おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

トンデモ科学

2021-02-28 11:38:30 | 日記

 明け方に夢を見た。ひどい夢だったので、起きた時には胸糞が悪く、そこからもう一度寝ようという気にはなれなかった。後で考えてみれば、自分で見た夢で勝手に気分を害し、眠れなくなっているのだから世話はない。

 夢というのは、昨日ブログで書いた犬が人を咬んだという話の続きのようなもので、散歩中にテオが乱暴なジイさんを咬んでしまうというものだった。その時は嫌な気分で目が覚めたが、冷静になれば「昨日書いたブログのせいだな」と納得する。

 若い頃はよく夢を見た。中には自分でも驚くような整合性の取れたストーリーのある夢もあり、夢の正体を知りたいとも考えたことがあったが、歳をとるとなんとなく夢の正体が自分でもわかってきた。要は脳みそというのは、その日に飛び込んできたすべての刺激を記録する。それはテレビの映像だったり、実際に見たものだったり、匂いだったり、音だったり、あるいは頭の中で想像を膨らませた話だったりと、脳みそが感じた刺激をすべて一律で受け取る。

 それを寝ている間にせっせと整理しているのだが、無意味なものの連続に僕らの意識はついていけず、不連続な断片になんとか意味を持たせようとする。だから、年寄りよりも若い人、想像力に富んだ人ほど意味ある夢を見がちなのである。

 若い頃は心理学者のフロイトが持てはやされ、「夢判断」や「精神分析学入門」のような本を読むこともあった。トンデモ本の中には、「夢判断」と称して適当なことを書き並べているものも多かった。夢に「車」が出てくればこういう象徴、「湖」が出てくればああいう象徴と、もっともらしく分析していたが、最近ではさすがにメッキが剥がれたと見えて、そんな本も見なくなった。と同時に、フロイトの精神分析も近頃は主流ではなくなったようだ。

 科学に名を借りたトンデモ科学で商売をするものには、健康食品などが多い。「この成分が、ある学会で目が良くなるという研究結果が報告されました」と謳うが、あくまでもひとつの研究であって証明はされていない。反対の結果が出ていたとしても、企業はそういう不都合な研究結果には目をつぶる。一時流行ったプラズマクラスターやアルカリイオン水なんてものも、同じようなトンデモ科学で、近頃は影が薄くなっている。

 人間は一度仕入れた知識というものに固執しがちで、なかなかそれを捨てたがらない。年配の人に多いが、「血液型何型?」と聞いてくる人がいて、いまだにそんな化石みたいな知識を大事にしていることにビックリすることがある。

 その人の中に、例えばA型イコール几帳面という図式があったとする。すると、几帳面な人をつかまえて「血液型何型?」と聞く。「A型」と答えると「だと思った。だって几帳面そうだから」と大喜びをする。が、几帳面そうな人をつかまえて「几帳面そうだ」と言うのなら、二度手間になっている。最初から「あなたはどっちかと言うと几帳面なタイプですよね?」と聞いたほうが早いことには気づいていないのである。これも夢判断と発想は同じところにある。

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人間の都合

2021-02-27 11:15:51 | 日記

 近所に愛護センターがあり、我が家のテオもそこから引き取ったのだが、そこで犬の世話を手伝っている人と散歩の時に顔を会わすことがあって、保護犬の情報を聞くことがある。

 最近、じいさんが飼っていたゴールデン・レトリバーが噛んだからというので、愛護センターに引き取られた。ワクチンを打たれ、トリミングもしてもらい、特別待遇を受けていた。少なくとも、散歩の時に顔を会わせる人は、今までそんな待遇を受けた犬を見たことがないということだった。

 もしかしたら大型犬というのもあり、ゴールデン・レトリバーという犬種だったために、新しい里親が見つけやすいと考えたのかもしれない。しかしながら、なかなかホームページに登場することはなく、どういうことなんだろうかと不思議に思っていた。もしかしたら職員の誰かが、引き取るつもりでいたのだろうか。

