おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

一番楽しいのは

2021-12-31 12:02:41 | 日記

 朝、NHKのテレビ番組を予約録画して散歩に出た。散歩から帰って、ゆっくり朝飯でも食いながら見ようと思ったのだ。番組はNHKが長期にわたって密着取材したメジャーリーグの大谷くんの特集だった。

 大谷くんの活躍は、今更説明もないほど日本どころか世界中の人が認めるところである。番組では身近にいるいろんな人にもインタビューしていた。「彼はなんでもできる怪物だ」、「昨日できなかったことが今日はできるようになっている」と、その才能について信じられないという話ばかりだったが、NHKは少年野球で教えている大谷くんの父親にもインタビューしていた。「どう育てたら、ああいう選手が生まれたのか」と、おそらく子育てをするすべての親が知りたいようなことを質問していた。

 それに対して父親は、ほかの野球少年と同じだった。とりたてて才能もなかったと答えている。ただ、野球がうまくなるために息子にアドバイスしたのは、「全力で取り組め」というそのことだけだった。それ以来、大谷くんは毎日の反省をノートに記録する。試合で凡打した時に全力でベースまで走らなかったとか、もうちょっと全力を出せたのではないか、というようなことを書き残りして行くのである。

 そしてそれは、大リーグに挑戦している今でも実施していることが、彼のインタビューからわかる。なぜできないかを考え、そのための努力をすることが楽しいと言う。他人にできることなら、きっと自分にでもできるに違いないと考えて、努力を怠らない。チームメイトの大リーグ選手が、インタビューでこう答えていた。「彼は今でもうまくなっている」と。

 テレビを見ているうちに、大谷くんがやっていることは、その時その時に全力を出しているだけなんだな、と思うと、まさに目からウロコである。大谷くんの目標は、今でもうまくなりたいことだと彼自身が口にしている。野球がうまくなることが、人生で一番楽しいことなんだと思っている。有名になったり、他人に影響を与えたり、大金を稼いだり、といったようなことは、一番楽しいことではないのである。

 さて、最近の風潮と言えば、「どうすれば楽ができるか」ということに重きが置かれ、なるべく面倒を避けようとする。他人が四苦八苦している時、出し抜いてでも自分が楽ができたとしたら、それはいいことだという考えが蔓延している。

 なるべく楽をして結果を出すこと。なるべく簡単にゴールにたどり着くこと。こういうふうに大人が考えれば、その子供たちは必ず影響を受け、他人に迷惑をかけない程度ならサボったほうが得だと思い、手を抜いても良い結果を出ればそれが最善だ、というふうに考えるようになっても不思議ではない。

 こうして育った子は、「些細なことでも全力でことに当たりなさい」と教えられた大谷くんとは、正反対の道を歩くことになるのだろうか。

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餅をつく

2021-12-30 11:43:36 | 福島

 昨日は朝から庭木の剪定を始め、昼過ぎまでかかってフリーシア、山桜、エゴノキ、フラミンゴの枝を落とす。大変なのは、燃えるゴミの袋に詰めて行くために切った枝を細かくノコギリで切らなければならないことだ。剪定自体は2時間で終わったが、ゴミ袋に詰めるのに同じくらい時間がかかる。おまけに握力はなくなり、すべて終わった時にはヘロヘロになっていた。

 風もなく青空が広がっているので、汗をかきついでにテオと散歩に出てくることにした。

 まずは近くのお宮の前で手を合わせる。「今年も無事に終わりそうです。来年もよろしくお願いします」と感謝の言葉をブツブツつぶやく。

 それにしても久しぶりにポカポカと暖かく、数日続いた寒波が嘘のようだ。

 今日は前々から計画していた餅つきをする日で、タミちゃんが実家から使われていない餅つき機を持って来たので、それに用意していたもち米を入れ、スイッチを押す。

 30分ほどでもち米が蒸しあがると、そこから臼が回転を始め、コネコネと餅つきを始める。こんなんで餅つきになるのかと思っている間もなく、10分で餅つき終了。

 そこからは時間との勝負で、表面が固くなる前に、丸もちとアンコ餅を2人でせっせと丸める。

 餅は東日本は切り餅、西日本は丸餅が相場だ。タミちゃんは「切り餅しか作ったことがないからぜひ丸餅を作ってみたい」と言うので、うろ覚えの丸め方をレクチャーしながら丸める。とにかく熱々うちに丸めるのがコツなのだ。今回は一升分のもち米しか用意しなかったが、2人ならこれで十分なのである。

