goo blog サービス終了のお知らせ 

おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

くじけそうな心

2020-11-30 14:37:23 | 日記

 冷え込みが厳しく、霜が降りていた。こう寒くっちゃあ、休日のランニングに出るのが億劫になる。厚着をしているので、まずこれを脱いで裸になって、ランニング用のシャツやらタイツやらパンツに履き替えるというのが面倒だ。

 と、くじけそうになるのをなんとか振りはらいながら、着替えを済ますと水分補給のためのポカリスエットだとか、汗をかいた時のためのタオルだとかをリュックに詰める。テオとアンは布団の上でヌクヌクと寝ているから、午前中いっぱい家を空けていても大丈夫だろう。

 ランニングシューズを履いて玄関を出ると、思ったより空気が冷たい。手袋ははめてこなかったけど凍えないだろうかと心配になるが、とりあえず出発する。

 朝から気が乗らない時というのは、何かと出かけなくていい理由を探すものだが、これといった重大な用事が見つからない。こういう時に限って体調も万全だ。仕方ない、ここまできたら腹をくくって走ってこよう。

 で、最近あまり長い距離は走っていなかったので、三春の滝桜まで行くことにした。ペースは上がらないが、途中で休まないようにして滝桜まで走ると、1時間20分かかった。かなりヘトヘトだが、これから同じだけ走って帰らなければならない。疲れたから、歩いて帰ろうかと、肩の上に現れた小さな悪魔が耳打ちする。

 帰路は、途中で膝が痛くなってきて、どうしてもペースを上げることができない。下りだと膝の負担が大きいが、上りだとちっともパワーが出ない。それでもなんとか家にたどり着くと、2時間50分かかっていた。久々に全力を使い切り、しばらくは何もできずにコタツでひっくり返っていた。

 せっかくのお休みだから、午後は読書でもと思っていたが、そんな余力はどこにも残っていないのだ。ここで、くじけた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お出迎え

2020-11-29 11:49:53 | 福島

 朝、暗いうちに散歩に出るので、毎回のようにカメラを持って行こうかどうか悩む。夏なら、晴れ上がった空を見ての出発になるから、張り切って首にカメラをぶら下げて家を出るが、暗いうちに出発すると、夜が明けて来るに従って、曇天だったり雨模様だったりで、カメラを持って出てもシャッターを切ることが少なく、ガッカリする。

 今朝もカメラをどうしようか迷いながらも、雨でびしょ濡れになるのでなければ何も撮らないで終わったとしても、別に荷物になるわけでもないと自分に言い聞かせ、カメラをぶら下げ家を出た。

 日曜日の朝もケンくんと一緒にボール投げに興じることになっているので、墓地のある空き地に立ち寄る。ケンくんの足の調子が今ひとつというので、早めに切り上げ、僕らは散歩を続ける。

 途中、たびたびリスを目撃するクルミの木の近くまで来ると、テオが突然反応した。「リス、リス」とタミちゃんが声を上げる。指差す方を見ると、すぐ近くの木の幹をリスが駆け上って行く。慌ててシャッターを切るが、リスの動きが早く、ピントが合う前に移動してしまう。口には自分の顔ほどもあるクルミを咥えながらの機敏な動きは、野生動物ならではだ。

 何枚も撮ったけれども、クルミを咥えているところを撮れたのは、この1枚だけだった。それでも、カメラを持って来て大正解だったのである。大体、こんなに近くで目撃する時に限って、カメラを置いて来ているのだから。

 1時間半ほどブラブラした後、家に帰って来ると、窓のところでアンが僕らの帰りを待っていた。昨日までは出かける時には、一緒に連れて行って欲しいのか、窓辺から僕らを見送っていたが、帰って来るのを待ち構えていたのは初めてだ。アンも日ごとに成長している。

