番です。本番がいつになるかは中国次第ですが、中国はいずれ明確な意思を持ち周到な計画の下にアプローチしてくるでしょう。そして、中国にとって今回の事件は本番の際の研究材料となります。と同時に、我が国としても今回の事件から教訓を得なければなりません。

抑えておかなければならないポイントはいくつかありますが、本稿ではキーワードのひとつとして「民兵」という用語を取り上げてみたいと思います。


◆中国の民兵

まず、兵役に関して中国の憲法を読むと、
「祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国の公民すべての神聖な責務である。法律に従って兵役に服し、民兵組織に参加することは、中国人民の光栄ある義務である
(中華人民共和国憲法 第55条)

と明記されていて、国民すべてが兵役や民兵組織に参加することを義務付け(※中国では徴兵制は名目的なものとなり、現在では事実上志願兵で成り立っています)、「人民の武装力」は人民解放軍、人民武装警察隊、民兵3つによって構成される、と謳われています。中国には「民兵は勝利の本」という戦略思想がありますが、これは毛沢東の人民戦争論に基礎を置いたものです。人民戦争論の核心は、「プロの正規軍と人民大衆が有機的に結合すること」ですので、建国以来、その軍事力において民兵の位置付けが重要なものであったのは当然なのです。

次に、組織という点から中国の民兵を見ていくと、民兵中央軍事委員会の指導および指揮を受けるものとされています。つまり、国家ではなく党(中国共産党)の強い影響下にあるということが分かります。全国の民兵の軍事訓練任務はこの中央軍事委員会の認可を得て総参謀部から下達され、そこから各地域の人民武装部が区域の民兵活動を担当する仕組みになっています。(『2008 中国国防白書』)。

また、民兵は基幹民兵と一般民兵とに分けられ、基幹民兵は18~22歳までの期間に30~40日の軍事訓練に参加し、28歳以下の軍役を終えた兵士と軍事訓練を経た者および軍事訓練に参加した者が、基幹民兵に編成されます。約1,000万人がこの基幹民兵組織に所属し、その他の18歳から35歳までの基幹民兵に属しない男子公民(犯罪者や大学生等を除く)が一般民兵に編成されます。

米国防総省が発行した資料の中で、

「中国軍は、敵のコンピュータシステムおよびネットワークを攻撃するためのウイルスや、味方のコンピュータシステムおよびネットワークを防御するための戦術および方法を開発するための情報戦部隊を設立した。これらの部隊には民兵が含まれており…(後略)」
(米国防総省『中華人民共和国の軍事および安全保障の進展に関する年次報告』2010年)

との指摘があるのですが、これは基幹民兵のことですね。中国を発信地とする組織的な外国省庁へのサイバー攻撃は、まさに基幹民兵の得意分野なのです。民兵はおおむねパートタイムなのですが、こうした技術民兵に関しては専従部隊を組織し、地方企業のひとつの部署がまるごと基幹民兵で構成されているケースもあるようです。

現在、人民解放軍は局地戦への対処を念頭に量から質への転換を図っているところです。そのトレンドは民兵においても同様で、全国の基幹民兵の規模は1,000万人から800万人に漸次減らしていく予定なのですが、他方では新しい『民兵の軍事訓練と考査大綱』を公布し、伝統的な単一軍種の民兵の専門訓練から諸軍・兵種の民兵の専門訓練への転換、という質の向上を目指しています。毛沢東の人民戦争論に象徴されるゲリラ戦では不可欠なファクターであった民兵ですが、現代の「ハイテク条件下の限定戦争」の中でも引き続き重要な役割を果たすことになりそうです。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(21)

2012-08-14 13:25:06 | Weblog

こうした情勢の中、クリントン米国務長官がベトナムで行われたASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議で、(1)他国と同様、南シナ海における航行の自由、アジア共通海域へのアクセスと国際法の尊重はアメリカにとっても国益である、(2)アメリカは強制ではなく、協力的外交による領土問題解決を支持し、いかなる武力の行使・威嚇にも反対する、(3)アメリカは中立的立場を守るが、南シナ海での領有権などの主張は国連海洋法条約に基づくべきだと考える、といった発言を記者会見で行いました。つまり、アメリカ南シナ海の係争に介入する可能性を示唆したのです。これは中国にとっては衝撃的なものでした。言うまでもなく中国の海軍力は米海軍力とは比べものにならず、現時点で米軍と面と向かって対峙することは得策ではありません。

加えて、東南アジア諸国中国の海軍増強反応し、こぞって軍事力、特に海軍力の増強を進めています。例えば、現在東南アジアで潜水艦を保有する国は、シンガポール(4隻)、インドネシア(2隻)、マレーシア(1隻)ですが、シンガポールはさらに2隻追加する予定ですし、インドネシアは2024年までに12隻を保有する計画があります。マレーシアも現在1隻が建造中で、ベトナムもロシアからキロ級潜水艦を6隻購入したことが伝えられました。

こうして見ると、南シナ海は必ずしも「脆弱」ではなくなった、と言えるかもしれません。だから、というのは幾分短絡的ではありますが、中国はこのところ別の「脆弱」ルートシフトしつつあります。それは我が国の尖閣諸島が位置する東シナ海です。