 丸めた餅は、お互いがくっつかなくなるのを待って冷凍保存すれば、いつまでも柔らかいままの餅を食べることができる。

 つきたての餅の一部は小さくちぎり、あらかじめ用意していた大根おろし入れ、ポン酢をかけて海苔を巻いて食べればいくらでも食べられる。アンコ餅も一つを半分に切り、味見してみた。

 こんなに簡単に餅つきができるなら、来年もまたやらなきゃねと話す初めての餅つき大会なのであった。

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年の暮れを吟じる

2021-12-29 12:26:06 | 12音詩

 昨日、キッチンの掃除をした後は、テオを連れて長い散歩に出た。青空が広がりところどころ雪が残っているので、寒さなんてなんのその、歩いているのが実に気持ちがいいのだ。

 テオは歩きながら道の上に積もった雪をパクパク食べながら歩いている。そのせいで、テオの歩いた後には、足の間に鼻の先でつけた不思議な線が引かれている。

 テオは洋犬の血が混じっているのか、毛が長いわりには薄いので、寒さにはめっぽう弱そうなのだが、雪だとテンションが上がって散歩に行きたがるのを見ていると、まだまだ子供なんだなと思う。

 安達太良山のてっぺんは吹雪いているようで、霞んで見えない。そう言えば福島に来た当初、12月になって安達太良山に登ってみた。麓は雪がなかったものの、頂上が近づくに連れ雪深くなり、頂上は真横からの猛吹雪で、髪の毛どころかまつ毛までが凍りついた。一寸先も見えない状態だったので、自分の足跡を頼りに同じ道を引き返したが、頂上の気温はマイナス20度以下になると後で知った。時々死人も出るそうで、今考えればかなり無謀な登山だったかもしれない。

 天気がいいので日の当たる道路は早くも雪が溶けていた。雪のあるうちに歩いた踏み跡が凍り、雪が溶けた後に足跡だけが残るという不思議な光景を作り出していた。

 冬鳥はいないかと探しながら歩いたが、結局近くで見ることができたのはジョウビタキのオスだけだった。顔の黒さを見ると若いジョウビタキなのだろう。顔色は成鳥になるほど真っ黒になる。

 さて、今日は昨日以上に好天になったので、朝から庭木の剪定に励んでいる。午前中でなんとか表の庭をやったので、午後は裏の庭木を切る予定だ。

 今年もいよいよ大詰め。今年の初めから始めた12音のオリジナル俳句も、今年あと何句できるだろう。ちなみに、数えてみると、今年一年で約300首ひねくり出していた。

 遥か金色の冬の陽
 冬 静かに沈んで行く
 カラス群れ飛ぶ闇の中
 何事もなく年の暮れ

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大掃除は少しずつ

2021-12-28 12:49:16 | 福島

 昨日から冬休みに入り、予定では大掃除のスタートダッシュを決め、今年の大晦日はピカピカになった家で過ごそうと思っていた。ところが、昨日からものすごい寒波がやって来て、辺りはうっすらと白くなっているし、風は強いし、外に出た瞬間に体が凍りそうな真冬日で、庭木の剪定は雪が溶けてからやることにした。

 真冬日というのは、1日の最高気温が氷点下というとんでもない日で、北海道や東北北陸地方の人か、高地に住む人でなければ経験しそうにないことが、ごく日常に起こってしまうのである。九州からやって来た人間にとっては、寒さに慣れるだけでも大変なことなのだ。

 外回りの大掃除ができないので、昨日は歯医者の後、昼過ぎまで絵を描き、それから風呂掃除を敢行した。時々壁や隅っこのカビは掃除しているが、年末の大掃除ではタイルの目地の白いところのカビも全部綺麗にする。2度塗り直した浴室内の壁も、あちこち禿げそうな気配を見せているが、これは来年以降に繰り越すことにした。

 今朝は昨日以上に寒く、朝はまず家の前の雪かきからスタートだ。予定にないことをやるので、これだけですでに時間がずれてしまうのだ。その後、重い腰を上げてキッチンの大掃除を始める。コタツの中にいては暖房費がかさむばかりで生産性はまったくない。掃除をして体を動かしていれば温まるし、暖房の必要もないし、その上綺麗になって精神衛生上にも良い。というわけで、シンクを磨いたり換気扇の油を落としたり、床を拭いたりと2時間ほど熱心にやる。どっちみち1日で全部やるなんてことは無理なので、少しずつ1年かけて大掃除をするつもりでいる。そういうのは大掃除とは言わないだろうが。