 ところが、先日世話をする人を噛んだからというので、すぐに殺処分になったという話を聞いた。だったら、今までお金をかけて世話をしていたのは何だったんだろうと思う。昔から犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになるというくらい、犬が人を噛むのは当たり前の話だった。が、最近は事情が変わり、人を噛むような犬は、生きる資格がないと判断されるようである。少なくとも愛護センターは県が運営している以上、最終的な判断はお役所がしたはずである。

 動物を飼うとは、すべてのことを考慮した上で覚悟をして始めなければならないはずだ。が、今は人間の事情が優先され、そのほかのことは犠牲にされてしまう。コロナ禍でリモートワークが増え、一日中家にいることから犬や猫を飼い始める人が増えているそうである。が、コロナが収束し、再び通勤しなければならないということになれば、どうするつもりでいるのだろう。

 すでに飼ってはみたものの、想像していたのと違うとペットショップに返品(ペットは物なのである)したり、愛護センターに持ち込む人が増えているという。

 ある不動産屋は、リモートワークで郊外の自然豊かな土地に家を購入する人が増えているが、「虫がいるとは聞いていなかった」「近くを流れる川の音がうるさい」とクレームをつけて売却する人がいるという。

 そういう人たちは、都会に住み、バーチャルリアリティな中で夢だけ見て生きて行くのがいいのではないかと僕なんかは思う。

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地図の見方

2021-02-26 10:53:06 | 日記

 昔は地図を見るのは男性の方が得意で、女性は苦手な人が多いというのが定説だった。今、そういうことを言おうものなら、たちまち女性蔑視のレッテルを貼られてしまうので、世の中には男女を問わず、地図の見方が得意な人と苦手な人がいると言っておいたほうが無難だろう。

 ある高校の入試試験で、地図を題材にした問題が出た。それは国語の試験問題で、目的地までを説明する文章を書けというものだった。結果は惨憺たるもので、試験を受けた学生たちの半分が0点だったというのだ。

 こうなると得意、不得意の問題ではなく、世の中には地図を読めない人が半数存在するということになってしまう。おそらくスマホの普及がそれに輪をかけているのだろう。先日も、ソフトバンクの携帯に不具合が生じた。途端に、自分がどこにいるのかわからない迷子が大勢出現したというニュースが流れていた。スマホの地図アプリに頼りっきりになっているため、自分が一体どこにいるのか、自分でもわからない人がこの世にはウヨウヨいるのである。

 僕は日本国中を車で旅行したが、一切ナビは使わなかった。というのも、運転を覚えたての頃はまだナビは一般的に使用されておらず、膝の上に道路マップを広げて運転するということがほとんどだった。というのも、東京の目黒で免許を取得し、その後助手席に誰も乗せずに、ひとりであちこち出かけていたので、地図しか頼りになるものはなかった。赤信号で止まるたびに、常に自分がどこにいるかを確認しなければ、右も左も分からない都心の道では、どこに向かっているかもわからなくなってしまうからである。

 地図のいいところは、余分な情報まで目に入ることである。島根から鳥取に向かう時、突然腹が痛くなったので、目に入ったホームセンターに飛び込んだことがある。ホッとして車に戻ると、自分の現在地を知るため地図を広げて眺めていたら、大山の麓に以前から気になっていた写真家の美術館があることに気づいた。鳥取砂丘を舞台に写真を撮っていた人だったので、てっきり鳥取砂丘の近くにあるのだろうと思い込んでいたから、幸運にも通り過ぎてしまわなくてラッキーだったのである。

 地図の読めない人には、共通した部分も多い。例えば、道案内をするのに、「ここからすぐ」とか「ちょっと行ったら」といった主観的な表現が多い。「車で5分」なんてのも、車の速度が人それぞれ違うから、あまり信用できない。ある作家が観光案内のパンフレットを片手に、ハイキングコースを歩いていた。15分とあるのに、行けども行けども広々とした田んぼしかない。おかしいなと頭をひねっているうちに気づいた。観光案内のパンフレットの製作者は、ハイキングコースを紹介しているにのかかわらず、車での移動時間を書いていたのだ。

 僕のお袋は地図が読めない人の代表選手みたいなものだ。地図を見ながら、「この青い道路をずっと走っているはずなんだけど」と言う。どれどれと地図を覗き込むと、地図の上を滔々と流れる河川を指差していた。ある時は道案内を頼むと、途中ですっかり迷子になり「確かこの辺に大きなダンプカーが止まっている交差点があったんだけど」と言う。それは一体何年前の話ですか。