◆ 脆弱な部分を狙う~東シナ海~
東シナ海のガス田問題は、日本政府の出遅れや対応の拙さのおかげで、中国にとっては自由に活動できる状態にあります。日本政府の姿勢は「脆弱」というよりも無抵抗といっても差し支えないでしょう。ガス田の開発・採掘を続ける中国に対し、自民党政権時代も実質的に有効な対抗策を示してはいませんでしたが、2010年以降、中国が「脆弱」かつ無抵抗な日本に対してさらなる圧力外交に転じてきていることは明白です。例えば、日本に対して白樺ガス田(中国名・春暁)を共同開発より格下の共同出資とするように要求してきました。鳩山政権はこの要求を受け入れ、出資比率の5割超を中国側に譲る方針を決めたのですから、南シナ海で事あるごとに反抗し武力行使も辞さない東南アジア諸国とは違い、日本は中国にとって実に与しやすい相手であるとみなされても仕方ありません。

また、中国海軍は今年3月、沖縄、沖ノ鳥島近海で軍事訓練を実施、艦載ヘリによる日本の海上自衛隊護衛艦への異常接近行為や、日本側哨戒機に中国艦が速射砲の照準を合わせるなどの武力示威行為を行いました。4月にも東シナ海で中国海軍の武力示威行動が発生し、海上自衛隊のP3C哨戒機に速射砲の照準を合わせ、撃墜の威嚇行動を取っていたことも判明しています。5月には中国の海洋調査船が日本の排他的経済水域(EEZ)内で調査中の海上保安庁測量船に接近し、調査の中止を要求する事態が発生しており、まるで日本にどれほどの反抗意思があるのかを確認しているかのような事案が頻発しています。

そして先日(2010年9月7日)、尖閣諸島の日本の領海(約22km)内で、中国漁船海上保安庁巡視船に衝突するという事件が発生しました。日本の政局がいつまでもゴタゴタする間隙を狙ったものであることは明らかで、東シナ海というより、日本政府の「脆弱」さを突いた行動です。産経新聞でも米政府関係者の言葉として指摘されている通り、これは偶発的な事故などではありません。東南アジア諸国の強硬な反発と、アメリカの介入が宣言された南シナ海に比べ、「脆弱」な東シナ海における支配権の確立をねらった極めて計画的な行動だと認識すべきです。


◆ ロシアの南下政策と日英同盟、中国の南進政策と日米同盟
ロシアの南下政策の歴史を振り返ると、南進を阻んだのはルートとなった国や地域の頑強な抵抗と、欧州列強の支援、とりわけ日本にとってはイギリスの存在が大きいものでした。日英同盟では、日本がロシアと戦う場合にはイギリスは中立を守り、ロシアに与する国が新しく出てきた場合にはイギリスも日本とともにこれに対抗する、という主旨が明記されています。これにより日本は露仏条約を結ぶフランスを牽制し、ドイツの蠕動を押し留め、第3国の動きに拘泥することなく国力のすべてを日露戦争に注ぎ込むことができたのです。日英同盟がその後20年間の日本外交を支える最大支柱となったことは疑う余地がありません。当時世界トップクラスの経済、軍事、発言力を持っていたイギリスとの同盟が、日本の「脆弱」性を補ったわけです。このような脅威の接近に際して、都合よくバランシング同盟の相手が見つかるものではありません。日英同盟はその点では奇跡的でさえあったのです。

中国の南進もまた、南シナ海ではアメリカの介入宣言により停滞せざるを得なくなりました。ロシアがイギリスに阻まれたのと同じ図式です。中国の東シナ海への挑発が顕著な現在、世界最強のアメリカと軍事同盟を結んでいるというのは日本にとっては日英同盟に引き続く僥倖といえるでしょう。さらに、米政府は(1)尖閣諸島は日本の施政下にある、(2)日米安保条約5条は日本の施政下にある領域に適用される、と表明し、日米安保条約尖閣諸島に適用されるとの見解を明言しました。危機に際して日米同盟のようなものをゼロから立ち上げることは政治的に容易ではありませんが、すでに日米両国は50年にわたって同盟国として信頼を育んできました。活用しない手はありません。なぜこれを軽視し、弱体化させかねないような向きがあるのかが分かりません。150年前に大国の後ろ盾のない清は外満州を失い、1970年代以降アメリカやソ連の支援を失った東南アジア諸国が次々と南シナ海の島々を中国に奪われていった事実を、今の日本は見詰め直す時ではないでしょうか。
http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50445395.html



ここに「日英同盟はその点では奇跡的でさえあったのです。」とあるが、それは1つの見方である。間違いではないが、日本と英国との同盟は必然的なものであった。日本が同盟に値する国でなければ、イギリスはけっして日本に同盟を持ちかけなかったことであろう。イギリスと同盟が出来たと言うことは、日本がそれだけイギリスの目に適(かな)った立派な国であった証拠なのである。

事の起こりは1900年5月義和団が北京に進軍し占拠したことから始まる。清朝政府はこの義和団と結託して、北京外交施設への攻撃を始める。ここに「北京の55日」が始まったのであるが、北京に籠城せざるを得なかった8カ国のわずかな護衛兵をまとめて、籠城戦の実質的な指揮を執ったのが北京の日本公使館の駐在武官の柴五郎砲兵中佐であり、そして8カ国の混成派遣軍を取りまとめたのも、5ヶ国語を操って作戦会議を進行させた福島安正少将であった。その後も北京駐留軍司令官としての柴中佐は北京の治安維持にも最大の貢献をしている。そのためコロネル・シバと呼ばれ世界に知られることとなり、明治天皇を始め、イギリス、イタリア、ペルー、スペイン、ロシアの元首にも謁見を許され、お褒めの言葉を賜っている。

