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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

モモンガとリス

2017-04-30 12:44:58 | 福島

 散歩をしていたら、雑木林からカサコソと音がした。何かいると思い、雑木林の中を覗き込むと、木をよじ登る小さな影が確認できた。「リス」と瞬間的に判断したが、その時にはもう姿を消していた。

 それでも、以前に遭遇した経験から、リスは木の裏に回り込むとその場で息を殺してジッとしていると思い、足音を忍ばせ、リスが消えた木陰に目を凝らす。と、やっぱり幹にしがみついたまま葉っぱの陰に隠れているではないか。そこでカメラを向けパチパチとシャッターを押す。が、この季節では若葉が邪魔をしてなかなかピントが合わない。

 撮った写真をその場で拡大して確認すると、リスと思ったものの耳の形が違うような気がする。おまけに鼻の付け根が低くリスらしくない。リスでないとしたら、以前この場所で遭遇したモモンガに違いない。そうだ、きっとモモンガだ。モモンガだモモンガだ。やった、モモンガの撮影に成功したぞ。

 意気揚々と家路につき、改めて写真を確認するが、モモンガと決めつけるのも確証に欠ける。

 そうこうしていたら、NHKの「さわやか自然八景」で、十勝の春の風景でモモンガとリスが登場していた。これは見比べるのにちょうどいいなと注目して見て観ると、モモンガは撮った写真とは明らかに耳の形が違いすぎる。おまけに夜行性で、夜になると巣穴から出てくるなんて紹介されている。

 ということは、写真の正体はリスだったのか。そう思って眺めていると、耳の形も毛の長さでどうとでもなりそうだし、鼻の付け根が低いと思ったのも、木漏れ日が顔に当たり、なんとなく鼻が低くなっているようにも見える。

 そうか、リスか。最初からリスと思って写真を撮っていたらテンションも高かったが、モモンガだと喜び、その後でリスだと判明すると、同じリスの写真を撮っても、現金なものでガッカリ感のほうが強いのである。

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キビタン、三度目の遭遇

2017-04-29 11:17:02 | 福島

 近頃、地方自治体ではすぐにゆるキャラを作りたがる。中にはくまモンのように大成功を収めているゆるキャラもいるが、なかなか全国区どころか、地元でも愛される存在として認識されるのは難しいようだ。

 大分県では県鳥のメジロをモチーフにメジロンというのがいたが、福島県では同じく県鳥をモチーフにして、キビタンというのがいる。名前が示す通りキビタキという野鳥がモデルだが、なかなかお目にかかれないので、キビタンは知っているけどキビタキを見たことがないという福島県民は多いに違いない。

 この辺でも、散歩をしていると野鳥に詳しいというオッサンが、「ここじゃあキビタキはいないね」と教えてくれたとタミちゃんが言っていたが、実際には今まで二度、散歩の時に遭遇した。

 今朝は、里山を登りきったところで、斜面に植えられた木の枝に何やら小さな野鳥がいるのに気づいた。その特徴的なカラーリングから「あっ、キビタキだ」と分かり、すぐにカメラを向ける。幸い斜面に生えた木のため、キビタキの止まった枝がちょうど目線になり、正面から見ることができた。もうこれだけで、アベさんは朝からハッピーなのだ。

 ソメイヨシノは終わったが、個体差にばらつきのある山桜は、今花をつけているものもある。

 最近の人はソメイヨシノしか知らない人もいるので、葉っぱが出ていると「もう葉桜か」と思うかもしれないが、山桜は葉っぱと花を同時に愛でるのである。この渋い色合いはソメイヨシノには出せない上品さだ。

 お地蔵さんの足下にはスミレの花が咲いている。スミレと聞くとその語感から可憐な感じがするが、その形が墨入れに似ていることから来ている。

 家に帰ると、我が家の庭では今はチューリップが花盛りだ。

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大きな時計

2017-04-28 11:37:24 | 福島

 カフェをオープンした時から、平屋の壁に時計を飾ったら、昔の小学校みたいな雰囲気になるんだけどなと考えていたが、屋外用の大きな時計じゃ値段も高そうだし、どうしても必要というほどじゃなかったのでそのままになっていた。

 会社の移転に伴い、不必要になったからとタミちゃんが大きな丸い時計を持って帰ったので、今日は散歩の後に早速壁に取り付けてみた。屋外用ではないので雨風には弱いが、タダでもらってきた時計なので壊れたところで惜しくはない。それでもとりあえずは雨風を避けらるようにと、なるべく屋根の庇に近い場所に設置した。もう少し屋根との距離をあけたほうが見た目のバランスはいいが、そこは少しばかり犠牲にすることにした。

 電波時計なので針を合わせる必要がない。が、電池式なので切れたら、テーブルの上に脚立を立てて取り替えるという曲芸なようなことをしないといけない。

 大きな丸い時計のある民家なんて、なかなかお目にかかれないだろう。おお、なんてオシャレだ。

 ソメイヨシノはすっかり散り、若葉が目立つようになってきた。これからは八重桜や山吹が満開になる。明日からはゴールデンウイーク、春から夏へと里山の風景も衣替えをする。

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読書百遍

2017-04-27 13:25:14 | 福島

 何度も繰り返して読む本がある。中には一度読めばもうたくさん、という本もあるが、一度読んだくらいでは粗筋を追っているだけで、じっくりと一文一文を味読したという気にはなれない。

 「同じ本を二度読むなんてことはしない」と豪語する人もいるが、おそらく何度繰り返して読んでも、読むたびに発見があるような本のことを古典というのだろう。「読書百遍意自ずから通ず」という言葉以上に、正しい読書の仕方を説いているものはない。

 若い頃から何度も手に取り、読み返す本は何冊かある。ついにはボロボロになり、同じ本なのに三冊目というものもある。それでも毎回全然新しいことに気づかされるので、とりあえず100回くらいは読んでからでなければ、読後とは言えないのかもしれない。

 アランの「幸福論」もそんな中の一冊だ。時々手にとっては適当なページを読むが、そんないい加減な読み方でも、必ず感心する文章に行き当たる。翻訳の文章を名文と呼ぶのが適当なのかどうかは知らないが、ああ、こんな風に書けたらいいなあと思う。

 「登山家は、自分自身の力を発揮して、それを自分に証明する、かれは自分の力を感ずると同時に考慮する。この高級な喜びが雪景色をいっそう美しいものにする。だが、名高い山頂まで電車で運ばれた人は、この登山家と同じ太陽を見ることができない。それだから、楽しみに対する予想というものはわたしたちを裏切るというのは、ほんとうである」

 今もトイレで便座に座って本を開いたら、こんな文章に出会った。

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区切るところ

2017-04-26 09:38:06 | 日記

 今の季節、散歩していて一番目につく花は山吹の鮮やかな黄色だ。山吹と言えばすぐに思い出すのは、「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌だ。室町時代、道灌という武士が雨に遭い、雨具を借りようとそこにあった荒屋に寄ると、少女がお盆に山吹の枝を乗せて出てきた。道灌がその意味を図りかねていると、家来が昔の歌でこんなものがございますと、前出の歌を口にした。そこでようやく家が貧乏でお貸しする蓑(みの)ひとつございませんという意味だったかと合点する。

 山吹と言えば、子供の頃水彩絵の具のチューブに「ヤマブキいろ」と書いてあったので、長い間、「やまぶ黄色」だと思っていた。普通の黄色より少し濃い色が、語感からなんとなく「やまぶ」っぽいなあと感じていた。

 今でこそ笑い話だが、これと同じような勘違いが多いのは、日本語の持つ音感にも原因がある。例えば、「プエルトリコ」という国名を発音する時に、日本人なら「プエル・トリコ」と発音しがちだ。実際には「プエルト・リコ」が正しいが、案外そうはっきり感じて発声している人は少ないだろう。「ロス・アンジェルス」や「サン・フランシスコ」も、「ロサン・ジェルス」「サンフラン・シスコ」と発声しがちだ。風車に突進した騎士「ドンキホーテ」も「ドンキ・ホーテ」ではなく、「ドン・キホーテ」が正しくキホーテ氏という名前だ。ダンテの「失楽園」も、意味からすれば「失楽・園」ではなく「失・楽園」だ。