 これから本格的な冬を迎えるが、気をつけて周囲を見てみると、自然は早くも春の準備を始めている。

 葉っぱを落としたばかりのモクレンにも蕾がたくさんできている。

 ヤマガラが冬を越すため、せっせとヒマワリのタネを食べに我が家にやって来る。

 人間社会はコロナウイルスでワヤワヤと大変な騒動になっているが、自然界はいつもと変わらず日々命の輝きを放っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

条件が揃えば

2020-11-28 11:18:09 | 福島

 まだ暗い中、テオを連れて朝の散歩に行く。午前6時には、ボール投げをして遊んでいるケンくんに会わせるため、寝坊するわけには行かない。と、そそくさと歩いていると、ケンくんちの玄関先で飼い主のオッチャンに会った。「今朝は寝坊した」と、頭を掻いている。

 テオはケンくんと追いかけっこをして家に帰ると、今度は留守番をしていたアンと遊び始める。

 ええい、横四方固めだ。やめろやめろ。というようなことが行われる。

 テオとアンがあんまり仲がいいので、犬と猫とは本来そういうものなのか、ネットで調べてみた。結果を先に書くなら、これといった決定的な理由ははっきりしないが、それらしい理由は諸説あるようだ。

 猫は本来群れではなく、単独行動をする動物なので、猫同士での社会性を身につけるというより、種を超えて個体同士の相性によって結びつきが生まれるという。

 また、空腹や孤独などから、ほかの生き物に頼ろうとする行動を取ることもあるというから、アンの場合は、これにあてはまるのかなと思う。

 ほかにも、哺乳類全般に共感する能力が備わっているとか、生後すぐにほかの動物との親密な接触があれば、相手を受け入れるなどの理由も考えられるらしい。

 テオとアンがあんまりあっさり仲良くなったので、犬と猫とは案外こんなものなのかと思ってしまったが、偶然にもいろいろな条件が揃った上での、仲良しだったことに気づかされた。先に犬を飼っていた場合、猫を迎えるには生後2ヶ月くらいまでの猫がいいらしい。アンは生後2ヶ月を前に来たことになるので、時期的にはぴったりだったわけだ。

 また、犬のほうにも、社会性を身につけた犬でなければ、猫を怪我させてしまうことがあるという。その点テオは、どんな犬に対しても決して敵対的な態度を取らないばかりか、威嚇して来る犬に対してもすぐに仲良くなれるという特技を持つ。散歩中に知らない犬と出くわしても、テオほど安心していられる犬はいない。

 というようなわけで、2匹のプロレスは、いつでも笑って見てられるのであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面倒な付き合い

2020-11-27 11:17:24 | 日記

 そろそろ年賀状を準備する時期になって来た。子供の頃は年賀状を書くと言えば、一枚一枚全部手書きだったから、10枚出そうと思えば10枚書く必要があった。今はパソコンでイラストを描いて年賀状にしているので、一番面倒なところは一枚描くだけで済む。せめて挨拶と住所くらいは手書きでと考えているが、世の中には住所も印刷、イラストや挨拶も印刷で済ませている人もいる。ああいう人は、何百枚出しても、手間はあまり変わらないんだろうなと思うと、何とも味気ない。

 付き合いは狭いが、それでも毎年年賀状は来る。一年に一度も顔を合わせないような人からの年賀状だと、せめて近況のひとことでもと思うが、すべてを印刷で済ませていたりするとガッカリする。「旧年中はお世話になりました」と紋切り型の挨拶文だが、「おいおい、去年は会ってもなければ喋ってもないだろ」とツッコミたくなる。

 年賀状を出す人は年々減っているようだ。印刷だけで済ませているような挨拶状では、もらわないほうがいいと考える人が多いのだろう。あるいは自分が印刷だけで済ませているので、意味を見出せなくなっているのかもしれない。

 近頃は、スーパーのレジに並ぶのでさえ面倒だという人が増えている。キャッシュレスでスマホをかざすだけでも簡単そうだが、最先端になると商品を取ったらそのまま店の外に出ても会計が済んでいるという。お店に行くと言っても、倉庫に物を取りに行くくらいの感じになっている。そうまでして、他人と関わり合いたくないのかと、僕などは訝しく思う。