この時の日本軍の規律正しさや将兵の質の高さ、それを証明した北京での活躍があったために、イギリスが、日本を同盟相手の認めたのである。だから反面、奇跡でも何でも無かったのであり、当時のイギリスのおかれた状況を見れば奇跡などではなく必然であったのである。

くわしくは小生のブログ「日韓併合100年」の2010.12.20,NO.44や同12.28,NO.49(及びその前後)を参照願う。そこには更に詳しく記述されているから、是非とも参照願う。

しかしながら日本は「日英同盟」に救われたのも事実であり、現在の「日米同盟」で現状が維持されているのも事実である。この日米同盟を弱めるようなことを画策することは、愚の骨頂である。すぐにでも中国の毒牙が伸びてくる、と構えておかなければならないのである。もう一つ追加しておく。「日英同盟」はお互いが軍事的に助け合うと言うことであったが、現在の「日米同盟」はある意味、一方的に日本は米国に護ってもらう、というものである。これでは「同盟」の意味を成さない。日本を守ることが出来た「日英同盟」がよい例である。そのことを考えれば、現行憲法なんぞはすぐにでも破棄して、「自分の国は自分で守る」体制を作り、真の「日米同盟」をつくらなければならないのである。

(続く)
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尖閣諸島問題その2(20)

2012-08-13 15:38:38 | Weblog

この中国の侵略に対処出来るか、民主党よ。

Wikipediaによれば、スホイ30は複座の多用途型の戦闘機で1989年末に初飛行しているロシア機であるが、インド、中国、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ベネズエラ、ウガンダなどで使われている。中国向けには、多分GPSのような機能を持った空対地レーダーを持っているようだ。だから厄介なのである。増槽なしで3000kmの航続距離を持つという。日本も高性能な迎撃機を、早期に保有する必要がある。

江西省の南昌から福岡までは直線距離で約1,500km程である。これだけで十分九州を攻撃して大連や煙台に帰還できる能力を持っている。日本の次期主力戦闘機はF35だと言うが、配備は未だ数年先になるという。こんなことでよいのか、民主党よ。

スホイ-30
http://ja.wikipedia.org/wiki/Su-30_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
ここにはまだまだスホイ30の写真が載っている。是非一覧願う。日本はこんな戦闘爆撃機に狙われているのです。
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%82%A430&hl=ja&rlz=1T4GGLL_jaJP334JP334&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=nNsjUMfSE4HWmAXx4oGIDg&ved=0CFYQsAQ&biw=824&bih=875



次に2010年のものであるが、中国の南シナ海への侵略の状況を論じた論考を載せる。これは7/19と7/20に載せた当ブログNO.13~14の「西沙諸島海戦が教える中国の海洋戦略」の関連の論考である。




海国防衛ジャーナル
ロシアの南下政策と中国の南進政策
http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50445395.html
2010年09月17日 19:00

◆ 脆弱な部分を狙う~南シナ海~

では、中国の南シナ海進出の歴史をざっとみてみましょう。

中国の南シナ海への本格的進出は、1974年パラセル諸島(西沙諸島)占領に始まります。1950年代半ばフランスの撤退に伴い、南ベトナムはパラセル諸島とスプラトリー諸島(南沙諸島)の領有権を主張し、パラセル諸島の西側部分とスプラトリー諸島の一部を支配下に置きます。他方、中国1956年パラセル諸島の東側部分を支配します。この状況はその後20年近く続くのですが、1974年1月中国海軍が南ベトナム軍に攻撃を仕掛け、パラセル諸島全体を占領するにいたります。この時期はベトナム戦争末期にあたり、南ベトナムの敗戦が濃厚だったことから、パラセル諸島を守備する南ベトナム軍が中国軍に反抗することは難しい状況でした。また、米軍も南ベトナムへの支援を縮小しており、中国がパラセル諸島へ侵攻してもアメリカが介入する可能性低かったのです。さらに、中国は北ベトナムを支援しており、中国軍によるパラセル諸島の占領に北ベトナムが抗議することも考えられませんでした。つまり、この時期パラセル諸島は「脆弱」だったのです。中国はこうした有利な国際環境を背景に、パラセル諸島の軍事占領に踏み切りました。

その後、ベトナム内戦に勝利したハノイ政権はパラセル諸島とスプラトリー諸島の領有権を主張するようになり、中国によるパラセル諸島の占領を非難し、旧サイゴン政権が支配していたスプラトリー諸島の一部を管轄下に置きます。この頃から中国とベトナムの関係は、カンボジア問題をめぐって中越戦争が発生したことなどから悪化していました。両国の緊張状態が続く中で、中国1988年3月に、再び軍事力を行使してベトナムが支配していたスプラトリー諸島のジョンソン礁(赤瓜礁)を武力侵攻し、ベトナム側に約80名の死傷者を出す事態を引き起こします。戦闘に勝利した中国は、ジョンソン礁をはじめとしたスプラトリー諸島のいくつかの島嶼を占領することになります。この時期はソ連のゴルバチョフ政権による新思考外交により東西の緊張緩和が進んでいたことから、中ソ関係も改善へ向けて動き出していた頃でした。また、ソ連によるベトナムへの支援も低下しており、ベトナムと同盟関係にあるとはいえ、スプラトリー諸島をめぐる中越の衝突にソ連が介入する可能性は低かったのです。したがって、スプラトリー諸島は大国の支援のない「脆弱」な状態で、中国が軍事力行使を躊躇する理由はありませんでした。