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雨水、啓蟄

2021-02-25 10:58:01 | 12音詩

 三寒四温の言葉通り、このところ寒い日と暖かい日が交互にやって来る。初夏のような陽気になったかと思うと、急に真冬並みの寒さに逆戻りだ。まったくもって昔の人はうまいことを言うもんだと感心する。

 そういうことわざが昔からあるのか、それとも気象庁が考え出した言葉なのかと気になり、ネットで検索してみると、元々は中国や朝鮮半島で現れる現象だという。それが日本でも使われるようになったわけだが、昔は冬の現象だったものが、最近では春の現象として使われるようになったらしい。

 現代人は暦に従って生活している。そのせいで、暖かかったり寒かったりという自然現象を、つい暦のほうに近づけようとしてしまう。今年は春が遅いだとか、冬なのに夏日とは異常気象ではないかと訝る。が、宇宙規模で起こることを、人間の尺度に合わせているのだから、自然が思惑通りに進んでくれないのは当然だ。

 だから、昔の人はおそらくもっとおおらかに季節の移り変わりを感じていたのではないだろうか。二十四節気で言うと、今は雨水の季節である。もう少しすると啓蟄となる。意味は、畑にとって恵みの雨が降り、そのあとで土の中から虫たちが顔を出すということだが、こういう季節の捉え方の方が、現実に沿った感覚のように思う。

 毎日散歩の時に、キョロキョロしながら新ジャンルの俳句を作ることに余念がない。近頃は自分でお題を出し、自分自身に「整いました」とやっているが、別の見方をすれば、お題に対して広告のキャッチコピーみたいなものをひねくり出しているようにも思える。

 走り去るリス胡桃の木

 この季節、葉っぱのない裸の木々の枝の上を、リスが走り回っている姿を目撃することが多くなる。こちらから見つけやすいのと同じくらい、リスのほうもこちらの姿を発見しやすいのか、見つけたと思ったら、あっという間にいなくなってしまう。

 ウソの口笛 人探す

 ウソは「嘘」ではなく野鳥の「ウソ」。春先になると木々の間で口笛のような声を出す。知らない人が聞くと、どこかで誰かが口笛を吹いているんだろうと勘違いしてしまう。

 雑木林 月も眠る

 早朝、お日様が昇る前の雑木林は静まり返っている。裸の木々の間に、ぽっかり月が見える。

 店先にならぶ種芋

 ホームセンターに行くと、店頭に種芋がずらりと並んでいた。都会生活の時にはまったく目に入らなかったが、畑を作るようになると、種芋が並ぶと早く耕して準備しなきゃと焦り始める。

 コトコトと二両編成

 近くをローカル線が走っている。日中はほとんど姿を見ないが、朝と夕方は通勤通学の人たちが利用する。といっても、乗客数は二両あれば十分なのである。

 

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張り切るのはほどほどに

2021-02-24 11:25:59 | 日記

 全然関係ないことをやっていたのに、ふと昔の恥ずかしい失敗を思い出したりして、昨日のことのように顔が赤くなるときがある。さあ寝ようと布団に横になった途端、すっかり忘れていたような昔の失敗が頭を過ぎり、寝られなくなったりする。人間の脳みそなんて変幻自在に活動しているから、連想が連想を生み、埃をかぶっていたような記憶まで呼び覚ましてしまうから始末が悪い。

 思い出すたび自分の馬鹿さ加減に呆れるような失敗というのは、僕の場合はある一定の法則があるように感じている。それはテンション高めで張り切っているようなときで、おまけに他人の目を意識していいカッコしようという気持ちがあるときだ。そういう状況での失敗というのは、他人にはどうってこともないような失敗でも、本人は穴があったら入りたくなるくらい自分自身に対して恥ずかしくなる。反対に、全力をつくした上での失敗などは、その失敗があったからこそ今があるとかえって楽しい思い出になったりする。

 そういう経験があるので、近頃はなるべく平常心でいるように心がけている。あるランニングに関する本を読んでいたら、「今日は調子がいいぞ」と感じたときはすでに頑張り過ぎている時で、少し冷静にペースダウンしたほうがいいと書いてあった。