 おそらく人類は、社会性を獲得するために、数万年、数十万年という時間を費やして、社会を作り上げて来た。社会を作るとは、いかに他人と関わり合いを持つかが根底にある。が、今はなるべく他人との接触を避ける。人間の脳みそは、社会生活を営むために発達して来ているので、突然他人との関わりをなくした人類が、将来どうなるのかは予測はつかない。

 コマーシャルを見ていたりすると、商品のコピーに「大切な人へ」みたいな文句があって、僕はギクリとしてしまう。コピーを考えた人に深い考えはないだろうが、僕には「大切な人」という言葉に、世の中の人間を知らず知らず「大切な人」と「そうでもない人」に分類しているようで、薄気味悪いのだ。

 未来は、人と人との関わりとは、自分にとって必要か否かだけのことになってしまうのだろうか。効率と快適さを求める社会は、年賀状やら会社の飲み会などなくしてしまうだろう。

 僕もどちらかと言えば、自分のこと以外でいろいろやらなければならないということに面倒を感じるタチだが、こと人との付き合いにおいては、無駄やら面倒やらを避けて通ることだけはしたくないものだと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隔世の感

2020-11-26 11:23:05 | 日記

 久々にプロ野球の試合をテレビで観た。おそらく子供の頃以来じゃないかというくらい久々だ。高校野球はたまに観ることがあるが、プロ野球はまったく観なくなってしまっていた。

 子供の頃は、毎日野球中継があった。ほとんどが巨人戦で、アニメの「巨人の星」に夢中になっていたから、自然と巨人の選手だけには詳しかった。スポーツと言えば野球一色で、友達とどうやったら消える魔球大リーグ2号が投げられるかと、日夜研究していた。

 野球を観なくなったのは、多分長嶋さんや王さんが現役を引退した頃だと思う。そのうちテレビから野球放送自体がなくなってしまった。サッカーもそうだが、ワールドカップとか野球のWBCは観ようと思うが、シーズン中の試合は観ない。それはやはりどこか、ひと試合にかける熱量みたいなものが違うからだと思っている。

 で、日本シリーズ最終戦、ソフトバンク対巨人の試合を観てみた。ところがすぐにわかったが、素人が観てもわかるくらい実力の差がある。ソフトバンクの選手の大リーグの選手のような迫力に比べると、巨人の選手はまるっきり迫力がない。子供の頃によく日米野球というのをやっていて、大リーグの選手が旅行気分で日本に来て親善試合をしていたが、日本チームが必死にバントやら盗塁で地道に頑張っているのに、大リーグの選手がここという時にホームランで得点する。あの感じによく似ていて、大人と子供の試合だった。

 観るまでもなく、勝敗ははっきりしていた。で、4回の途中でテレビを観るのを止めた。

 今朝のニュースの解説を聞いていると、ソフトバンクは素質のある選手を集め、自分のところで育てるシステムができあがっている。巨人はドラフトやFAで大物を獲得する。その違いが力の差となって顕著に現れて来たという。

 かつては巨人と言えば人気球団で、野球をする若者の憧れの球団だっただろう。だが、その人気にあぐらをかいているうちに、世の中はどんどん先に行ってしまっていた。会社でもそうだが、大手で人気があるからという理由で就職したら、そのうち新しいことができない古臭い会社になって倒産してしまったということもある。人気があるかどうかよりも、自分の力をどこなら伸ばしてくれるのか、そういうことを会社や組織を選ぶ基準にしたほうが、将来的には見込みがありそうだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臆病な犬と豪胆な猫

2020-11-25 11:58:32 | 福島

 日ごとに寒くなってくる。暖冬傾向にあるとはいえ、確実に冬がやって来ている。寒さも嫌だが、それ以上に憂鬱になるのが日の短さだ。朝は6時になっても夜が開けないし、夕方は4時半頃から暗くなってくる。朝晩の犬の散歩は、どちらも薄暗い中を歩くことになる。