 つまりは、「ヤマブ・キイロ」と勘違いしていた子供の頃の僕は、音感的には間違っていなかったのかもしれない。

 

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記憶

2017-04-25 11:45:34 | 福島

 もうすぐ16歳を迎えるトトを見ていると、ずいぶん歳をとったなあと感じるとともに、子犬の頃に戻ったかのような印象を受ける時がある。

 血気盛んな頃は、寝ていても少しの物音で目を開け、僕が立ち上がったりすると、間髪入れずにさっと起き上がったものだが、近頃はぐっすり熟睡し、近くで物音を立てても眠り続けている。その姿は、無邪気な赤ん坊そのものだ。起きている時にしたって、やたらと僕の後をついてきたがる。若い頃のトトはいつもクールで、自分の行きたいところに行こうとしていただけに、なんだか心細いのかなとも思う。人間の場合も、歳をとると子供に返ると言われているが、犬も同様なのだろう。

 ただ、無邪気に子供に戻るだけならいいのだが、ことはそう簡単ではないようだ。

 最近問題になっているアルツハイマー病では、昔のことはよく覚えているが、最近のことは忘れてしまうという症状がある。NHKの科学番組で記憶について取り上げていたが、記憶できないというのは、生活が不便とかコミュニケーションがうまく取れないといったようなレベルではなく、自分自身を確立できないという大問題なのである。

 番組で紹介した話はこうだ。てんかんの患者の脳から海馬を摘出する手術をすると、てんかんの発作はなくなったが、同時に記憶ができなくなってしまったという。27歳で手術を受けた男は、27歳までの記憶はしっかりしているが、それ以降は記憶することができなくなってしまった。毎朝起きると、前日の記憶は抜け落ちている。彼はそのことを毎朝起きると何やら夢を見ている感じと言うが、朝起きるたびに彼は27歳に戻ってしまうのだ。そのうち鏡には年老いた自分が映るが、27歳までの記憶しか持つことができない彼は、鏡の中の自分が自分だと分からなくなってくる。そして、ついには人格が崩壊してしまうのだ。

 記憶というのは、覚えたり思い出したりということだけの機能だけではなく、自分が一体何者なのかというパーソナリティーに深く結びついている。逆に言えば、記憶できなければ、人間は自己を確立することはできないということになる。自分がどんなことに興味があり、どんなことが得意で、どんな理想を持っているか、過去の記憶がなければ、僕らは自分を白紙の存在としてしか感じられなくなってしまうだろう。

 時々子犬っぽく振る舞うトトを眺めながら、「脳みそだけはしっかりしといてくれよ」と祈るような気持ちになってしまう今日この頃のアベさんであった。

 

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充電切れ

2017-04-24 13:03:25 | 福島

 このところ気温が上がったので、ランニングするには気持ちのいい日が続いている。寒すぎても辛いし、暑すぎてもすぐにバテる。

 昨日は軽く10キロを走ったので、休日の今日はもう少し頑張ろうと、別のコースを走ることにする。こっちは走り出してすぐに登りになり、延々5キロ以上は上り坂が続く。終盤の上り坂はヘロヘロになって歩くしかないが、走り始めなら足腰と心肺を鍛えるのにもってこいだ。

 坂のてっぺんまで意外に楽勝で走れたので、今日は20キロを越えて走れるかなと自分自身に期待する。が、ランニングで大切なのは、「今日は調子いいかも」と思った時には、すでに頑張りすぎている時で、そういう時に限って後が続かない。案の定、調子いいかもと思っていたのは最初の1時間で、10キロを越えたあたりでエネルギーが切れてきた。家を出るのが遅かったせいで、時計はすでに正午に近づいている。

 一旦立ち止まり、リュックからゼリー状の栄養補給剤を取り出して胃袋に入れる。が、そのくらいでは腹の足しにはならない。お昼のサイレンを聞いたら、走っていても食べ物のことばかり考える。帰ったら何があったかな。あれ食べようかなこれ食べようかなと考え出すと、手足が痺れ低血糖でフラフラになりそうだ。