 やればやるほど汚いところが気になってくるので、ちっともキリがないが、今日はこの辺で切り上げ、休憩した後はテオを連れて雪景色の写真でも撮りに行こうと思っている。

 おそらくこんなテンポでは大晦日までに大掃除は終わらないだろう。が、これは毎年のことだ。

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描き納めの続き

2021-12-27 12:26:33 | イラスト

 ずっと描いていたイラストだったが、雑用が入ったり歯医者の予約が入っていたので出かけたりでなかなか続きを描くことができなかった。

 歯医者から帰り、口の中がなんとなく気持ち悪いなあと思いながら、せっせと続きを描き続け、とりあえず完成まで漕ぎ着けた。

 今日から冬休みに入ったとは言え、大掃除や庭木の剪定や、餅つきも予定しているので、ゆっくり絵を描けるのはこれが最後だろう。

 さて、題名はどうしよう。窓の猫とでもしておこうか。季節はバラが咲く前の春の終わり頃にしたので、本来灰水色の壁の色を黄色に変えた。寒々しているより、暖かそうな方が気持ちがほっこりするだろう、と思う。

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描き納め

2021-12-26 11:51:07 | イラスト

 カフェのブログではお知らせしていますが、「アトリエ・カフェ 青い犬」の営業は本日までとなります。12月27日(月)〜2022年1月5日(水)は冬休みといたします。営業再開は新年1月6日(木)からとなります。

 さて、今年もいよいよ終わりが近づき、最後にイラストの描き納めをしておこうと思いたった。今年はプリンターが壊れていたので、描いてもプリントアウトできないということに加え、コロナの蔓延で作品を紹介する機会が少なかったため、あまり絵を描いてこなかった。最近ようやくプリンターを新調し、年賀状にイラストを描いたりしたので、もう少し本格的な絵を一枚描いて今年を終わりにしようと考えたのである。

 描く題材は、テオに比べてまだ絵に登場させている回数の少ないアンにした。毎日散歩の時に窓辺で待っているところだ。昨日から描き続け、ようやく半分ほど描いたが、この時点で制作過程を紹介することにする。ペイントソフトを使いパソコン内で描くのは、アニメーションのセル画とほぼ同じで、透明なシートに絵を描き、それを重ねて行くことができると考えるとわかりやすいだろう。

 まずは窓辺のアンを描く。これから重ねて行くので、なるべく後ろにあるものから描いて行くと全体の進行具合がつかみやすくなる。

 我が家の壁には、バラを這わせるために手作りの青い柵が取り付けてある。

 レンガの花壇や鉢植えを置いている水色のベンチを描き加える。

 柵にバラのツルを這わせ、手前には植木鉢を描く。

 ツルの上に色の濃さを変えた葉っぱを描き足して行く。

 というわけで、とりあえずはここまで。これからどう仕上がって行くのか、描いている本人も楽しみにしている。

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テオ、3歳

2021-12-25 11:14:04 | 福島

 早いもので、今日はテオくんの3歳の誕生日、我が家にやって来て2年10カ月が経った。誕生祝いにネットで迷子札を頼んでおいたら、誕生日に間に合い、首輪に装着した。名前と電話番号だけだが、これだけでも脱走していなくなった時のことを考えると安心だ。先日老犬の迷い犬を保護した時に、愛護センターに連絡して連れて行ったが、首輪に連絡先が書いてあれば愛護センターを通さなくても連絡ができたことを考えると、迷子札の重要性というのに気づいたからだ。

 届いた迷子札は、革製で首輪にホックで止めるようになっていて、思ったよりもずいぶん軽かったので、テオも迷子札をつけられたことに気づかないようだ。可愛いので、散歩の途中で知り合いに会うたびに、テオの迷子札を見せびらかしているのである。

 テオはそもそもお隣の須賀川市で保護された。野良犬が産んだ3匹のうちの1匹で、ホームページに載っていた写真を見た瞬間、すぐに引き取ることを決めた。ほかの2匹は茶色い柴犬っぽい感じだったのだが、テオだけはタヌキか子グマのようにしか見えなかった。愛護センターでは、3匹はポン・ポコ・リンと名付けられ、テオは次男のポコということになっていたが、引き取った後はフランス映画の「プロバンスの思い出」に出ていた子役の役名を取って「テオ」と名付けた。

 母親のほうは、愛護センターの職員に捕まる前に逃げ出し、保護されたのは仔犬ばかりだった。そのせいかテオは人間に対して恐怖心を抱いているようで、来た当初からずっと警戒心を持っている。3歳になった今でも、飼い主に対してもシッポを振って走り寄るということがなく、頭を撫でてやろうと思っても、手を出した瞬間に後ずさってしまう。