 新型コロナウイルスの影響で、繁華街は人手が減り、閑古鳥の鳴いているお店が多いようだ。おまけに感染者の急増で、時間短縮の要請が出されたりと、泣きっ面に蜂である。

 同じ飲食店として、「アトリエ・カフェ 青い犬」はどうですかという質問を受けることがあるが、元々が繁盛しているお店とは言い難いので、別にお客が減ったという感覚はない。それどころか、あちこち遊びに行けない人たちが、「青い犬」だと貸切状態でお喋りできるというので、コロナが流行する前よりも、客足が伸びている気もする。

 もっとも、お客の目当てはおしゃべりだけではない。2年前に愛護センターからやって来た雑種のテオ、今年の9月に山の中で拾われて来た子猫のアンを目当てに来る人も増えた。

 テオは、愛護センターから引き取った時から、人間不信気味で、いまだに飼い主にはシッポは振らない。頭を撫でようとすると、すぐに頭を引っ込めてしまう。お客が来るとワンワンと大騒ぎになり、番犬としては最高だが、犬が苦手な人はそっと帰ってしまうほどだ。ただし、根が臆病なため、決して人間に近寄ろうとはしないので、お客さんには「大丈夫です。臆病なので絶対に近づいて来ることはありません」と説明する。

 それに反して、アンの肝っ玉の据わったところは、テオにも見習ってほしいところだ。初めてのお客さんでも臆することなく、黙って膝の上に乗っかって昼寝している。お客さんは立ち上がることができないので、自然と長居することになる。

 ただ、この豪胆な性格が、自らの命を救ったに違いないと僕は思っている。というのも、1匹だけ山の中に捨てられていたとは考えにくく、おそらくほかの兄弟よりも体力があり、大胆な性格で、僕らに救いを求めてミャアミャア鳴きながら藪から出て来たから発見できたのであり、テオみたいに人間を恐れていたら、決して見つけてはもらえなかったろうと思う。

 NHKで「アンという名の少女」という「赤毛のアン」をドラマ化して放映していたが、その第1話のタイトルが、自分の運命は自分で切り開くといったものだったが、そこから名前を頂戴した我が家のアンも、自らの力で人生を切り開いたと言えるだろう。

 その豪胆さは、犬のテオに対しても発揮され、来た当初から恐れることなく、テオを毛布代わりに利用しているアンであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

できればおひとり様で

2020-11-24 09:20:52 | 日記

 日曜日の朝、テレビをつけっぱなしでカフェの準備をしていたら、「ワイドなショー」でMCの松本人志が「Go To キャンペーンじゃなく、Go To おひとり様をやったらいい」という発言をしていて、なるほどなあと感心した。

 この三連休、コロナの新規感染者が急増する中、人気の観光地は観光客でごった返したそうである。ニュースでも、京都の渡月橋が人で溢れかえっていたり、大阪のUSJが混雑で入場を諦めた人までいるという話題が出ていた。経済を回すためとキャンペーンを張り、一気に大勢が動くから感染が急増する。「ブレーキとアクセルを交互に踏むのは難しい」というが、難しくしているのはコロナの方ではなく、人間のほうだ。

「Go To おひとり様」が面白いと思ったのは、例えば、ひとりで飲食店を訪れて、ひとりで飲食した人には割引をする、ひとりで旅館やホテルに泊まった人は割引するというサービスをすれば、混み合うこともなく、少しは経済を動かすことはできる。少なくとも、大勢を一斉に動かし、危ないからとすぐに外出を規制するような政策よりはマシに思える。

 日本人の良くないところは、何でも平等にしたがるところだ。が、今は世の中が危険な状態にある。非常時ということで言えば、例えば戦時下として考えるなら、弱い立場の人はなるべく外出しないようにするだろう。兵隊さんだって、丈夫な人だけが戦争に駆り出される。病弱な人や老人や子供や女性は、後方待機ということになっている。それと同じで、今はコロナで危険な状態だから、丈夫な人だけがひとりで出かけて行けば良い。

