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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

生きる意味

2018-02-28 11:35:29 | 福島

 最新の科学は、まるで宗教か哲学のように、神の存在や生きる意味とは何かということまで議論するようになっている。僕の優れて低級な脳みそによる理解によるなら、科学の考える生きる意味とは、この宇宙の発展は偶然か必然によるものかということに行きつくようだ。つまり、宇宙の誕生から現在の発展までが、コンピュータのプログラムのように書き込まれていたのか、あるいはすべてがまったくの偶然の産物なのかということだ。

 宇宙にあったタンパク質の偶然の結合から、現在あるような生命溢れる地球のような存在が誕生したのが、まるっきり偶然と考えるのに無理があると思うならば、人間は何らかの生きる意味を背負って生まれて来たことになる。これが偶然の産物となれば、僕らの存在は、たまたまここにいるだけの泡のようなものだろう。

 Yahoo!ニュースを開いたら、すぐに若者の死因の第1位が自殺になったという記事が目についた。そりゃ大変だと感じる一方、医療の進歩やインフラの整備などで、事故や病死が減ってくれば、いずれ殺人か自殺が死因のトップになるだろう。そう考えれば、若者の自殺が死因の1位になったというのは、平和な現代社会ならあり得るのかもしれない。

 が、僕らの若い頃もそうであったように、当事者である若者の悩みというのは深刻だ。誰もがそういう経験を経て歳をとると言ったところで、当の本人は知ったこっちゃない。作家の小林秀雄が、「若い頃に一度も死について考えないようなヤツはつまらない」みたいなことを書いていたが、深刻な悩みこそ若者の専売特許とも言える。

 死にたいと考える若者に理由を尋ねると、ほとんどの答えが「生きている意味がない」ということだ。確かにこれは大問題で、現代の最先端の科学や哲学を持ってしても解答を得ていないのだから、少しくらい若者が頭を悩ませるくらいでは解決できるようなことではないだろう。

 さて、僕の場合も若い頃には、優れて低級な脳みそで散々に悩んでいたが、ある時その解決方法を見つけた。これは未だに実践している方法なので、人によっては参考になるかもしれないが、大昔から、偉人と言われる人も天才と言われる人も、多くの人たちがこの問題に取り組んで来た。キリストしかり、ブッダしかり、マホメッドしかり、ソクラテスにプラトンにニーチェしかり。

 その結果、なぜそんな結論になったのかは僕にはわからないが、偉人たちは口を揃えて「この世にいることに価値がある」と言う。だったら、どうしてそうなるのを考えるのをやめて、とりあえず「この世にいることに価値がある」だけを信じてみようと考えることにした。

 なあんだ、生きる意味は結局誰にもわからないじゃないかと言われてしまうが、そういうことはどうでもよろしい。

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色々

2018-02-27 11:15:36 | 福島

 植物の本を読み続けているが、考えてみれば僕らは植物で囲まれて暮らしている。それは森や林や庭木があると言っただけではなく、住居の柱や畳、障子や襖の紙といったものから、植物の繊維でできた布や服、そして食べ物まで、ありとあらゆることが植物なくしては成立できないほどだ。

 近頃では植物繊維に変わり、合成繊維が、木材の代わりにプラスチックが代用されているとは言うが、原料になっている化石燃料自体が古代の植物の変化したものなのだから、植物なくしては人間は生きていけないのに変わりはない。

 人間にはいろいろな人間がいるとは、よく言われることだが、この何気なく使っている「いろいろ」という言葉は、漢字は「色々」と書くから、色の数の多さから来ているのだろう。ときどき絵を描く僕としては、色については絵を描かない人よりは敏感だと思っているが、「いろいろ」という言葉が「色」から来ていたとは、今まで特に意識したことがなかった。

 そしてこの色の名前なのだが、実は多くが植物由来の名前であるらしい。

 すぐに思い浮かぶのは、橙色、桃色、オレンジ色などの果物の色から来ているもの。それ以外にも、染色に使われた植物の名前からついた色の名前も多い。藍色、茜色、紫色というのは、植物はそんな色をしていないが、染め上がった色にその植物の名前がつけられている。紫という植物も歴としてあるらしい。

