おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

振り返る猫の習作

2022-02-26 10:59:30 | イラスト

 現代人の生活範囲は、昔の人と比べものにならないくらい広くなっている。おまけにこのコロナ禍で、リモートでの働き方も定着しつつあり、本社は東京でも、ネットが繋がってさえいれば、世界中どこででも仕事ができるということになってきている。

 生まれた村から、一生の間、ほとんど出ることもなく、そこで仕事をし、そこで結婚、子育てをしていた時代では、市町村単位で行政を進めることに意味はあったかもしれないが、これだけ行ったり来たりが自由になる世の中で、現在の行政区分というのは小さすぎるんじゃないかと僕なんかは思ってしまう。

 現に、大分と福島を行ったり来たりしていると、そうそう頻繁に現住所を移し替えるというわけにも行かず、かと言って現住所の届け地と実際に生活する場所とが違えば、何かと不便になる。

 免許更新ひとつとっても、少し前までは管轄の場所に足を運ばなければならなかった。これだけネットが発達した現代で、どうして役所は日本中どこででも手続きができるようにならないんだろう。おまけに住所の変更届をしたら、すべての役所の手続きが終わるように紐づけられないんだろう。「こっちの窓口が終わったら、次はあっちの窓口に回るように」なんてのは、なんのためのパソコンやネットなんだと腹が立つ。

 今の行政区分は、明治維新以来ほとんど変わってないのではなかろうか。平成の大合併なんて市町村の合併が叫ばれたが、たかが隣の市町村とくっつくくらいの規模である。

 行政区分があると、例えば積雪の際の除雪に関しても、すぐそこまでやっておきながら、交差点を挟んでこちら側は別の市町村になるからと止めてしまう。いっそのこと行政区分なんて取っ払っちまえばいい。小さな行政区分で物事を進めるから、税金やら水道電気料金やら、さまざまなことで差が生じる。それがもしかしたら差別へと繋がっているかもしれない。

 国だってそうだ。国境なんて決めて治めようなんて考えるから、「自国の国民を守るため」なんて言いながら、平気で自国民以外の人間たちを蹂躙する。行政区分なんて、今や政治家と役人が威張るためだけに存在しているんじゃなかろうか、と思ってしまうアベさんなのである。

 近所の散歩コースの絵を描き始めた。坂道の途中で猫が振り向いている絵にしようと思い、我が家のアンをモデルに登場させてみた。今のところ、全体の色の調子を見るために適当に色を置いている段階で、これから細かい作業に入って行く。

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