 おひとり様だけが割引を受けると言うと、必ず弱者を切り捨てていると言うような抗議の声が上がるだろう。子供はひとりでは出かけられないから、子供を持つ親に対する差別だ、障害者だから支えてくれる人がなければ出かけられない、そういう弱者が割引を受けられないというのはおかしいんじゃないかと考えるだろう。が、今は非常時だと考えれば、積極的に経済を回すための運動に参加させる必要はないのである。コロナウイルスの蔓延する社会は、危険な戦場なのだと考えた方がいいのではないか。

 Go To キャンペーンやGo To イートは、あくまで経済活動を停止させないために税金を投入して行う政策である。国民がすべて平等にサービスを受けられるために行う楽天的な政策ではない。

 「一人旅ができる人、ひとりで飲食店に入れる人は強い人だ」なんてことを思う人がいれば、もし「Go To おひとり様」が実施されたら、挑戦してしてみるのも面白いのではないか。誰かと一緒でなければ何もできないという社会より、個人が個人の考えで行動できる社会の方が、より成熟した社会なのではないかと僕には思える。何でもそうだが、一度やってみると、意外とハードルは低かったりする。ひとりで行動することで見えてくる景色というのは、また違ったふうに見えてくるものである。

 というようなことを、掃除機をかけながら「Go To おひとり様」は意外といいアイデアではないかと思うアベさんなのであった。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恒例の作業

2020-11-23 10:39:45 | 福島

 世間は三連休最後の日、僕はカフェの定休日、ということで、滅多にないタミちゃんと休日が重なる月曜日の今朝は、いつもより時間を気にせず散歩に出かけることができる。

 昨日同様気温は高めだが、風が強く分厚い冬の雲が空を覆っている。

 天気予報では晴れになっているが、もしかしたら山の上は雪かもしれない。

 ボール投げをして遊んでいるケンくんのもとへ。リードを外すとテオはすかさずケンくんの口元をペロペロと舐め、ケンくんとの鬼ごっこを始める。2匹して風のように全力で跳び回る姿を見るのは、犬を飼う者として至上の喜びである。テオはケンくんに会うと楽しい時間が待っていると思っているので、ケンくんの飼い主のオジサンを見ると愛想がいい。飼い主である僕らに見せたことがないような態度で接するのだ。

 散々遊んで満足なテオは、家に帰ると今度はアンの遊び相手をする。

 首根っこに飛びついてくるアンを転がし、耳を舐めたりお尻を舐めたりとアンの世話を焼く。

 今日はタミちゃんと休みが重なるというので、かねてより計画していたフリーシアの剪定を力を合わせてする。ひとりでは、大変すぎて終わらない。

 フリーシアは別名ニセアカシアといい、葉っぱの緑がキレイなので、我が家の玄関先でシンボルツリーとして植えられているのだが、とにかく成長が早く、ひと夏で枝が数メートルは伸びてしまう。放っておくと、あっという間に大木になってしまうので、毎年冬を迎える前にコリコリに枝を落としてしまうのだ。金沢の兼六園では冬の積雪を迎える前に、庭木の雪吊りをするのが風物詩になっているが、我が家の冬の風物詩は、コリコリになるフリーシアなのである。

 作業を終え、コリコリになったフリーシア。壁に取り付けた時計がどこからでも見えるようになった。これくらいコリコリの丸裸にしても、夏には空が見えなくなるくらいに枝を伸ばすのだから、生命力は半端ないのだ。どのくらい成長するかと言うと、

 こんなになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらない生活

2020-11-22 11:24:00 | 福島

 新型コロナウイルスの新規感染者数が急増しているということで、国の進めるGo To キャンペーンやGo To イートを中断するよう求める声が大きくなり、政府は頭を悩ませているようだ。経済を回さなければならないと言いながら、感染者数も抑えたい。よくアクセルとブレーキを同時に踏むことに例えられるが、キャンペーンをやれば感染者が増えることは誰の目にも明らかだから、キャンペーンをやるならある程度の犠牲は仕方ないと覚悟を決めなければならないのだが、やるにしてもやらないにしても腰が引けているように見える。