1990年代にはいると、中国はスプラトリー諸島への進出を拡大させます。1992年2月、中国の全国人民代表大会常務委員会は「領海および接続区域法」(領海法)を可決します。この領海法というのはスプラトリー諸島を中国の領土と明記しただけでなく、領海における外国船舶の非無害通航を防止するために「中華人民共和国政府は一切の必要な措置をとる権利を有している」としています。加えて、中国の法令に違反した外国船舶に対する「緊急追跡権」を規定し、その行使に当たっては中国軍の艦船や航空機を使用するとの文言も明記されています。領海法の制定は、スプラトリー諸島の領有権をめぐって中国と係争関係にあるASEAN諸国の不安を強く掻きたてました。中国による南シナ海への進出の矛先がベトナムに限定されず、ASEAN諸国にも向けられる可能性が強まったからです。これを受けてASEANは、1992年7月にマニラで行われた第25回ASEAN外相会議で「」を採択します。南シナ海における領土紛争を、武力に訴えず平和的な方法で解決する必要性を強調し、関係諸国に自制を求め、南シナ海における国際行動規範の確立を提唱しようとしたのです。しかし、中国は同年7月、ベトナムが領有権を主張する(南沙諸島の)ガベン礁(南薫礁)に軍隊を上陸させます。ASEANの宣言に何の拘束力もなく、アメリカや欧州諸国が干渉してくる恐れがないことを見越していたからです。なによりも、1992年11月スービック海軍基地とクラーク空軍基地を返還しすべての米軍がフィリピンから撤退したことによって、南シナ海がさらに「脆弱」になったことが中国の侵攻の大きな弾みとなりました。

1995年、フィリピンが領有権を主張していたミスチーフ礁(美済礁)に、中国建造物を構築します。フィリピン政府は中国大使館に抗議しますが、中国側は地方政府が独自に建築した漁民の避難施設であるとし、フィリピン側の抗議にまったく取り合おうとはしませんでした。米軍が撤退したフィリピンは、文字通り「脆弱」だったのです。中国は現在もミスチーフ礁から撤退することはなく、施設を拡充して軍隊を駐留させ、占領を続けています。

中国の南シナ海進出の歴史はおおまかにはこのようなかんじです。ご覧のとおり、これまで欧州諸国やアメリカ、ロシアもとりたてて干渉する姿勢を示さなかったのですが、近年、アメリカの国益や安全保障戦略上看過できない状況が南シナ海で生起し始めています。中国の「接近阻止/領域拒否(A2AD)戦略に基づく海洋覇権の拡大がその最たるものですが、それにまつわる小さな「衝突」も頻発しています。例えば、昨年3月、米海軍の調査船インペッカブルが南シナ海の公海上で海洋調査中、5隻の中国艦船に危険な妨害行為を受けています。また、5月には、黄海において米海軍調査船ビクトリアスが2隻の中国漁船に20数mまで異常接近されるなどの進路妨害を受けました。さらに6月上旬には、米第7艦隊所属の駆逐艦ジョン・S・マケインが、フィリピン・ルソン島中部スービック湾沖の南シナ海の公海上を航行中、曳航していた音響ソナーが中国海軍の潜水艦に接触され破損する事件が起きています。

ロンドン アテネ
金  7 16
銀 14  9
銅 17 12
合計38 37 金メダルが少なくてはねえ、・・・・。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(19)

2012-08-10 12:25:51 | Weblog

中国はこの「牛の舌」即ち遠い昔の誰も認めていない、国民党政府が勝手に描いたと言う地図を元に、九つの破線で描いた図形を九段線と言って自国領の境界だと嘯(うそぶ)いているのである。実効支配もしていないのに、盗人猛々しいとはこのことを言うのであろう。油断もすきもあったものではない。

李国強((リー・クオチアン)「り・こっきょう」国務院副総理)と言う習近平(国家副主席)と並ぶ中国の次世代の政治リーダーがいる。小生の理解では、習近平が胡錦濤の後を継ぎ、李国強が温家宝(国務院総理)の後を継ぐと見られている。

その李国強が「中国と周辺国家の海上国境問題」と言う論考を書いている。A4にして6頁ほどの文章である。
(「中国と周辺国家の海上国境問題
李   国  強
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/japan_border_review/no1/03_li_guoqiang.pdf 」 )

以下その要約を述べる。これは2010.8月以降のものであろう。

・・・・・・・・・


中国は海洋大国でもあり、黄海、東シナ海、南シナ海と接している。その何れでも海上国境は画定されていない。
中国の主張は大陸棚の自然延長と衡平原則である。(衡平・釣り合うこと、平衡、平均と辞書にある。)
・・・・(略)
東シナ海は中国、日本、韓国とその領有権を争っている。
特に中日間では、大陸棚に対する法的な主張の相違により、境界画定問題を争っている。
しかし東シナ海は海底の地形と地質構造は、中国大陸と繋がる大陸棚から沖縄トラフまで延伸していることを示している。中国大陸の延長であり大陸棚は、沖縄トラフで日本の琉球群島の島棚と区切られているのである。