 意外だったのが、茶色も植物のお茶から来ているのだが、昔はお茶で染めたりしていたそうだ。紅も、「呉の藍」から来ている。呉の藍とは今で言うベニバナのことで、今では呉の藍と書かなくても、ベニバナと入力すれば、紅花と変換される。

 現代でこそ、植物と触れるというのは、園芸か料理くらいでしかないが、昔から人々は、植物を徹底的に研究し、うまく利用して来たんだなというのが、名前ひとつとってもわかるのである。

 

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言われてみれば

2018-02-26 14:28:48 | 福島

 先週痛めたふくらはぎが、ほとんど良くなったとはいえ、今走ると再び痛めそうなので、せっかくの休みだけれど、走るのはやめとくことにした。

 今度の土曜日には、図書館に本を返しに行かなければいけないので、まだ読んでいない本をさっさと読んでしまおうと、朝からコーヒーを飲みながら、のんびり読書をする。

 稲垣栄洋さんの「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか」を読んでいるが、言われてみれば確かにどうしてなのかという話ばかりが出てくる。大体、何気なく見ていたタイトルでさえ、改めて言われてみると、そういえばどうしてなのと考えてしまう。

 タイトルになっているのは、童謡の「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ」からなのだが、作者は「なぜ菜の花ではなく、葉っぱなんだ」と言う。おお、確かに、そう言われてみればそうだ。僕はてっきり「菜の花」と書いて「なのは」と歌っていたとばかり思っていた。答えは、モデルになっているモンシロチョウの子供は菜の花の葉っぱを食べて成長するので、親は葉っぱに卵を産みつけているのだ。それも子供同士が混み合わないように、ひとつ葉っぱに産んでは、次の葉っぱを目指して飛んでいるのである。菜の花の蜜を吸うわけではなかったのだ。

 料理屋で「松竹梅」のコースがあるとき、松が一番高いと決まっている。なぜ、松がそんなに偉いのかという疑問では、松は草木が枯れる厳冬でも、青々と葉っぱをつけていると言うので、昔の人は不老不死をそこに見たと言う。ところが、お正月に玄関先に飾る「門松」は、松と言いながら、主役は竹で松はその周囲にお飾りとしてあるだけじゃないのかという疑問だ。

 その竹を主役にした門松の言われには、面白い言い伝えがあって、三方ヶ原の戦いで武田信玄が徳川家康を破った後、新年の挨拶で武田方から徳川方へ「松(家康の旧姓松平にかけて)枯れて、竹(武田)たぐひなきあしたかな」という句が送られた。これに対し、家康の家臣が機転を利かせ、「松枯れで、竹だ首なきあしたかな」(松平は枯れず、武田の首なきあしたかな)と読んだ。そして、頭を切り落とした竹を松で包囲して、門松として飾ったという。

 その他にも、桃太郎はどうして桃から生まれなければならなかったのかとか、赤飯が赤いのはなぜかとか、言われるまで気にせずに済ませていたことばかりで、読みながら「へえ〜、へえ〜」を連発するアベさんなのであった。

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根開き

2018-02-25 11:07:30 | 里山探検隊

 北朝鮮と韓国国境付近、監視小屋にはよく見ると兵隊の姿が。

 というのは嘘で、今年になって初めて犬たちを連れてさくら湖の公園に出かけてみた。たまには犬たちに伸び伸び散歩させたやりたいのと、春の気配を探してみることだ。

 公園内の雑木林はすっかり葉っぱを落とし、明るい光が地面に降り注いでいる。九州の方はフキノトウが出ているようだが、福島はどうかな。

 木々や草の周囲から雪が溶けてくるのも、春を知らせる風物詩だ。植物自体が凍らないように自分自身を温かくしているのと、雪に反射した太陽光が植物に集まるというのがその理由らしい。