 そんなテオだが、ようやく最近になって、知っている人からオヤツをもらう時は、直接手から食べられるようになってきた。その時を狙って、みんなテオの頭に触ろうとするのだが、気配を察するとサッと逃げて行くので、誰もがなんとかテオを手なずけたいと躍起になってしまうのである。もしかしたら、自分に注目させるためのテオの手なのかもしれないが。

 人間に対しては臆病なテオだが、ほかの犬や猫に対しては実にフレンドリーだ。山の中で拾われて我が家にやってきたアンと毎日じゃれ合っている。その姿はまるで子犬で、3歳とは思えない甘えっぷりなのである。

 

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クリスマスの贈り物

2021-12-24 10:24:14 | 日記

 クリスマスプレゼントを贈る風習というのは、アメリカから日本に入って来たという。が、日本のように親が子供に一方的に贈るのではなく、家族間で交換し合うのがアメリカ式のクリスマスプレゼントだ。そう言えば、「遥かなる我がラスカル」を読むと、スターリング少年は父親へのプレゼントのためにせっせとアルバイトをして貯金をする。クリスマスの日はツリーの下にそれぞれが持ち寄ったプレゼントを置き、その場でみんなでプレゼントを開けている光景が描かれていた。

 どうして日本では一方的なプレゼントになっただろう。これは日本だけの風習なのだろうか。もしかしたら受験勉強に忙しい日本や韓国や中国といった学歴が物を言う社会では、子供が働いて親に何かすると言う時間を、親の方がもったいないと思うのかもしれない。そう思うと、アメリカの子供たちの方が、子供の時からずいぶんと大人だなあと思ってしまうのである。

 そう言う僕も、小さかった時には、親にクリスマスプレゼントをするなんて発想はなかった。ただひたすら、どこからともなくプレゼントが僕の元にやってくることだけを期待していたのである。

 まだ小さかった頃、クリスマスの朝というのは、起きてみると枕元にクリスマスプレゼントが置いてあるのが楽しみで仕方なかった。保育園に通っていた頃、同い年の子供がサンタさんからお手紙をもらったと保育園に持って来て、保母さんがみんなの前で読み上げたりしていた。それを聞きながら、「サンタさんなんかいないのに」と斜に構えて聞いていながら、反面うらやましかったりした。年上の子供たちから「サンタクロースは親だ」というのを教えてもらいながら、心のどこかで願い通りのプレゼントが枕元に配達されるを期待していたのだった。

 そういうわけで、小学校に上がる前はクリスマスイブには靴下を枕元に置いて寝た。翌日起きるとビー玉が入っていた。なんだかショボいなと思いながらも、冬休みの間はせっせとビー玉で遊んだ。翌年は靴下が膨れ上がっていたので興奮したが、中に入っていたのはメンコの束だった。これまたショボいなと思いながらも冬の間せっせと遊んだ。

 やっぱり親がサンタらしいとプレゼントのショボさからわかって来ていたが、もしかしたら靴下が小さすぎるのだろうと、寝る前に靴下の代わりに「トランシーバーをください」と書いた手紙を置いていた。朝起きるとヤッコ凧が置いてあった。考えてみれば当日の夜にお願いしても間に合わないのである。仕方がないので、お正月はヤッコ凧を揚げて遊んだ。

 少し知恵がついて来たので、クリスマスのずいぶん前から、親父が飲んでいる時にそれとなく「ラジコンカーが欲しいなあ」と事あるごとにつぶやいていた。心待ちにしていた朝、目を覚ますと枕元には分厚い本が一冊置いてあった。さすがに愕然として、見たことがない本だったにもかかわらず、「この本知っている。読んだことがある。交換して」と訴えてみた。それを聞いてお袋は、しぶしぶ真新しい本を抱えるとどこかへ出かけて行った。そして別の本と交換して戻って来た。

 さすがに両親も、クリスマスプレゼントを枕元に置く年齢ではなくなったと考えたのだろう。翌年からクリスマスプレゼントはなくなった。後悔しても後の祭りだ。どんなプレゼントでもありがたくもらっておけば、楽しいクリスマスの朝がもう少し続いていたかもしれないのに。

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クリスマスソング

2021-12-23 11:23:40 | 日記

 12月に入って、カフェではクリスマス気分を盛り上げるため、店内でクリスマスソングをアンティークなステレオで流している。どれくらいアンティークかというと、製造販売1960年代というビクターのステレオだ。このステレオはオーディオマニアの人が集めていたうちのひとつなのだが、その人が亡くなり、奥さんが家中にある粗大ゴミをどこかにやって欲しいというので、友人のひとりが「カフェで使わない?」と持って来てくれたのだ。