 結局15キロを越えたところで家に戻ることにした。出発の時にはどんよりと曇っていた空も、お昼にはすっかり青空になり、顔は日焼けでヒリヒリする。

 まあいいか。昨日と今日と、足して25キロ越えということにしておこう。

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三つの季節

2017-04-23 11:56:05 | 福島

 俗説だろうが、三春町の名前の由来には梅、桃、桜の花が同時に見られることからきているという話がある。今年も、そんな俗説通りに梅の花が散る前に桜や桃が咲き始め、春は一気に花盛りになった。

 この前までの寒さが嘘のように、ここ数日は気温が高い。が、早朝の散歩に出るとまだまだ空気は冷んやりとして、リードを握る手がかじかんでくる。それでも日差しは眩しく、まるで初夏の朝のようだ。そして、辺りを見渡すと、様々な花々が一斉に咲き始め、春真っ盛りで、今日は三つの季節を同時に味わっているようなものである。

 家を出て、昔の小学校の跡地に残された桜越しに安達太良山を眺める。

 雑木林には若葉が芽生え、殺風景だった景色が次第に賑やかになる。本格的に葉っぱが出てしまうと、野鳥の姿を見つけるのは難しくなる。

 林のあちこちで山吹が咲き誇る。

 田んぼには一面白い花が咲いている。あれはなんだろう、レンゲに白い花を咲かせるヤツなんてのがあるのかな。

 道端には早くもチューリップが咲く。

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なにを植えよう

2017-04-22 11:51:05 | 福島

 昨日に引き続き、畑の草取りに出かけた。昨日のうちに半分終わっていたので、今日は残り半分。1時間も作業すれば畑は誰が見ても畑らしくなった。が、残念なのは、ネギや豆の苗が数本チロチロと植わっているだけなので、畑と呼ぶにはあまりに殺風景だ。三月中に植えたジャガイモは、これがそうかなと思えるような芽が三つ四つ顔を出しているが、本当にそれがジャガイモかどうかは僕にはわからない。もう少し成長すれば判断できるんだけど。

 これから植えるものとしてはトマトやキュウリやナスといった野菜が一般的だろう。ミニトマトや大葉などはできれば料理の前に収穫して使いたいので、車で出かけなければならない我が家の家庭菜園には不向きだ。また、ゴーヤなどの蔓植物は、今年は窓辺のグリーンカーテンとしても植えたいと考えているので、これまた家庭菜園での採用はなし。なんてことを考えていると、どこになにを植えるかという問題は、なかなか難しいのだ。

 以前はトウモロコシを植えたら、ハクビシンにみんな食われてしまった。翌年にはハクビシン対策にネットでトウモロコシの周囲をグルリと囲ったら、今度は野鳥にトウモロコシの先っちょを全部食われてひとつも収穫できなかった。陸から空からとまるで軍隊の攻撃に、トウモロコシを育てる意欲はない。

 う〜ん、あと残るは唐辛子との香辛料系か、チンゲンサイやほうれん草といった葉物かな。

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畑を発掘する

2017-04-21 10:59:55 | 福島

 三月に植えたジャガイモの芽がそろそろ顔を出しているんじゃないかと、朝の散歩のついでに少し離れた我が家の家庭菜園まで行ってみた。期待していたジャガイモの芽は発見できなかったのものの、カラスノエンドウのような雑草の芽は見事なくらい畑を覆っている。芽を見に行って、目を覆いたくなるような状況を見なければならないとは。トホホホ。

 一斉に芽を出した草花は、このところの暖かさで日毎に大きくなる。我が家の雑草たちも、一週間もすれば畑を覆いつくして、そこに我が家の畑があることさえ、人の目から隠してしまうだろう。こうしちゃおれないと、カフェの準備を早めに済ますと、畑に鍬を持って出かける。とにかく畑と荒地の境界線を、鍬でもって掘り返さなければならない。

 ぐるっと畑の周囲を掘り返すと、次は畝を雑草の中から発掘しなければならない。まだ雑草の背丈が低いので、畝は小さな緑の丘の連なりみたいになっているが、これが放っておくと腰のあたりまで草に覆われ、畑は草に埋もれた遺跡と化してしまうのだ。

 1時間かけて、なんとか半分だけ畑らしくなった。続きは明日でもやるか。それにしても、我が家の菜園は、今のところしょぼいネギと顔を出したばかりの豆の芽がいくつかあるだけなのだ。

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