 雪の溶けた地面には、松ぼっくりやドングリが転がっている。フキノトウやカタクリの花は、まだ2週間以上は先かな。

 犬たちは久しぶりに枯葉の上を歩き楽しそうだ。年が明けて、ドリをこうして連れてくることができるとは思っていなかったので、その回復ぶりには目をみはる。

 と、頭の上からヒューヒューと口笛のような音。この声はまさしく野鳥のウソに違いない。春先、桜の花の芽を食べにくるのだ。

 頭上を探すと、8羽ほどのウソの群れを発見。首のところが赤いのがオス、地味な色合いのがメス。

 桜の花の芽を啄んでいる。

 探検隊の絵は、根開きをテーマにしてみた。黄色い花は、名前がおめでたい福寿草の花。

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定額使い放題

2018-02-23 11:18:09 | 福島

 何気なくテレビをつけたら、国会でワーワーやっている最中だった。なんのことかと思えば、裁量労働制について、法案提出を見直すかどうかが問題になっているらしい。

 裁量労働制というのは、会社と社員の間で、これくらい働くのでこのくらいの給料という、言わば定額制のことで、その代わり時間にとらわれず、社員は好きな時間に好きなように働くことができる。つまり自らの裁量で仕事ができるわけで、なかなか進歩的なやり方のように見えるが、実態はどうやら正反対らしい。

 というのは、裁量があるのは会社側の方で、一旦裁量労働制で契約してしまうと、どんなに残業させられても残業代は一切出ない、社員は使い放題ということになってしまう。本来、会社側は仕事についての指図はできないはずなのだが、根本のところがわかってないのか、わざと誤解して解釈することで、会社側の都合のいい規則にしてしまっているようだ。

 こんないい加減な法律を、安倍さんは今回の国会の目玉としている。というのは、景気回復をアピールするために、企業側に賃上げ要求しているのだが、見返りに裁量労働制を取り入れたいと企業側から要求があるからだ。働く人にとっての法案と言いながら、企業側が要求してくるのが、すでに怪しい。

 政治家もお役所も、自分たちに関わる法案には、姑息な手を使っても反対しようと頑張るが、自分たちの身に及ばない法案に関しては、強引に押し切って通してしまおうとする。太平洋戦争でもそうだったが、お役所は都合の悪いデータは隠し、捏造したデータをいけしゃあしゃあと提出して合法化する。

 今回の裁量労働制も、どんなに抵抗してもきっと法案は通過するだろう。となると、国民にできることは何かというと、怪しげな裁量労働制を取り入れている企業には就職しないことや、あるいは不買運動を起こすことである。

 お偉いさんがどんな決まりを作ろうと、みんなで従わなければいいだけの話なのだが、文句タラタラながら、つい従順になってしまうのが日本人の国民性とも言えるかもしれない。

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ギターとウクレレ

2018-02-22 11:29:14 | 福島

 子供というのは、見かけたものをいじくりまわす習性があるので、我が家にインテリアとして飾っているウクレレを勝手にいじり、弦を切ってしまった。ウクレレの弦なんて高いものじゃないし、買い換えるのはすぐだが、飾ってあるだけなので、張り替える必要も感じず、何年もそのままになっていた。

 郡山でウクレレの弦を手に入れようとすれば、僕の知る限りは駅前の楽器店に行くのが手っ取り早い。ただし、駅前なので駐車場がなく、お金を払ってまで駐車していては、弦が高いものについてしまうのだ。そんなことも張り替えない理由のひとつだったが、ふと、そうだ、ネットで注文すればいいのだと気づいた。調べると数百円で送料無料だ。車を出してガソリンと駐車料金を払うことを考えれば、かなりお得だ。配送業者も大変だな。

 というわけで、ウクレレの弦と、ついでに長い間こちらも張りっぱなしになっていたフォークギターの弦を注文した。届いてすぐに両方の弦を張り替える。さすがに張りたての弦の音は素晴らしい。力を入れて弾いても、大した音が出なかった楽器が、見違えるような音色になる。こりゃ面白いと、久しぶりにウクレレとギターを弾いて楽しんだ。

 ギターとの出会いは、高校三年の夏休み、ギターを持っていた友達が、ちっとも弾けないから譲ってくれると言ってくれ、昼飯のうどん代で手を打った。それからは、毎日夜中の2時3時まで練習を続け、高校を卒業するまで、一切勉強しなかった。

