おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

描き直し

2023-09-30 08:09:46 | イラスト
 テオとアンの絵を描いたのでタミちゃんに「どう」と見せたら、「う〜ん、顔だけだとなんだか首が切れてるみたいで気持ち悪い」と言われた。そこのところは僕も気になっていたところだったので、どうしようか迷ったのだが、顔のアップを描くとなるとこれでもいいのかなと、それ以上考えないようにしていた。

「頭だけだから気持ち悪く感じるから、首から下も描いておけば」というが、それだと絵として上だけに空間ができるだけにバランスが悪い。どうせ描き直すなら全体を描いたほうが良さそうだ。というわけで、顔だけはそのままに首から下を全部描いてみた。できあがってみると、こっちのほうが遥かにいい。

 やり直す前の方がいい、ということは絵の世界では多い。筆を置くタイミングというのは難しく、ついつい描き込んでいくうちに、「あ〜、やりすぎた」となることが多々あるからだ。かと言って、「これ以上どう描いていいかわからない」と言い訳しながら途中で止めるというのも、ほとんどの場合未完成で終わっている。「諦めが肝心」という言葉は、表裏一体で、結局どう転んでも使える便利な言葉なのである。



 さあ、これで美術展に出す小品3点は終了だ。
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美術展用小品3点

2023-09-29 13:08:58 | イラスト
 三春美術展用に大きい絵を3点用意しなければならない。出品数が少ない時には余分に出して欲しいと言われていたので、合計4点の作品を作った。

 が、これだけで終わりではない。今度はハガキサイズの小さいのを最低3点は出さなければならない。今まで描いた中から選んでもいいが、大きい方の絵に力が入っていたので、小さい方はお気楽な絵にしたい。そこで以前描いたテオとアンの絵を、今度の展覧会用の小品として手直しすることにした。タイトルは「テオとアン」の3部作だ。







 油絵具やパステルで小品を描く人が多いので、僕のように簡単なイラストは珍しいと思うので、これをもって展覧会用の絵はすべて終了にする。もっとも大きい絵は印刷に回さなければならないし、それに併せてフレームも買いに行かなければならない。パソコンで絵を描くのはお金がかからなくていいが、展覧会となるとやはりいろいろと出費が重なるのである。 
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栗とカラス

2023-09-28 08:11:22 | 山頭火を描く
 雨の中、傘をさして散歩していると、突然目の前にイガグリが落ちてきた。アスファルトでパカっと割れたイガからは、丸い栗がひとつ飛び出て、コロコロと坂道を転がって行く。それにテオが反応して追いかけたので、栗が止まるまで後を追った。振り返ると、早速タミちゃんが落ちた栗を拾って回り、早くも両手いっぱい栗を抱えている。今までに拾った栗で2回栗ご飯を炊いているので、今回は渋皮煮でも作ろうかななんて言う。

 落ちた栗で、秋のご馳走が食べられるとはなんと贅沢なんだろうと考えているうちに、ふと落ち栗の連想で井上井月の名前が頭に浮かんだ。
 「落栗の座を定めるや窪溜り」

 井月は漂泊の俳人などと呼ばれているが、最後はほとんど乞食として放浪していたような人で、僕が初めてその名前を知ったのは、つげ義治の漫画「無能の人」である。無能の人である主人公が、乞食俳人である井月に自分を重ねるという筋立てだった。ちなみに「無能の人」を竹中直人が監督をして映画を撮り、ヴェネチア国際映画祭で賞を獲った。

 井月に影響を受けたのは、つげ義治のほかにも、芥川龍之介や種田山頭火も挙げられる。山頭火は長野県伊那谷にある井月の墓参りも果たしている。その時に詠んだ句のひとつ「お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました」

 さて、昨日途中まで描きかけていた鴉の絵を描き終えた。タイトルは山頭火の句から取って「風の中からかあかあ鴉」


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かあかあ鴉

2023-09-27 11:21:12 | イラスト
 三春の美術展が10月20日(金)から三日間、三春町のまほらホールで開催される。枯れ木も山のにぎわいで、僕も参加している。出品したからと言って、賞金がもらえるわけではないのだが、会長さんとは僕が福島に来た時からの付き合いでもあるし、この春は二人で展覧会も開いたので、協力できるところはなるべく協力したい。

 どこも同じだろうが、三春の美術協会も高齢化が進み、以前ほどは活発に活動はしていないようで、年々作品数が減っている。少し前まではそれを補うために地元の小学校、中学校、高校の美術部の作品も併せて展示していたが、コロナの流行で子供たちの作品は引き受けないようにした。そのせいで、以前にも増して展覧会は寂しいのである。

 で、最近は大きい作品と小さい作品を各3点まで出していいことになっている。が、それでも展示数が足りないケースも考えられるので、会長さんから余分に用意しておいてくれと言われた。そういうことで僕としては大きい作品を4点持って行こうと思っている。僕の場合パソコンで描いて、大きい作品は印刷所に回すので、10月の初めにはデータを用意しておきたい。とりあえず山頭火シリーズは、ノルマの3点を描き終えたが、余分にもう1点用意するつもりで頑張っている。

 というわけで、次に選んだ山頭火の句は、「風の中からかあかあ鴉」だ。



 主役は鴉。背景は空だけにするつもりなので、そう時間はかからないだろう。



 下の方にシルエットで森を描く。これも色数が少ないので時短になる。



 あとは背景に夕焼けを描く。色付けするのはほぼ夕焼け空だけなので、ここだけはじっくり描くつもりだ。
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プリンターあるある

2023-09-26 11:46:46 | 日記
 以前描いた絵本原稿をプリントアウトしようと、ホームセンターでスーパーファイン紙を買ってきた。きれいにプリントしたいが、印画紙タイプの紙では値段が高いし、普通紙ではいまいちだ。で、中を取ってわざわざスーパーファイン紙を買いに行ったわけだが、なぜだかパソコンのデータを大量にプリントしようとすると、不思議と一回でうまく行った試しがない。失敗しないようにと細心の注意を払っているつもりではいるのに、途中で「ああ、しまった」という事態が必ず起きる。

 今回はそういうことがないように、プリントを始める前に自分の中で注意することをまとめ上げ、どういう手順でやればいいかシミュレーションする。絵本原稿が50枚、今回は2部作ろうと思うので、完璧にうまく行ったとしても100枚プリントしなければならない。とりあえず2、3枚をテストとしてプリントしてみる。色の発色具合だとか、レイアウトの大きさだとかチェックし、これでいいかなと思ったので、いよいよ100枚の印刷に取りかかる。

 プリントされてきた用紙が溜まってくるのを時々取り出しながらチェックする。と、40枚ほどプリントしたところで大変なことに気づいてしまった。用紙を裏表反対に入れてプリントしてしまっているではないか。これが印画紙ならすぐに気がつくし、普通紙なら裏表は関係ない。スーパーファイン紙は明るいところに持って行くと、微妙に裏表の色と質感が違うのがわかるという厄介者だ。特に僕のように老眼の入った人間には、わかりづらいのである。そんなこともあり、プリント前に裏表を確認しなきゃと思っていたのに、ついうっかり失念してしまっていた。

 仕方がないので、それまでプリントした分はメモ用紙で使うことにし、また最初から始める。ただし今度は用紙が足りなくなったので、一部のみ、50枚の印刷だ。

 で、時々チェックしながら、今度こそちゃんと印刷できていると思っていたら、イラストの部分の画像がよくよく見ると白い線が入り始めている。そういうことがないように、始める前にプリンターのクリーニング機能を使ってきれいにしたつもりだったのに、どこか目詰まりを起こし始めているらしい。

 さかのぼって調べると、5枚ほどに白い筋がついている。これも仕方ない、メモ用紙行きだ。というわけで、再びクリーニングを行い、あらためてプリントを始める。

 結局50枚を印刷するのに、二日がかりになってしまった。というのも、途中でインクが切れ、それが手持ちにあった予備の色ではなかったため、家電量販店に買いに行くハメになったためである。ああ、しんど。
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秋のご飯

2023-09-25 11:45:00 | 日記
 夕方、テオの散歩をしていたら、家族と散歩していた男の子が駆け寄ってきて、小さな栗をひとつくれた。道端に生えている栗の木から落ちている栗の実を拾い、そのうちのひとつを手渡してくれたのだ。

 小さな栗ひとつじゃどうしようもない。捨てて帰ろうかと思ったが、わざわざくれたのに可哀想だ。そこで男の子が拾っていた栗の木の下に行き、あと10個ほど小さい栗を拾って帰った。これで栗ご飯を炊いて、夕飯にすることにした。たった10個でも、二人で茶碗一杯ずつ食べるくらいの栗ご飯は炊くことができる。完成した栗ご飯は、ごく普通の栗ご飯でおいしく秋の味覚を味わうことができた。

 畑でまだまだ秋ナスが採れるので、我が家では毎日のように焼きナスを作って冷蔵庫に入れている。魚を焼くグリルに洗ったナスを8本ほど並べ片面を12、3分ほど焼いてひっくり返し、反対も同じくらい焼く。表面が焼けてシワシワになったら、熱いうちに楊枝か包丁の先でナスの皮を剥く。よく焼けたナスは、簡単に皮が剥がれるのである。これを食べやすい大きさに切りタッパに入れて冷蔵庫で冷やしておく。食べる時には鰹節を乗っけて、醤油か麺つゆで食べる。いくらでも食べることができるので、二人で食べれば1日で食べてしまうのである。

 大きくなったネギも大量に持って帰ったので、何に使おうか考えていたら、テレビでチャーシューを作っていた。丸々大きなネギを入れていたので、じゃあこれがいい、と早速豚バラの塊を買いに行く。失敗してもいいように、小さいのをひとつ買って帰る。

 で、今日は朝からチャーシュー作りだ。肉を凧糸で縛り、600ccの水に酒を加え、ネギとニンニク、生姜を入れて30分以上にコトコトと煮る。これで柔らかくなるので、ここに醤油、ミリン、砂糖、鷹の爪などを加え、再びコトコトと1時間近く煮る。これでおしまい。あとは冷えるのを待てば、カラシを添えて特製チャーシューが完成。

 というわけで、毎日のように秋の味覚を堪能している我が家である。食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋。とりあえずこれくらいは楽しみたい秋真っ盛りになった。
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復活の走り

2023-09-24 12:02:32 | 日記
 背中に再び粉瘤ができたために、皮膚科で切除してもらった。抗生物質をもらい、傷口に絆創を貼っていたのが五日間、そろそろ復活のランニングを始めようとしたら、用事が入ったり雨が降ったりで、結局17日ぶりのランニングとなった。

 今日は朝から爽やかに晴れ上がり、空気はひんやりとして秋らしい1日だ。朝食後早速着替えて出発すると、阿武隈川のサイクリングロードには普段よりたくさんの自転車が走っていた。





 久しぶりのランニングで体力を温存していたので、いつもより体も軽く調子がいい。このまま一気に20キロくらい走れそうだと思っていたら、すぐに足が動かなくなってきた。やはり17日のブランクは大きい。とにかく病み上がりなので無理はせずに、途中から歩いたり走ったりを繰り返した。周りの景色はすっかり秋になり、あちこちで稲刈りも始まっていた。





 ランニングできなかった分、時間に余裕があったので、昔読んだ「デルスウ・ウザーラ」(アルセーニエフ著)を読み返した。じっくり味わって読もうと思い、1日10ページから20ページずつ読み進める。全部で300ページあるから、読み終えるのにひと月近くかかったことになる。

 で、今日の早朝読み終えた。話は創作ではなく、まだ樺太とかシベリアに人が住んでいなかった頃に、ロシアの探検家であり学者でもあるアルセーニエフが探検した実際の記録である。その頃のシベリアは、町といえばウラジオストックかハバロクスクくらいで、あとは未開の地である。原住民が狩猟や漁業を営んでいるほか、中国人や朝鮮人やロシア人、日本人がちらほらと足を踏み入れている。アルセーニエフはそんな土地を調査して回るのだが、案内人として現地の原住民のデルスウを雇う。

 デルスウには学はないが、森で暮らしてきた人として、尋常ではない観察力が身についている。森の奥、地面についた足跡で中国人かどうか、年配の人間かどうか、病気を患っているかどうかといったことが、まるで目の前で見たかのようにわかる。まるでシャーロック・ホームズのような注意力と観察力で、アルセーニエフ一行をたびたび危機から救う。

 また、インクという存在を知らなかったデルスウは、インクを「きたない水」と呼ぶ。なんでも汚くしてしまう液体を彼はそう呼ぶのだが、必ずしも忌み嫌うものとしてそう呼ぶのではない。なぜなら、ある言葉は人の口から出て近くの空中に広がるが、別の言葉は瓶詰めになっていて、こちらの方は紙の上に広がっていく。前者はすぐに消えてなくなるが、後者は紙に乗って遠くまで行き、百年以上も生きることができると彼は言う。

 そうしたデルスウもより年並みには逆らえず、視力の衰えを感じる。視力の衰えは、すなわち森では死を意味する。そんなデルスウを探検後、アルセーニエフは一緒に住もうと町に誘う。が、デルスウにとって町での生活は辛いばかりのものだった。この本のラスト、印象的な言葉が現れる。

「彼は理解した。町では自分の欲するようにでなく、他人の欲するように生きなくてはならない」
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イラスト、今の実力

2023-09-23 11:31:45 | 山頭火を描く
 この前描いたイラストを、背景の部分をすべて削除し、全面的に空の部分を描き直したが、前回より少しはマシになったとは思うものの、イメージしていたものとはまだまだかけ離れている。といって、どう描けば気に入った絵になるのかは自分でもわからない。大体、こんなイメージと言ってみても、その像はぼんやりして、はっきりとした鮮やかなイメージではないのだからどうしようもない。