 クリスマスソングと言っても、最近のものはわからない。賛美歌を流す趣味もないし、山下達郎の「クリスマス・イブ」なんてのを流したら、安っぽいテレビドラマみたいで盛り上がるものも盛り上がらなくなりそうだ。

 と言っても、我が家にあるクリスマスソング集のレコード(CD)は一枚しかなく、だいぶ前に流行った洋楽の定番である。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ハッピークリスマス」だとかマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」だとか、ワムの「ラスト・クリスマス」だとか、そんなのがいろいろ収録されている。

 若い頃は一番好きなクリスマスソングはジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ハッピークリスマス」で、毎年クリスマスの日に聴くのが恒例になっていた。ジョン・レノンの命日が12月8日というのも関係しているかもしれない。

 とは言うものの、いくら好きな歌でも毎日カフェで流していると、さすがに飽きた。聴いても感動はない。慣れとは恐ろしいものだ。

 クリスマスソングの思い出と言えば、子供の頃、父親がクリスマスケーキを買って来て、家族で食べる前にキリスト教徒でもないのに「きよしこの夜」を真似事で歌ったことだが、その頃は「聖し」の意味がわからず、「きよしこ」の夜だと思って歌っていた。すると親父が声を張り上げて、「もろびとこぞりて」を歌い始めるのが恒例だったのだが、「もろびと」の意味も「こぞりて」の意味もまったくわからず、ロシア語か何かの外国語の歌だと思っていた。極めつけがサビの部分の「主は来ませり」だ。

「シュウワッキーマーセエリー、シュウワッキーマーセーリー、シュワー、シュワー、キッマセーリー」って、どう聴いても日本語ではなく、しばらくは口真似で聴いたまんまを歌っていた。おそらく今でも僕は、「主は来ませり」とは歌わず、「シュウワッキーマーセエリー」と歌っていると思う。

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災難を逃るる妙法

2021-12-22 11:16:10 | 日記

 昨日の午後、スマホが鳴ったので誰からか見てみると、そこには電話番号のみが表示されていたが、見覚えのある番号だったのですぐにピンと来た。それはこの前老犬を保護した時に、問い合わせをした近所の愛護センターの電話番号だったからだ。

 電話に出ると、「この前保護された犬の飼い主が引き取りに来ました」という連絡だった。今週の月曜日に引き取りに来るという情報を、愛護センターに手伝いに行っている知人から聞いていたので、センターのホームページの迷い犬の情報を確認したら、午前中には掲載されていた迷い犬情報が、午後にはなくなっていて、「現在保護された迷い犬はいません」の表示に変わっていた。

 その時は、「やっぱり連絡はなかったか、でも三春町のラインを使って情報を流し、早々に飼い主が見つかったのでそれで良しとするか」と連絡がないことは気にしてはいなかった。その後おそらく書類の整理でもしたのだろう、思い出したように昨日の午後に連絡が入ったので、「ご苦労様でした。おかげでホッとしました」と返答した。連絡は遅かったが、それでも律儀に連絡をしてくれたことは大いに感謝したい。

 さて、連絡と言えば、この時期になると届くのが訃報のハガキである。年賀状を出す前に一斉に今年亡くなった人の情報が飛び込んで来る。年賀状の付き合いしかない人が多いので、あの人もこの人もということになって、ビックリしてしまうのである。特に今はコロナウイルスの蔓延で、葬式さえ家族だけでということになり、当人が死んだことをなかなか知る機会がなくなっているのである。

 このまま年賀状という習慣が失われたら、よほど身近な人でなければ、生きているのか死んでいるのかわからないということになってしまいそうだ。

 訃報の連絡が入るたびに、近頃はまたひとり逝ってしまったな、残念だなと思う。が、これも順番だからと思い、そのうち僕の番だなというのが少しずつ実感として感じられるようになって来た。人はこうして死に対する準備を始めるのかなとも思う。想定外のことが起こって驚くというのは、考えようによっては勝手に自分で想定してしまっているから想定外のことが起こるのだ。

 良寛さんの本を読んでいると、良寛さんが70歳の頃に新潟で大地震が発生した。死者1413名、全壊家屋7076戸という大惨事だった。幸いにして良寛さんの周囲では被害はなかったものの、友人が被害に遭い、良寛さんは見舞いの手紙を書いている。とても被害を受けた人に出すような手紙ではないということから、かえって有名な手紙になっているが、良寛さんという人の思想や生き方が凝縮されているような文章である。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候」

 意味するところは、災難かどうかは人間が決めていることであり、最初から災難のことなど念頭になければ、災難に遭ったと動揺し悲嘆することはない、というようなことなのだろう。

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