世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(55)

2011-01-13 00:47:24 | Weblog

さて高橋是清も金策には苦労した。外部環境はすこぶる悪かった。極東のちっぽけな島国が世界一強大なロシアと戦って勝てるわけがない、と言うのが当時の常識であった。だから誰も小国日本に金なんぞ工面してはくれなかった。Wikipediaによると、当時の日銀の保有正貨は5千2百万円のところ、その倍の約1億円(1,000万ポンド)の外貨を調達しようとしていたのである。その上日本は負けるから資金回収は不可能だ、と思われていた。そんな中での資金調達であった。そのため金利5%目標であったものを、ロンドン市場で実質金利7年償還で約7%で500万ポンドの外債をやっとのことで発行することが出来た。高橋のロンドンでの金策中に、幸いにも然る晩餐会でアメリカの銀行家ジェイコブ・シフの隣席に席を取り、シフから「日本兵の士気はどのくらい高いか」などと聞かれたと言う。当然高橋是清は「すこぶる高く、ロシアには負けることはない」と答えたと推察しているが、その翌朝残りの500万ポンドの外債はシフが引き受けるとの連絡を受ける。この好意により、1904年5月、日本は戦時外債を発行することが出来た。以後日本は3回にわたり7,200万ポンドの外債を発行したと言う。その何れもがシフが、ドイツの銀行やリーマン・ブラザーズなどに働きかけて、実現させている。結局日本は合計6回、総額13億円ほどの外債を発行した。1903(M36)年の日本の一般会計歳入が2.6億円といわれていた時に、である。そしてこのシフの資金援助のお陰で日本は、帝政ロシアに勝利することが出来たのである。その結果、帝政ロシアは崩壊していった。

ジェイコブ・ヘンリー・シフはドイツ生まれ(1847年1月10日生)のユダヤ系アメリカ人である。18才(1865年)のときにアメリカにわたり、銀行の出納係から身を興し、後に大銀行家となる立志伝中の人物である。そして常にユダヤ人社会への強い絆を感じ続け、慈善という形で同胞のために貢献した、と書かれている。ロシアでは1881年と1903年4月に、大規模なユダヤ人迫害事件(ボグロム)が発生しており、沢山のユダヤ人が殺されている。ロシア皇帝は反ユダヤ主義を広め、皇帝への反抗をそらせるためにボグロムを利用していた。そのため「ロシア帝国に対して立ち上がった日本は神の杖である」と、シフは後の回想録に記していると言う。

日露戦争後の1906年、シフは日本に招聘され、3月28日に皇居を訪れ、明治天皇より最高勲章の旭日大綬章を贈られている。そして1966(昭和41)年、イスラエルのモシェ・バルトゥール駐日大使が着任した時に、昭和天皇は「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつてわが国はヤコブ・シフ氏にたいへんお世話になりました」とお話なされたという。

旧約聖書の時代イスラエルの12支族のうち10支族の行方が分かっていないと言い、そのうちの一部が日本にもやって来ていると言われている。日本のお神輿はユダヤの言う一種の契約の箱(モーゼの十戒を刻んだ石版を収めた箱であり、常に担いで移動した)であり、神輿を担ぐ時の「わっしょい」と言う掛け声は、古代ユダヤ語(ヘブライ語)で「神が来た」と言う意味だと聞いたことがある。また「ハッケヨイノコッタ」は「ハッケ撃てヨイやっつけろノコッタ打ち破れ」と言う意味だそうだ。
「バイブル アンド ゴスペル」(http://blogs.yahoo.co.jp/timothy3005/3457859.html)より。

参考までに、
「わっしょい」の語源、(http://ameblo.jp/deathplaymate/entry-10724565427.html)

「日本とヘブライの共通点」(http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html)も参照されるとよい。

(続く)
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