 とにかく、今の僕の実力ではこのくらいしか描けないという、ということがはっきりした。

 描き直し前に比べると、奥行きが出てイラストに立体感は出ているので、その点は描き直しただけ進歩したかなと思う。

 そういえば、昨日観た映画「ミステリーと言うこと勿れ」の中で、登場人物の少女が、子供の頃から絵を描くのが好きだったが、大きくなるに従って自分の描く絵があまりうまくないということに気づき、描くのをやめてしまったという。それを聞いた主人公が「絵が下手くそなのに気づいたというのは、それだけ絵が上達したからで、実力がついたからこそ自分の下手くそなところに気づいたわけだから、そういう時こそ上達するチャンスだ」とアドバイスする。

 確かに、自分の実力がわからない人は自分が下手くそだということに気づかない。本当の音痴は、マイクを握ると堂々と歌を披露する。自分が音痴だと気づくとは、それだけ音感が良くなっているとも言えるのである。

 今回のイラストのタイトルは山頭火の句のひとつ「あの雲が落とした雨にぬれている」だ。画中に小さく山頭火らしき人物も描き入れてみた。

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日本のドラマ

2023-09-22 13:04:57 | 日記
 今夏、久しぶりに映画館に行って、「ミッションインポッシブル」の最新作を見た。ネットでそれまでのシリーズは見ていたのと、最新作の予告もずいぶん見ていたので、できたらでっかい画面で観たかったのだ。で、タミちゃんを誘って久々の映画館に入ったが、その大音量に「もう少し静かでもいいんじゃない」とでかい音にビビりながら最後まで観た。最新作は前編後編があるようで、話は途中で終わり、面白かったものの消化不良で終わった。

 で、今度はタミちゃんが、テレビドラマで流れていた「ミステリーという勿れ」の映画版をやっているから、観に行きたいというので一緒に出かけることにした。ドラマの再放送を見て、その初回のドラマが面白かったので、映画版を観ることにしたのだ。

 話はよくできていて、最後まで飽きることはなかった。大画面なので気が散ることもなく、謎解きのドラマを観るにはちょうど良かった。もっともこれ以上書くと、これから観てみたいと思っている人の邪魔になるので、内容に関しては一切書くつもりはない。

 ただ、日本のドラマだなあと感じたのが、事件が解決し、ああ終わった終わったと思っているのに、またそこからもずるずる続いていくのである。話はその前で終わっているし、ここでエンドロールが流れるほうがスッキリするのに、どうしても後日談みたいなものがないと製作者は気が済まないらしい。今でも刑事ドラマなんかで、事件が解決するとみんなで談笑したり、関係者のその後みたいな話があって、本編より余韻にそんなに力を入れなくてもと思うことがある。

 その点、外国の映画は逆にサービス精神に欠けてるんじゃないか、というくらいあっさり終わって、「えっ、ここで終わりなの」とキョトンとすることがある。日本のドラマに慣れすぎているので、事件解決と同時に終わったりすると、気になることばかりということになってしまうのである。中には、解決したのかしないのかわからないうちに終わり、「さて、このあとはどうなったか、それぞれが想像してください」みたいな作りをしていたりして、こうなると「答えを出してから終わって」と文句も言いたくなる。「実際の生活は正解も不正解もないし、ここで終わりということもないですから」みたいになっていると、じゃあ、ドラマじゃなくて実生活で十分じゃないかともなりかねないのである。

 と、日本のドラマを観て、いろいろ海外のドラマと比べたりしているアベさんなのである。
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失敗したらやり直す

2023-09-21 12:48:47 | イラスト
 昨日、仕事のできない人のやり方を紹介した。というのも、僕自身が仕事のできない人のやり方で絵を描いているからで、目的地もわからず、作業時間の見通しもつかず、出たとこ勝負みたいなことを繰り返しているのである。

 で、早速失敗した。この前から描いている山頭火の句をモチーフにしたイラストを描き終わったが、描き終わった瞬間、こりゃダメだとすぐに結論したわけである。



 問題は背景の空にある。ただでさえ平面的な構図なのに、雨雲の広がる空は立体感に欠けるため、奥行きがよくわからなくなってしまったのである。この空を描くために、二日間かかりっきりで、夜明け前から真夜中まで描き続けたのに、大失敗という結果に終わった。これが陶芸家なら、すぐに地面に叩きつけて焼きたての器を粉々にするところだろう。

 が、僕の場合はパソコンを使って絵を描いているため、レイヤーという透明なシートみたいな存在を次々に重ねて描いている。途中で失敗しても、そのシートを一枚削除すれば済むのである。

 というわけで、空の部分をすべて消してしまうことにした。



 二日分の作業を消し去るのは惜しいが、再びこの状態から始める。次はもっと立体感のある空を目指す。山頭火の句が「あの雲が落とした雨に濡れている」なので、曇天は変えない。果たして、どうすれば目指すイメージに近づけられるだろう。
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