従がって、沿岸国の領土自然延長の原則の下に大陸棚の境界を画定することが自然であり、中国大陸沿岸から沖縄トラフの中間までが中国の領海である。中日両国は沖縄トラフで分離され、大陸棚は共有していない。だから大陸棚の中間線原則なんぞは適用されないのである。
日本は沖縄トラフは大陸棚の途中で偶然に窪んだ箇所であるので、東シナ海の大陸棚はその等距離中間線の原則によって(東シナ海大陸棚を)分割すべきと主張している。

と言うことで、東シナ海の境界画定は進展していない。島嶼の帰属も、当然として存在する。
釣魚島(尖閣諸島)と蘇岩礁(離於島)があるが、これらは古くからの中国の領土である。日本は領土問題の存在を認めず、実効支配を続けている。2000年と2002年には、韓国が蘇岩礁に海洋観測所を建設するなど一方的な行動をとったため、中国は厳重な抗議をしている。

そして南沙諸島に関しては、第2次大戦後中国が南沙諸島及び周辺海域に主権を有することに対し、周辺国は異議を唱えなかった。(7/16,NO.10ブログの年表参照のこと。)
そして現在南沙諸島は6ヵ国と1地域が関与している。

中国軍が6の島礁に駐留している。
台湾が太平島を占有。
ベトナムが29の島礁に駐留(周辺100万超平方キロメートルを自国領に)
フィリピンが9の島礁に駐留(54の島礁などと41万超平方キロメートルの海域の主権を主張)
マレーシアが5の島礁に駐留(12の島礁などと27万超へ右方キロメートルの海域の主権を主張)
インドネシア、ブルネイは島礁は占領していないが、
インドネシアは5万超平方キロメートルまで侵入し、
ブルネイは南通礁と3万超平方キロメートルの海域の主権を主張している。

そしてベトナムは実効支配している島礁で、石油を盛んに生産している。そのためベトナムは石油の輸出国となっている。
マレーシアも九段線内で60以上もの油田を開発している。いまや九段線内には100以上の油井が立っている。

この九段線は1947年12月1日に、中華民国の内政省地域局が作成し国民政府が議決・公布した「南シナ海諸島新旧名称対照表」及び「南シナ海諸島位置図」が基である。ここには11段のU字線が描かれていたが、1953年に中国が九段線に書き換えた。

この九段線の解釈には諸々あるが、主なものは4つである。その一つには、この「九段線」は「国境線」である、と言うものである。そしてこの九段線は、歴史的に、中国と外国との境界を示しているのである。

そして中国はベトナムとのトンキン湾の境界画定が成功したように、「中国は平和的な手段を通じて領土や境界の係争解決を行うとする立場を明らかにし、国際法に基づき国際問題を処理する誠意を示している。」



と言ったものであるが、中国が「誠意を示している」などと言うときは、全く誠意なんぞは示さないものである。こんな大法螺宣伝には載せられてはいけない。中国の西沙・南沙諸島への侵略状況や尖閣諸島への侵略事案を見れば、そのすべてが「虚言」であることがよくわかる。

そして次のようにも述べている。

中国は国際法よりも歴史的事実、歴史的事実よりも現実の実効支配が重要である。」と、取れるようなことを「オブラート」に包んで述べている。要は、「強いもの勝ち」が中国の原則である。

是非とも読者諸氏の皆様は、李国強のこの論考を一読願う。



その「強いもの勝ち」を証明するかのように中国は、2011.6.29にはスホイ30戦闘機まで使って尖閣諸島の領海どころか、領空侵犯までしてきているのである。




中国軍機 尖閣・与那国に飛来 台湾紙報道 空自が緊急発進
産経新聞 2011年8月23日(火)08:00

 【台北=吉村剛史】22日付の台湾紙「蘋果日報」は、中国軍スホイ30戦闘機が今年6月下旬、台湾海峡の中間線を越え、さらに日本の防空識別圏に侵入。台湾空軍と日本の航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)を行った、と報じた。中国の戦闘機がこの海域まで飛来したのは初めてという。

 同紙によると、中国軍機は6月29日正午ごろ、中国江西省の基地を発進。同機が台湾海峡の中間線を越えたため、台湾空軍のF16戦闘機2機が東部の花連基地から、ミラージュ2000戦闘機2機が北西部の新竹基地から緊急発進した。

 中国軍機はさらに尖閣諸島上空から与那国島上空付近を飛行したため、沖縄の空自機も緊急発進した。中国軍機は約40分後に中国に引き返したという。

 台湾国防部(国防省に相当)はこの報道内容を否定しているが、同日前後して、別の中国軍機2機(スホイ27)が台湾海峡を飛行中の米軍の高高度偵察機U2を追跡中、台湾海峡の中間線を越えたため、台湾軍のF16戦闘機が緊急発進したことは、7月25日に発表している。

 日本の防衛省統合幕僚監部では「非公表」としているが、空自関係者は「6月29日、中国のスホイ30戦闘機2機の飛来に対し、那覇からF15計4機を緊急発進させた」としている。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/snk20110823090.html

参考画像 Su-30

http://dqnchannel.blog.fc2.com/blog-entry-766.html  より。
(中国向けには、このカナードはついていないようだ。)
(続く)
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尖閣諸島問題その2(18)

2012-08-09 13:40:09 | Weblog

領有権めぐり南シナ海に再び波風
2011年9月5日16時59分

南シナ海の中国や沿岸諸国との領有権問題は、日本も参加した(2011年)7月東南アジア諸国連合>(ASEAN)地域フォーラム
などで沈静化したが、再び波風が立っている。東シナ海でも(2011年)8月末尖閣諸島付近中国船による領海侵犯が起きるなど緊張が高まる。東アジア・西太平洋の海洋安全保障は、日本にとっても対中国戦略が絡む、重要で難しい外交課題となっている。

■フィリピンの施設建設に人民日報「領土侵略だ」

 「この(中国の領有権)問題で誤った戦略的判断をする国は、必ず高い代償を払うことになる」

 8月2日付の中国の人民日報に、激しい調子の論評が載った。

 矛先はフィリピン。中国も領有権を主張する南沙諸島に新たな軍事施設を建築しつつあることを取り上げ、「中国領土の侵略だ」と非難した。さらに、フィリピンが7月22日にインドネシアで開かれたASEAN外相会議で「南シナ海を平和、自由、友好、協力の地域へ」と提起したことも「欺瞞(ぎまん)だ」と切り捨てた。

 中国が強硬姿勢に転じたと受けとめられ、関係各国に波紋が広がった。

 他方、中国が5月に完成させた深海用の新型掘削プラットホーム「海洋石油981」が、南シナ海に移動しつつあることには、ベトナムが神経をとがらせる。同国では反中デモも続いている。

 ASEAN諸国と中国との間では、2002年に南シナ海問題の「平和的解決」を確認した「行動宣言」が合意されている。今年7月のASEANと中国との外相会談では、宣言の実施に向けた「ガイドライン」が新たに合意され「重要な第一歩」(米国政府)と受けとめられた。

 しかし早くも雲行きが怪しくなったことで、米国とASEAN議長国のインドネシアが求めた「早急な次の動き」の見通しは立たなくなった。
南シナ海をめぐる動き・図A参照のこと。

■日米も含め対中包囲網

 当面の焦点は、中国が南シナ海で管轄権の根拠として主張する「9点破線」(中国語では「九段線」)あるいは「牛の舌」といわれる境界線だ。領有権が争われる南沙、西沙両諸島がすっぽりその中に入る。

 フィリピンやベトナムはこの境界線を「国連海洋法条約と整合しない」などとして認めない。

 もともとは国民政府当時の1947年に作られた。2009年に中国が地図とともに国連に提出した文書は「中国は、南シナ海の諸島とその周辺海域に対する争う余地のない領有権を持つ」と説明している。しかし名称の由来である九つの点線内の海域すべてを領海と主張しているのか、あるいは島しょ部だけについて領土だと言っているのか、中身はあいまいだ。中国の研究者の間でも解釈が割れる。

 7月のASEAN関連の一連の会議を通じ、フィリピン、ベトナムなど係争当事国に、米国、日本など南シナ海の「利用国」も加わって、中国をこの点でただす事実上の「外交的包囲網」ができた形になった。

■日本、尖閣への波及懸念

 南シナ海問題をめぐる日本政府の公式見解は、「アジア太平洋地域の平和と安定に影響を及ぼし得る。海上輸送路の安全確保にもかかわることから重大な関心を持っている」(松本剛明前外相の国会答弁)というものだ。

 日本にとっての具体的な懸念は、(1)南シナ海で「変なルール」(政府関係者)ができて東シナ海に波及する(2)紛争に巻き込まれる(3)沿岸各国が「中国の軍門に下る」――などだという。

 その根底にあるのは、東アジア・西太平洋で影響力を拡大しつつある中国とどう向き合うかという「対中戦略」だ。

 8月24日、米国防総省が発表した中国の軍事力に関する年次報告書では、中国が黄海、東シナ海、南シナ海を含めたいわゆる「近海」全体を、外敵から本土を守る「戦略的緩衝地域」と位置づけ、石油、天然ガスなどの埋蔵資源に注目もしていることを指摘した。

 同じ(2011.8.)24日には、尖閣諸島付近で中国農業省の漁業管理組織「漁政」監視船2隻日本の領海を侵す事件が起きた。この海域での中国公船による領海侵犯は2008年に国土資源省に所属する「海監」の2隻が起こして以来のことだ。東シナ海も南シナ海と同様、中国の活動強化が進んでいることが明らかになった。

 こうした中国「近海」での一連の動きには、西の隣国インドも「自国の国境地帯で起きることの兆候」として注目する。「中国は今、大国としての地位を模索しており、陸上と海洋の国境線を再定義しようとしている」(ジャミアミリア大のドゥッタ教授の論文)という見方が出ている。

 当面は、次の節目である11月の東アジアサミットに向けて「9点破線」に関する国際会議が関係各国で相次ぐ。南シナ海、さらにはアジア太平洋全体の秩序づくりをめぐり、緊迫した外交戦が展開されている。(編集委員・加藤洋一)
http://www.asahi.com/international/update/0905/TKY201109050273.html




だからこのような方法で、中国は尖閣諸島へも侵略を企ててくるものと思われる。日本はしっかりとふんどしを締めて、かからなければそれこそ簡単に尖閣諸島は取られてしまう。いくら頓馬とはいえ民主党の日本政府はこのような事例があるわけであるから、十分に準備をしておかなければならないのである。(2011.8.)24日の中国監視船の領海侵犯事件については、次の記事を参照願う。




【領海侵犯】尖閣周辺に中国漁業監視船 警告に「中国固有の領土」と応答

▽産経新聞(2011.8.24 11:37

24日午前6時15分ごろ、沖縄・尖閣諸島久場島の北北東約30キロの日本の接続水域(領海の外側約22キロ)内で中国の漁業監視船「漁政31001」「漁政201」が航行しているのを第11管区海上保安本部(那覇市)の巡視船が確認。2隻は一時、日本の領海内に侵入し、午前10時15分現在、接続水域内を南向きに航行しており、領海内に侵入しないよう無線などで警告している。

海上保安庁によると、昨年9月の中国漁船衝突事件発生以降、中国の漁業監視船が尖閣諸島の接続水域内で確認されたのは12回目で領海内に侵入するのは初めて

海保によると、両船は巡視船の警告に対し、「魚釣島その他周辺諸島は中国の固有の領土である」「法に則り中国管轄海域において正当な公務を行っている」などと応答。船上に応答と同じ内容の中国語を表示した電光表示盤を掲示しているという。

これに対して巡視船は「尖閣諸島は日本の領土であり、漁政の主張は受け入れられない。ただちに日本の領海外へ退去せよ」などと警告している。

中国公船が領海内に入ったケースは、平成20年12月に海洋調査船「海監」が9時間にわたり領海内に留まって以来という。(この件は当ブログ2009.3.18~,尖閣諸島問題(2)~を参照のこと。)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110824/crm11082411380009-n1.htm
(続く)
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尖閣諸島問題その2(17)

2012-08-08 11:20:05 | Weblog

スカボロー礁が、フィリピン駐留の米軍の射爆場であったと言う記事を、次に掲げる。

 
木語:この島、射爆場につき=金子秀敏

毎日新聞 2012年06月14日 東京朝刊
 <moku−go>
 東京都が尖閣諸島の魚釣島など3島を購入する計画だ。最近さらに久場島も買い取る方針を明らかにした。

 久場島には在日米軍の射爆場があり、防衛省が地主から賃借している。なぜ絶海の小島に米軍射爆場があるのか。迷惑をかけずに大砲が撃てるから? いや、「米軍管理地。危険につき立ち入り禁止」と外国人に知らせる政治的意味があるのだろう。

 よく似た立場の島がある。フィリピンと中国が主権を争う南シナ海中沙諸島スカボロー礁(中国名・黄岩島)だ。中沙諸島のなかで唯一、海面に露出している。昔から中国漁船やフィリピン漁船の漁場だった。

 1951年米比相互防衛条約が調印され、米国はフィリピンのスービック湾に海軍基地を置いた。基地の130カイリ西がスカボロー礁。軍事的に重要だ。中国が主権を主張し始めていたが、米軍が射爆場として管理していた。

 やがて米軍はフィリピンから撤退する。92年、スービック基地を閉鎖したとき、米軍はこの射爆場をフィリピン軍に引き渡した。だが、フィリピンはその後の維持管理を十分やらなかった。

 隙(すき)を突いて中国が進出した。いつのまにか「漁船の風よけ施設」がスカボロー礁にできた。ずっと南の南沙諸島ミスチーフ礁にも。米軍撤退の2年後だ。中国が実効支配の実績を作った。

 いままた米国のオバマ大統領がアジア太平洋地域に米軍を回帰させると言った。追い風を受けたフィリピンは強気になった。海軍艦艇が4月、スカボロー礁で操業中の中国漁船を臨検した。

 中国の漁業監視船などが何隻も南シナ海を巡航している。一斉に救援に駆けつけ漁船を取り返した。

 中国側の強硬な対応も目立った。香港誌「争鳴」6月号によると、この事件の直後、武力行使を主張する郭伯雄・党中央軍事委副主席、陳炳徳・総参謀長の一派と、外交解決を主張する徐才厚・軍事委副主席、梁光烈国防相の一派に軍が割れた。結局、習近平国家副主席を長とする「国家海域工作領導小組」を作って対応していくことになった。郭副主席が訪日を突然キャンセルしたのはそのころだ。

 いまのところ外交派が優勢らしい。だが、主戦派はトウ小平の「争いを棚上げし共同開発する」政策を時代遅れと批判しているという。

 もしも主戦派が勢いづけば、中国は尖閣問題でも強硬に出る恐れがある。石原慎太郎都知事の言うように尖閣諸島は私有地や都有地より国有地のほうがいい。(専門編集委員)
http://mainichi.jp/opinion/news/20120614ddm003070103000c.html



先の地図上で○数字の地点で、2011年に次の事件が起こったのである。

中国海洋調査船、違法にブイ・鉄柱を設置(2011.5.21,24)

中国船がベトナム船の探査ケーブルを切断(2011.5.26)

中国船がベトナム漁船に威嚇射撃(2011.6.1)

中国偽装漁船が越南調査船の測量ケーブルを壊す(2011.6.9)

ベトナム海軍ダナン沖40kmで実弾射撃(2011.6.13)


先の7/16,17のNO.10,11のブログに示した年表にも間違いを訂正して、この件(スカボロー礁や○数字)などを追記しておいたので、参照願う。

中国はベトナムやフィリピンを弱いと見て、あらゆる場所で、あらゆる時に、ベトナムやフィリピンの行動の抑止とベトナムやフィリピン領の侵略に躍起となっている。そしてその何れでも、たとえその場所が他国の領海であっても、中国の武力行使は中国の領海侵犯を阻止する行為であると主張して止まない。一旦侵略してしまえば、何でも元からの中国の領土・領海となってしまう。そして領海を侵犯したベトナムやフィリピンが悪いのだ、と自国の侵略は棚に挙げてしまう。その背景には、強力な軍事力の後ろ盾があるからである。