 女性蔑視発言でボロボロの森さんは失言王とも呼ばれているが、大体が人が集まるような場所で、張り切り過ぎるからついつい余計なことを言ってしまっているように見える。こういう人は身の回りにも案外多い。自分を少しでもよく見せようと虚勢を張る人ほど、詐欺師にとってはかっこうのカモだと言えるだろう。

 骨董に関することが書いてある本を読んでいたら、こんな文章にぶつかった。「網の目をくぐって何かを掘出そうとすれば、大抵は目が狂ってとんでもない物をつかむのが落だから、そちらの方を心配した方がよい」。それに続けて、「道具屋がこのごろはお素人衆の方が目が肥えてとお世辞を言うのは、この辺のことを含めた商人らしい才覚の綾である」と付け加える。

 人はおだてられると、多少なりともテンションが上がるものである。オレオレ詐欺で「裁判所から」とか「警察です」と告げて相手の心の動揺を誘うのも、同じ手法だろう。詐欺師でなくても、テレビショッピングで「30分以内にお申し込みの方に」と急かすのも、平常心をかき乱す手段である。

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ジョブズの映画

2021-02-23 10:31:10 | 日記

 休日の午後はテオと長い散歩に出る。天気がいいとなれば、カメラを持ってのんびりと歩き回る。カメラであちこちパチパチ写していると、不思議と指を折って句をひねり出すということはなくなる。どうしても写真か俳句かのどちらかになる。

 ネットで購入した「宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧」を読み終えた。禅僧・弘文の生涯を身近な人たちのインタビューで追うという形式を取っていたので、副題にあるようなスティーブ・ジョブズとの関係は部分的に取り上げられていたに過ぎないが、ジョブズが将来、技術者か僧侶かどちらの道を進もうか悩んだときに、技術者として世の中につくす方法もあるといったような助言をした、という話は興味深かった。

 アマゾンプライムの映画の中に、「スティーブ・ジョブズ」という伝記をもとにした映画があったので、観てみることにした。もしかしたら、弘文をモデルにした登場人物が出てくるかもと期待したからだ。

 映画はジョブズがアップルを立ち上げ、その後会社を追放、再びアップルに戻ってiMacを世に出す直前までを描いていた。が、技術者、経営者としての苦悩は描かれてはいたものの、思想面や精神面での苦悩はほとんど描かれなかったため、当然禅についてはほとんど触れられなかった。

 とはいうものの、映画は大変面白かった。創業者といえども、会社にとって障害になると判断されると、途端に首を斬られてしまうシビアな状況は、日本の会社では絶対にあり得ないだろうなと思わせるものだった。日本の会社では少々足手纏いになろうと、過去に何かしら貢献していれば、それだけを評価にいつまでも会社に残れたりするからである。

 バブル崩壊後を、失われた30年と言い、政治や行政の不手際が取りだたされるが、おそらくいつまでも終身雇用、社員は皆家族といった昔ながらの雇用形態から抜け出すことができないでいる日本社会の構造そのものが、世界に置いてけぼりをくらった最大の要因なんだろうなと、映画を観ていて感じた。

 劇中、スティーブ・ジョブズが社員を前に力説するシーンがあった。「他社の製品を見た時、どうやったらできるんだろうではなく、別のアプローチはないのだろうかと考えろ」と説く。

 優れた絵や楽器の演奏に興味を持った時、「どこへ行けば教えてもらえるんだろう。いい先生はいないだろうか」という考えが浮かんだとする。が、おそらくこういう発想の人は、アップルに入社するのは難しいのだろう。

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チョー気持ちいい

2021-02-22 11:52:42 | 12音詩

 今日はお休み、天気予報では四月から五月の陽気だという。先週の月曜日が雨でさっぱりだったので、朝からテンションが高い。ところが、朝の散歩でテオと追いかけっこをするとき膝に違和感を感じた。2週間前に走ったときにも右膝に違和感があって、走ったり歩いたりと満足できなかったので、今日も不安が募る。

 朝飯を食い、天気がいいので布団を干すと、念入りに準備体操をする。特に右膝はこれでもかというくらい曲げたり伸ばしたりして、ランニングに出発する。

 空は初夏の陽気、春風が吹き、頭の上を白鳥が飛んで行く。チョー気持ちいい。膝の様子を伺いながら走り始めたが、どうやら大丈夫そうなので、頑張って折り返し地点まで走り切ると、タイムは43分11秒だった。

 去年、粉瘤で背中を切開して以来、45分を切るのがやっとだった記録も、ここ何回かは43分台まで取り戻してきた。この調子で行けば、40分台も見えてくるかもしれない。

 記録に満足し、水分補給をすると、汗が滝のように吹き出す。気温はおそらく15度以上ある。ウインドブレーカーに長袖ジャージという冬の格好で出てきたので、うんざりするような暑さだ。

 体がサウナに入っているように火照るので、帰り道はクールダウンのつもりでのんびり歩く。天気はいいし、風が気持ちいいので、苦しい思いをして走るのがもったいない。ブラブラと道草を食いながら、句をひねり出してみる。

 幟たなびく春の川

 阿武隈川の土手には、風の強さを測るためか、一定の間隔に緑色の幟が立てられ、それが春風を孕んでたなびいている。

 目に染みる太陽と汗

 帽子とサングラスを取り、ブラブラ歩いているが、次から次に汗が吹き出し、顔はシャワーを浴びたようだ。タオルで拭いても汗が目に染みる。二月とは思えないギラギラと輝く太陽が、顔をヒリヒリと照らしている。

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どうするつもりなんだか

2021-02-21 11:54:46 | 日記

 Yahooニュースを見ていたら、原子力発電に関する記事がふたつ出ていた。ひとつは中国には50基の原発があり、さらに12基が新設中だが、62基中ひとつを除き、すべて韓国に面した海岸線にあり、そこで事故が起これば韓国への影響が大きいというものだ。それに対して、韓国は抗議はできないでいる。

 日本という国は良くも悪くも島国であるため、他国のことをあまり考えずに過ごすことが容易だ。面倒臭いと思えば、江戸時代のように港を閉じれば、亀の子のように首を引っ込めた姿勢でいることができる。

 そういうことを思えば、ヨーロッパのように地続きでたくさんの国が隣り合っているようなところでは、原発を推進するにしても止めるにしても、他国への影響は大きい。日本も島国でなく、何カ国と地続きだったら、もう少し政治家やお役所だけの身勝手な判断がまかり通るということも少なかったかもなと思う。

 ふたつ目の記事は、地球温暖化を防ぐには、今現在原発以上のものはないというビル・ゲイツの言葉だ。最初見出しだけ見たときには、身勝手な理屈だと感じたが、記事を読むとそう簡単には否定できない側面がある。

 というのは、原発事故によって確かに人類は多大な損害を被る。が、地球温暖化による地球への悪影響は、原発事故とは比べものにならないくらい、すべての生き物に関わってくるということだ。人類が滅ぼそうとしている地球そのものを救うためには、多少人類が損害を被ろうと原発を動かすほうがいいというのが、ビル・ゲイツの意見なのである。

 僕は基本的には原発反対だ。原発を動かす前にできることがたくさんあるんじゃないかと思っている。例えば、日本は火山大国である。原発にしろ石油による火力発電にしろ、やっていることはお湯を沸かし水蒸気でタービンを回して電気を起こしているだけだ。それなら、日本中で湧いている温泉を利用する地熱発電などは、もっとも手っ取り早い方法のように思えるが、実際には地熱発電所を作ることは難しい。その理由というのが、源泉の多くが国立公園内にあったり、温泉が涸れるのではないかという心配から温泉街から猛烈な反対を受けるからである。

 ではほかの自然エネルギーはどうかと言えば、岩手県の山奥で広範囲にソーラーパネルを設置したところが、山を切り崩したため、大量の土砂が川に流れ込み、川の汚染が進んでしまったという。そのため、現在はソーラーパネルの設置は、景観や環境汚染の観点から、積極的には進められなくなってきているという。

 まったく、あちらを立てればこちらが立たずだが、今の国会では地球温暖化の問題など、論ずるに足らずという雰囲気である。担当大臣である小泉進次郎さんの顔をまったく見なくなっているだから、おそらくオリンピックが終わるまでは、考えることも止めているのだろう。

 

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少しずつ春

2021-02-20 10:44:21 | 12音詩

 朝から雲ひとつない天気となった。寒くったって、青空が広がれば自然と楽しい気分になる。今日はケンくんとボール遊びをする日なので、まだ仄暗い中をテオを連れて家を出る。

 30分ほどカリカリに凍りついた空き地を全力で走り回ると、氷で足の裏を傷つけたのだろう、テオの足から血が滲んでいる。が、本人はそんなことにはおかまいなしでニコニコしている。

 ケンくんと別れ、朝日の昇る丘を散歩する。遠くの雪をかぶった那須連山も、今日は全貌を表している。

 まだ場所によっては雪の残ったところも多く、氷の粒にお日様が当たってキラキラと輝いている。耳はちぎれそうに冷たいが、もう真冬のようなしばれる感じはない。

 福寿草の花が咲いているのを見たという話を聞いたので、毎年福寿草の花を見かけるあたりで探してみると、ついに黄色い花を咲かせている福寿草の花を発見した。

 花自体は取り立てて見事というわけではないが、どんな花よりも早く雪の下から顔を出す福寿草の花を見るのは楽しい。名前に「福」と「寿」の字が使われている理由もなんとなくわかる。で、その場で一句詠んでみる。

 草の芽に少しずつ春

 草むらで何かが動いたので、目を凝らすと、まだ半分寝ぼけたようなジョウビタキのオスがモジモジしていた。これから体にお日様を当てて、体温を上げないことには動けないのかもしれない。秋が来ると頻繁に目撃するジョウビタキは、春を過ぎると姿を消してしまう。

 頭の上で、ジュクジュクと騒々しく鳴く野鳥の群れはエナガだ。スズメよりも小さくシッポがひしゃくの柄みたいに長い。ソメイヨシノの木々の間をせわしなく移動しているのを見ると、膨らみ始めた桜の蕾を啄ばんでいるのかもしれない。写真では顔のアップが撮れなかったが、丸っこい顔に小さな嘴は、野鳥の中でもダントツに可愛い。

 にぎやかにエナガ桜の芽

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足踏みする春

2021-02-19 11:16:11 | 12音詩

 日が長くなり、夕方の散歩でも真っ暗になる前に帰って来れるようになって来た。朝は家を出る時にはまだ暗いが、20分も歩いているうちに明るくなる。カメラを持って出ても、何も撮らずに散歩を終えることが多い冬だが、明るくなるとそれだけで気分も盛り上がって来る。

 ここ二、三日寒波がやって来て、連日雪が降っている。この寒さも今日には抜けるらしく、明日からはぐっと春めいて来るというから楽しみだ。

 毎日が単調なリズムで、特別な出来事も起こらないから、句を作ることで言えば、同じようなものばかりできる。指を折っては「これは面白くないな」と却下するばかりで、ちっとも増えて行かない。最初から12音で作ると決めてあるので、少ない文字数ではおのずと似たようなものになってしまうのは仕方がない。

 地震来て静寂の朝

 これは先日夜中に突然大きな地震に遭遇した翌朝作ったもの。早朝、犬の散歩のついでに地震の被害状況を確認しようとブラブラ歩いたが、気味が悪いほどの静けさで、誰ひとりとして顔を合わせることがなかった。夜間、余震が続いていたので寝不足になった人が多かったのかもしれない。

 雪雲照らして夕焼け

 春が近いと思っていたら、ここ数日季節は停滞気味で、毎日湿った重たい雪が積もる。夕方の散歩の時に空を見上げると、分厚い雪雲を、夕焼けが赤く染めていた。見ているだけで凍えて来るような空だ。

 雪かぶりこうべを垂れる

 雪降る中を散歩すると、頭の上に雪がたっぷりと積もって綿毛をかぶっているようになる。テオの頭も真っ白だ。ススキの穂にも雪がつき、重そうに頭を垂れていた。人間も犬もススキも、雪の下ではみんな頭が上がらない。

 丘の上 春風に立つ

 お日様が射す日は、風さえも暖かく感じる。春が近づくと風向きは北から南へと変化する。

 

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