 ウクレレとの出会いは、新宿で働いていた帰り道、歌舞伎町を歩いていて、ふと小さな楽器屋の店先にウクレレが並んでいるのが目に止まった。一番安いので、確か3000円ほどだったので、即購入した。それからは遊びに行くにもウクレレをカバンに入れ、テニス場でも、花見をしている桜の下でも練習した。

 どちらも数十年前の話である。

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ホロスケ

2018-02-21 11:50:38 | 里山探検隊

 里山探検隊の絵を描くのに、冬というのは意外に題材に困る。福島の冬といえば、当然のように雪景色になり、どうしても色調が似たり寄ったりになってしまうからだ。ほとんどの木々は同じように葉っぱを落としてしまうし、昆虫の姿も見かけない。九州なら1月から春の七草や菜の花を見かけることができるが、福島では雪の下で越冬するか、雪が溶けてもペチャンコになった草ばかりなのである。

 となると、冬鳥か。キジや白鳥はこの前描いたし、ヤマガラも登場させた。ツグミやコジュケイといったところは、地味な色合いで、ほとんど枯れ草と変わらない。というより、保護色なのだ。

 頭をひねるうち、最近夜になると「ホッホー、ホロスケ、ホー」と鳴くフクロウのことを思い出した。そうだ、フクロウがいたなとは思うものの、なんたって夜にしか姿を見せないので、果たして絵としてはどうなのか。

 そういえば、以前、満月を背景にシルエットだけを浮かび上がらせたフクロウを描いたことがあるので、あれをなんとかリメイクできないだろうか。

 里山探検隊の絵は、ある程度図鑑としての役割も持たせたいので、シルエットというわけには行かない。とりあえず、我ら探検隊に懐中電灯を持たせ、暗闇に浮かび上がるフクロウに変えてみた。

 フクロウが、本当に「ホロスケ、ホー」と鳴くのかというと、ホトトギスの「てっぺん、かけたか」とか、ツバメの「土食って虫食ってしぶ〜い」という鳴き声より、少しは近い。

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ヒョコタン歩く

2018-02-20 10:27:52 | 福島

 車で走っていると、すっかり雪が消えたと思っていても、人の歩かない歩道には、まだたっぷり雪が残っていたりする。

 雪が降ると、山間の日が差さないような場所ではいつまでも雪が残っているので、冬の間はどうしても日当たりのいい河川敷の土手を走ることが多くなる。が、それだと高低差のあまりない平坦なコースになってしまい、走っていても単調だ。やはり起伏の激しい場所を走ったほうが、体を鍛えている気になる。本当のところは、上り坂を途中で断念して歩いてしまうことも多いのだが。

 昨日は天気もいいし、雪もかなり溶けてきていたので、久しぶりにさくら湖の周辺を走ってこようと出かけてみた。走り出しから急激なアップダウンの連続に、すっかりなまっていた体は悲鳴をあげる。でも、これを期待してきたのだと、亀のような速度で坂道を登り続ける。

 三春ダムまで休憩なしで走り切り、とりあえずひと休み。距離にして7キロほどしかないから、休むには早いが、これからもアップダウンは続くので、ひとまず水分補給だ。さすがにダム湖の周囲は人通りはなく、山陰になる場所ではたっぷり歩道に雪が残っている。仕方がないので、注意しながら車道を走るが、ツルツルに凍っている場所もあって気が抜けない。

 湖にかかる春田大橋を渡ったところで1時間が経過したので、そろそろ帰路につくことにする。ぐるっと湖を周り、最後の急坂を休まずに登りきったところで、ピリッと左のふくらはぎに痛みが走った。筋肉の中が、ちょうど足をつった後と同じような痛みに襲われる。やばいなと思った瞬間には、次の一歩は地面に足がつけないほどだった。

 家までは距離にしてあと8キロある。アップダウンはまだまだ続き、普通に歩いても2時間はかかる。どうしよう、携帯電話は持ってきていないので、どこかで電話を借りてタミちゃんに救助をお願いするか。

 でも、体を鍛えると張り切って出かけてきたので、救援を要請するのはあまりに情けない。ここはどんなに時間がかかろうと、自力で帰ろう。走ることはできないものの、見栄えを気にしなければヒョコタンヒョコタン歩くことはできる。

 下り坂では足に負荷がかかるので、痛みとの勝負だ。上りはちっとも前に進まず、根気との勝負だ。薄着で出かけてきているので、歩いていてはどんどん体温が奪われる。速度を上げて歩くと、出てくるのは冷や汗ばかり。それでも2時間かからず家までたどり着いた。

 おかげで今日も、朝からヒョコタンヒョコタン歩いている。

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雪と自動運転車

2018-02-19 09:40:27 | 福島

 今日はお休みなので、いつもの散歩コースとは別の場所を歩く。ドリが突発性皮膚炎になり、今日はその経過を診せるために動物病院まで出かけなければならない。皮膚炎はともかくも、再び始まった下痢症状の方が心配なので、その薬をもらってこなければならない。

 ところで、今年の冬の豪雪で、北陸では戦後三番目の積雪量だったという。ただ、被害に関しては今回が最大になるとの話だ。というのは、その原因が車社会になったことで、物流が滞りなく動いていることが前提になっている現在、たちまち生活が麻痺してしまうというのだ。

 昔なら、大雪に備えて保存食を蓄え、冬はなるべく外出しないで済むようにしていたところが、最近は在庫をなくし、毎日でもスーパーに買い物に出かけていくような暮らしになった。移動は車だが、ガソリンが品切れになってしまうことなど前提にない。結果、食料や燃料の支援を頼まなければ、死者さえも出てしまいかねない状況になる。

 効率と便利を追求する世の中というのは、皮肉なことにより大きな災害を生んでいる。すべてのエネルギーを電力に頼ろうとし、原発事故を起こした結果、住民がどういう目に遭わなければならなかったか。

 政府は2020年の東京オリンピックまでに、自動運転の技術を確立させたいようなことを言っているが、自動運転技術が完璧なものであろうと、人間が動かす車と自動運転車が混在する道路が危険極まりないのは、考えなくてもわかることだ。できるなら、自動運転の車が道路を走り出す時には、一斉にすべての車を自動運転にするほうがより安全だろう。

 が、今回のような大雪が降った場合、一体自動運転の車に乗っていたらどうなるのかを考えると、かなり心配だ。今の東京でさえ、少しの雪で交通が麻痺しているのに、自動運転の車があちこちで立ち往生するのは目に見えている。

 自動車メーカーは、そうした大雪や台風といった自然災害の状況下でも安全と言えるテストを行なっているのだろうか。過酷な状況な時こそ、自動運転の実力を発揮してもらわないと、普段運転せずに乗っていた自動運転車が、災害に遭遇した時に、突然人間に運転を代わるようなことがあったとしたら、人間はなすすべがなくなるだろう。

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二月の雪

2018-02-18 10:04:42 | 福島

 年が明け、少しずつ少しずつ日が長くなっている。今年は、雪は大したことはないものの、気温は滅法低く、連日カリカリに凍りついている。外に干したバスタオルを、乾かないからと家の中に入れようとすると、二つに折れ曲がった形で凍りついている。

 それでも、二月も半ばを迎え、日中の気温は雪を溶かすほどにはなってきた。雪かきをして積み上げられた場所は春まで溶けないだろうが、道路の雪は積もってもすぐに溶けるようになった。今朝もうっすらと2、3センチの積雪があったが、今日中には溶けてなくなるだろう。

 犬たちを連れての散歩も、春が近づいて来ていると思うと、今まで短めに済ませていたのが、少しだけ遠出をしたい気分になる。犬たちも、今日は歩く気満々だ。

 あらよっと、気合いを入れるために放水作業を始めるドリ。

 トトはいつのまにか鼻の頭に雪をくっつけている。

 30分も歩けば、すっかり太陽が昇り、あたりは白く輝き出す。

 枯れ草は、小さな雪の帽子を被り、白い花を咲かせているようだ。春まで、あと何回雪は積もるだろう。

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