この(図A・南シナ海略図)のボルネオ島とマレー島の間にある大ナトゥーナ島近くまでの南シナ海を「牛の舌」(の形をしている)と呼び、中国は中国のものだと勝手に主張している。中国ではこの地域を九つの破線で牛の舌の形に囲み九段線と呼び、中国領だと主張しているのである。

(続く)
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尖閣諸島問題その2(16)

2012-08-07 12:11:05 | Weblog

ちなみに地図上の○数字の説明を下記しておく。

中国海洋調査船、違法にブイ・鉄柱を設置(2011.5.21,24)

中国船がベトナム船の探査ケーブルを切断(2011.5.26)

中国船がベトナム漁船に威嚇射撃(2011.6.1)

中国偽装漁船が越南調査船の測量ケーブルを壊す(2011.6.9)

ベトナム海軍ダナン沖40kmで実弾射撃(2011.6.13)


さて、この建物が漁民の避難施設だとは、とてもじゃないが言えた物ではない。明らかに軍事施設なのである。中国軍でなければ、こんなところに施設なんぞは建設しない。軍事施設だからこそ、中国は建設したのである。

ここは日本にとっても大切な「シーレーン」なのである。一旦中国と事が起これば、中国はここから
日本へ向うタンカーなどへの攻撃を始めることであろう。単に海底資源だけの問題だけではない。中国は着々と第1列島線内を自国の海にしようと、あらゆる手を打っている。

西沙諸島や南沙諸島にあちこちに、中国は軍事施設を作っていると言う。これは恐ろしいことである。そして最近ではフィリピンのEEZ内中沙諸島の「スカボロー礁Scarbough Reef」にまで手を伸ばしているのである。

Wikipediaによれば、18世紀にこの地点で茶葉の貿易船スカボロー号が難破したことにちなんで、名付けられたと言う。そしてフィリピンのスービックからは100海里の距離だと言う。1海里は約1,852mであるので、スービックからは185km、当然200海里のフィリピンのEEZ内に位置している。

もともと中国は1958年に東沙・西沙・中沙・南沙諸島の領有を宣言しているが、この時点では石油の埋蔵は知られていなかったので、単なる領土野心での宣言であったが、これまたWikipediaによれば、フィリピンスカボロー礁の関係は次のようなものだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%BC%E7%A4%81



1980年以降フィリピン政府はスカボロー礁を200海里排他的経済水域内とする。

1997年、フィリピンが軍艦と軍用機を出動させて、中華民国(台湾)のラジオ局が派遣した領海侵犯船を追跡、監視する。

1997年4月30日、フィリピンの2人の国会議員が軍艦でスカボロー礁に上陸、旗と碑を建てる。

1998年1月から2ヶ月の間に中国海南省の漁船4隻が領海侵犯したため、フィリピン海軍に拿捕され、51名の漁民が半年間拘禁された。

1999年5月23日、フィリピン軍艦と中国漁船が衝突、中国外交部スポークスマンがフィリピンに抗議し、交渉を呼びかけた。

1999年6月、フィリピン政府教育部は新しい地図の中で、スカボロー礁南沙諸島自国の版図に入れた。

1999年8月、フィリピン政府は「南沙諸島はフィリピン領土」である旨の憲法改正を行う。

1999年11月3日、スカボロー礁をパトロール中のフィリピン艦船が座礁。中国政府は艦船の撤去を要求する。船はすぐに撤去されたが、以来、スカボロー礁とその周囲の経済水域はフィリピンの監視下に置かれている。

2000年、フィリピン海軍が、領海侵犯した中国漁船の船長射殺する。

2012年4月8日、フィリピン海軍は、スカボロー礁近くで中国漁船8隻が停泊しているのを発見し、拿捕する。これを受け中国の監視船が現場に急行、両国の艦船睨みあう状態となる。

2012年4月17日、フィリピン政府は国際海洋裁判所に仲裁を仰ぐ様提案するが、中国はこれを拒否する。

と言った事が、スカボロー礁の状況のようだ。

先にに南シナ海の地図を示したが、スカボロー礁はまことにフィリピンに近いことが判る。そして南沙諸島までも中国領だというのは、余りにも中国は虫が良すぎる。と言うよりも明らかに中国の侵略なのである。

もともとスカボロー礁は、フィリピン駐留の米軍の射爆場であった。だから1992年にスービック海軍基地をフィリピンに返還した時に、この射爆場もフィリピンに返還している。だから当然フィリピンの管理するべき領海なのである。しかしフィリピンは中国の覇権主義に注意を払わずに、しかも財政的な問題もあり、スカボロー礁の維持管理を疎かにしていた。

いくら憲法を改正したからと言って、その裏づけとなる軍事がなければ中国には対向できないことは、わかりきっている。フィリピンはアメリカ軍を追い出してしまったために、その直後から中国から侵略を受け始めたのである。アキノ政権はフィリピンにとって末代にまで言われ続けると思われる失政をしてしまったことになる。

そのつけが回ってきてしまったのであろう。だから日本も尖閣諸島の管理は、きちんとしておかないと、いつ何時中国が侵略してくるか、わかったものではない。日米同盟を堅持して、更には国防軍(自衛隊)を強化しておかなければならないのである。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(15-2)

2012-08-07 00:01:00 | Weblog
次に南シナ海の略図を載せる。
そして2011年5月21日から6月13日にかけて、中国がベトナム船舶へ攻撃などをした地点をコメントしておく。



(図A・南シナ海略図)
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