 僕の場合、1年に数回程度しか外食しないので、Go To キャンペーンが始まっても、さあ食べに行こうとはならない。旅行にしても犬が一緒のため、車中泊かテント泊だし、食べ物目的で旅行もしないので、Go To キャンペーンを利用しようという意欲もない。

 というわけで、僕の場合、新型コロナウイルスが流行しようと普段通りの生活を淡々と続けている。しいて言えば、買い物に出る時にマスクするくらいが大きく変わった点だ。

 ニュースでは、コロナのせいで客足がぱったり途絶え、店じまいするしかないと嘆くところが多い。そんな話を聞くと、世間というのは普段よほど外食し、旅行に出かけてせっせとお金を落としている人が多いんだろうなと思ってしまう。

 でも、考えようによれば閑古鳥が鳴いているところが多いのであれば、外食しようと泊まろうと、人の少ないところを見つけるのは簡単そうだ。が、なぜかそういうところには行かず、人の集まるところへ行こうとする。街中が危ないからと言って、ごった返す郊外のキャンプ場には出かけるのだから、よくわからない。

 今朝は、散歩の途中、テオをボール遊びをしているケンくんと遊ばせた。早朝の墓地には飼い主以外には誰もいない。犬たちが遊び疲れると、その場を離れ、僕らは散歩を続ける。

 里山は秋も終わりを迎えようとしている。葉っぱは茶色に変色し、風もないのにカサカサと音を立てて頭の上に落ちてくる。雑木林の中に、朽ちかけた石像が鎮座している。誰が設置したのかわからないが、ずっとここで同じような景色を眺めて来たんだろうなあ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチンの傘

2020-11-21 10:59:57 | 日記

 アメリカの製薬会社2社が、ワクチンを完成させつつある。日本も早速大量のワクチンを譲り受けることにしたそうだが、簡単に言えばワクチンの開発競争に負けたということである。

 あまり報道されないが、日本のワクチンがある程度完成の見込みがあれば、アメリカ製のワクチンはそれなりに値引き交渉をすることができたが、実際には向こうの言い値であり、副作用などのマイナス面があっても一切責任は問いませんという条件らしい。

 ワクチン開発でニュースになるのは、アメリカを筆頭にロシア、中国、イギリスなどで、その理由は国が莫大な費用をワクチン開発につぎ込んでいるからで、そのお金はウイルスから国民を守るための国防費だ。別の言い方をするなら国防費とはイコール軍事費なのである。

 核兵器を使用することが難しい現代では、核兵器に変わるものとして生物兵器の開発に重きがおかれている。核兵器に比べれば安価にできる生物兵器は、貧しい国はもとより、テロリストたちによっても製造が可能だ。実際、オウム真理教はサリンを使用したし、アメリカ同時多発テロの時にも炭疽菌が出現した。

 そうしたこともあって、ワクチン開発は世界的に自国の兵士や国民を守るために急務なのである。そのためアメリカでは、様々なワクチン研究を行い、ある程度の数のサンプルを作っている。それにより、新しいウイルスが出て来た時には、効果のありそうなサンプルをいくつも試すことができるからである。

 軍事費と言えば、ミサイルや戦闘機を購入するだけが使い方ではない。アメリカの核の傘に守られている日本は、アメリカの顔色をうかがわなければならないため、世界で唯一の被爆国であり、原発事故を起こした国でもあるにもかかわらず、核不拡散条約でさえ賛成票を投じることができないでいる。

 今度はワクチンの傘の下に入るしかなくなりつつあるが、それもこれもSARSの流行がおさまった途端、ワクチンの開発を中止してしまうといった日和見的な日本の政治に、最大の欠点がある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする